こんにちは侍ままんです。
突然ふと思ったんです。
近ごろ【まぐれ】って言葉を全く聞かない気がする、と。
『そんなのまぐれだって〜』
若いときには
結構な頻度で会話に登場していた印象ですが、今となっては「なんだっけあの言い回し!」思い出すのにも一苦労でした
。
【まぐれ】
いま、ほとんど使わない。
何でだろう???
思い当たるのは
この年になると、もはや『まぐれ』にお目にかかることが『ない』ってことなのではないでしょうか?
いまアラフォーの我々を支えているのは、間違いなく【経験】。
つまりは、やったことがあることしか出来ないって現実に、日々打ちのめされているわけです。
若い頃ならば、
センスあるねえとか、天才じゃね?とか、前世の記憶が残ってるかも?なんて希望的観測に心踊らされる場面もあったかもしれませんが、今となってはそういう『まぐれ的に出来る』って事象に出会うことはまずありません。
【筋肉は裏切らない】
という旬な(?)フレーズがありますが、あれはまさに『努力は裏切らない』という前向きなメッセージであると同時に『努力なきところに成果なし』という厳しい現実を突きつけるものでもあるはずです。
『まぐれ』で筋肉ムキムキの人はいないわけですから。
そういうわけで、現代社会が『まぐれ』を容認しない「ちゃんとした」世の中になりつつある、という側面もあると思います。
大学入試改革を見るに付け
昔のように「一発テストでたまたま成績が良くて受かっちゃってラッキー」という【まぐれ】を許さない社会の気質が背景にあるのは確かです。
でも何となく大学入試に関しては、個人的にはまぐれも「実力のうち」のような気もします。
本番に強い!っていうのは日々の努力の裏付けがなければあり得ないことですから。
そう考えると、【まぐれ】という言葉が示すような【真のまぐれ】など、本当は存在しないのかも知れませんね。
まぐれまぐれも実力のうち
ってことでしょうか?
きっと【まぐれ】という言葉は
日本人特有の「謙遜」を示すために「あれはただのまぐれですから」という使い方をされていたものの、イマドキ「謙遜する人自体」がいなくなって、使われなくなってきたんじゃないでしょうか。
中高生のころ
「全然勉強してな〜い!やば〜い」
って子に限ってバッチバチに98点とかを叩き出しているのを見るにつけ、「謙遜する意味って何???」戸惑ったことを思い出します。
余談ですが
うちの子らが「勉強してない」って言う時は、本当にやってなくて、、、
え?勉強やってないって言って、【本当にやってない人】初めて見たんですけど
それはそれは驚いたよね。
私の辞書にはいないタイプだよ、君たち。
『筋肉は裏切らない』に象徴されるように、日本においても【隠れて努力する】時代は終わったのかもしれません。
これからの時代は【バッチバチに努力してますけど何か?】そんな風に努力を包み隠さず、むしろ全面にアピールするナルシズム全盛期?が訪れようとしているのかも知れませんね。
いつまでも
『ワンチャンいけんじゃね??』
とか言っている我が家の娘たち。
母は君たちに【まぐれ時代】の終焉を宣言すべきなんだと思う。
ワンチャンもツーチャンも(笑)
努力の上にしか成立しないのだよ。
永遠のパリピを早く卒業して
君たちも、とりあえず筋肉をつけてみるってのはどうだい?(笑)