地震をきっかけに書き始めたこのブログ。
自分の想いを見える化し、明確明瞭にすることで、そこから何かを洞察し、
そして学び、人生を変えられるきっかけにしたいと思って書き始めた。
まだまだ書いた文章の数は少ないが、これらの文章を綴ることで
本当に多くの洞察を得たと思う。
しかし、洞察そのものには何ら意味がないことにも気が付いた。
私たちは人生を通して様々な洞察を得て、何かを感じる。
一般的には“気づき”とも呼ばれる。
私たちは何らかの気づきを経験すると、何か新たな境地にたどり着いたかの
ようなさっかくを起こす。
しかし、気づき自体は新たな知識の発見(自分の中から)にしか過ぎず、
ご承知の通り、知識そのものには何ら価値がない。
知識は実践されて初めて価値となるのだから。
つまり上のことを整理すると、今回の震災を通してどんなに多くのことを洞察し、
そこから何らかの気づきを得たとしても、その気づきで得た知識を行動と実践に
よって世の中に表現していかない限りは価値観は真の価値にはならず、
意味は意味とはならない。という考えに至った。
震災を経験した私たち、特に生き残った私たちはそこに何らかの意味を感じている
はずだと思う。しかし、その意味は行動と実践によってのみ意味ある現実となるのだ。
目の前にあるのは、のっぴきならぬ、あるがままの現実である。
その現実にどのように態度し、行動していくかが今の私たちに問われている。
そしてその問いは、自分自身を発見し、あるがままに自分らしく
生きていくことの先にのみ答えがあるのだと思う。
私はこの問いに精いっぱいに答えたい。
それが私にできることの一つなのだと思う。