東京の端っこ在住。
21才のフリーター兼通信制大学生長女を筆頭に、高3、中3(2024年現在)3人の娘を育てるアラフィフ女子。
特筆すべき点もないありふれた日常を、独断と偏見でぶった斬る???娘たち曰く「見た目はオバさん、心はオジさん。世の中の常識が通用しない、サバイバル系不死身の過激派」らしいです。
お暇なときにちらりと覗きに来ていただければ幸いです。
こんにちは。
清々しいほどに、いつも大好きなテギョン君を追っている侍ままんです。
たまには真面目なお話です

私、前職のオフィスワークを辞めて以来、何が変わったかというと全く服を買わなくなりました。
オフィスワークの時は、本当に季節ごとにめっちゃ服を買ってましたよね。長年の主婦を脱却して、人生で初めて自分で自由に使えるお金を手にしたことも大きかったのですが、とにかく職場に女子が多いと、競い合うわけでもありませんが、何となく毎日同じ服というわけにはいかない空気感がありました。
方やいまの仕事はどちらかと言えばガテン系で同僚はオジさんばかり。毎日誰かの葬儀に参列するので、必要なのは黒パンツ3枚と白シャツ3枚のみ。
しかも土日が休みというわけでもなく、仕事を休む日は、何らか他の用事があるときですので『お洒落をして街に何となく繰り出す』ということを全くやらなくなりました。
東京に移り住んで8年。
最近一番着る服はジャージかスエットです。どちらかと言うとスエットをお洒落に着こなす術が身についた気がします
(笑)最も大切なことは『スエットですけど何か
』って顔を貫くこと(笑)




近所のスーパーに行くときも、最近はすっぴんスエットでも抵抗がなくなりました。だって東京に住んでいたら、田舎と違って滅多に知り合いに会うことはありません。そもそもそんなに知り合いいねえし
。加えて道ですれ違う人の半分は外国人ですので、絶対に知り合いじゃないと断言できる。

つまり東京では田舎の100倍人目があるのに、田舎の100倍人目が気にならなくなったのです。
とにかくお洒落をする必要がないことに気付いちゃったんです。
それでこれは私だけの問題かと思いきや、実はそうでもない気がします。
電車に乗っている人のファッションを見ると、スーツ&制服が半分、それ以外は皆さん大した格好をしていません
(若干失礼っ
)



これは私の想像ですが、移動距離が長い我々が服に求めることは、動きやすさと暑くもなく寒くもないという機能性なんだと思います。実際全身アウトドアウェアで身を包んだ方が、1車両に必ず3人はいらっしゃいます。
電車通勤ってそれくらいサバイバルなのよ





そしてこれは足元を見れば更に顕著で、私、山手線の外側でヒールのあるパンプスを履いている女性を見たことがありません。
つまり東京で生きるとは、階段を駆け登れるかどうか、雨が降っても風が吹いても自分の足で歩き続けられるかどうか、大事なのはそういうことなのです。マジで。

突然豪雨が降ってきたとて、誰かが車で迎えに来てくれるわけではありません。常に己の独力のみで生きなければならない。都会には頼れる人間などいないのです。
東京の人々の足元にはそういう覚悟が表れている気がしてなりません。
要するに東京でファッションに求められるものとは、見た目にあらず。極論、重要なのは生き残れる服装かどうかということなのです。
これは車社会で生きている方には、受け入れ難い真実かも知れません。東京の人ってお洒落なんじゃないの
って思っているかもしれません。

それはたぶん、山手線の内側に住んでいる人ですね。しかも歩かなくて良い人ね。運転手がいるかタクシーを自由に使える人です。
昨今個人的には、服に動きやすい以上の価値は不要だとすら思っています。
あと現実問題を考えた時に、東京に住んでいたら家賃が高い&家が狭いという理由から、余計な荷物を持つ気が失せます。
玄関はめっちゃ狭いし、家全体を見渡しても収納スペースなど皆無です。
人が住むだけで精一杯、下手したら人すら入り切ってない
(笑)

だからね、余分な洋服とか靴とかマジでいらねえの。コレクション的な『身につけるのがもったいない系』などもはや論外。明日履く靴を玄関に5人分並べただけで足の踏み場もないのです。
お洒落な服とかいらねえの。
命を守るための服が何着かあれば本当に十分です。
さらに、東京で3人の子どもを育てる中流階級の立場で言わせて頂くと、服の購入を娯楽として捉えるだけの経済的余裕がありません。生きるだけで精一杯の昨今。服でセンスとかステータスを誇示しようとするなんてナンセンス
そんな時代はとっくに終わったと思っています。

私に言わせれば、もはやユニクロがどうとかいう問題じゃない。
世界の環境問題に目を向けてみて下さい。
貧困国に溢れるゴミの大半は、先進諸国で要らなくなった衣類です。
『寄付』という体で送られていく衣類は、実際には着られることなくゴミとして堆積していくそうです。行った先にはまともな処分場がないわけですから当然そうなりますよね。
いらねえんだったら自国で処分しろや
ゴミを押し付けるんじゃねえよ
というのが彼らの本音らしいのです。



つまりもはや地球上の人口に対して、生産されている衣類が多すぎるということです。もう服なんか、世界規模で見ても必要ないんだって





人類
良い加減に気付いた方が良い。

そんなに季節ごとに色とりどりの服なんかいる

産業革命に始まった大量生産大量消費の快楽を、捨てる時が来ているのではないでしょうか




我が家だけを見たって、人間に対して服が多すぎるので、居住空間を確保するために日々いらない服を捨てています。
こういう現実を考えたら服装について、ダサいとか古いとか『誰が言ってるの
』って不思議になりました。


そんなん経済活動を助長するためのプロパガンダじゃん

私が最近憤っている『大学くらいは出ておいたほうが良い』とかいう文言と一緒ですよね
誰がそんなこと言ってるの






根拠は何なの

最近私は世論なるものを疑い始めましたよ。世論って、一体誰の意見なんだよっ



いまの世界は、一部の富豪がより豊かになるために仕組まれた社会であることは間違いありません。
そこには他人に対する配慮などないと思ったほうが良いでしょう。
いくら庶民であっても、もう少し自分の頭で世の中の色々なことを考えないといけないと思うようになりました。