批判することは誰にでもできる。

批判したくなる気持ちもわかる。


しかし、その批判に意味はあるのだろうか?


確かに建設的な批判もあり得るだろう。

その批判によって何かが改善されれば、

それは素晴らしいことだ。


もしくは、何らかの被害者たちが加害者を批判することは、

自らの気持ちを整理するためにも必要なのかもしれない。

感情を何らかの形で外に出すことは精神衛生において

好ましいという考えもある。



しかし、それでも多くの批判という行為に

私は意味を感じられなくなってきている。


首相を批判し、東電を批判し、保安院を批判し、

津波の対策が不十分であったことを批判する。


政治の世界ではまるで批判合戦だ。


そんな私も、この文章自体がある種の批判になっている

ところが滑稽な話である。


ただ私が言いたいのは、批判という行為も

ある程度必要なのかもしれないが、

それよりも今私たちが取るべき態度-行動は

手をつなぎ『協力』し合うことではないだろうか?


批判は一つの意見として捉えれば、現実を知るための視野を

広げてくれる有用なファクターとなる。


しかし、批判そのものからは何も生まれない。


しかし、協力というものはあらゆる可能性を秘めている。

そこから生まれるのは相乗効果であり、

人の想像をはるかに超えた力となる。


人々が一つの目的に向かい、心の底から協力し合った時の

ことを想像してみて欲しい。


インドの独立、アメリカの独立宣言、奴隷解放宣言…


あらゆる世界の歴史の変革は、人々の協力によってのみ成されている。


確かに一人のヒーロー的な存在はいたかもしれないが、

そんなヒーローたちも一人の力では大きな変革は起こせなかったはずだ。


多くの人々が手をつなぎ、協力し合ったからこそ、

それらの変革は世界に多大なインパクトを与えるまでに

膨れ上がったのである。


3・11(さんいちいち)は明らかに世界に、特に日本に大きな影響を与えた。

これはおそらく数十年後の歴史に、変革ののろしとして語り

継がれるのではないだろうか?

つまり『あの地震が日本を、世界を変えた』と。



今こそ日本が、しいては世界が一つになる時。

使い古されたセリフではあるが、私も心のそこからそう思う。


批判をやめ、ともに協力し合おう。

それができるのは今しかない。

被災した私たちだからこそできる変革だ。


今回の地震とその復興を通して、

完璧なものではなくても、少しでも世界が繋がり、

そこに人間と人間の、国境や文化を超えた絆が

生まれて欲しい。