こんにちは、侍ままんです。



子どもが受験の時。
親がこんなにも大変だなんて
思いもよりませんでした。えーん
今更ながらイマドキ
中学受験が流行りな理由が
良く分かりましたよ。
だって、、、
中学受験ならば
最悪落ちても地元の中学へ行けば
済むだけのこと。
落ちたら行くとこなしか
私立に大金を払うしか逃げ道のない
高校受験とは切羽詰まり感
まるで違うではありませんか。アセアセ
(ま、もともと中学受験をするお宅は
経済的余裕があって切羽詰まることは
ないのかもしれませんけれども・・・(^。^;))



その上、中学3年生なんて
人生のうちで最も親の言うこと
聞かねえ年頃でしょうよ?(-_-;)
中3に勉強をやらせるというのは
小6をだまくらかして勉強させるのとは
ワケが違うのです。
嗚呼こんなことならば
小6のワケが分かっていないうちに
親の脅威で無理矢理にでも
勉強させておくんだった・・・(;´Д`)
(したかどうかの保証はありませんよ(・ω・))



恐らくね、
もともとは中3くらいになれば
自分の意志がしっかりしてきて
将来を左右する学校選びに
最適な精神力が身に付く頃だろう
と言うことで
その昔からこの年令に受験を制定したの
でしょうけれども。。。
(小6じゃ、どうしたって
親の意志が強すぎますからね。(・_・;))


でもさあ~イマドキの中3!!!
マジで何にも考えてない
っていうかさぁ(゚Д゚;)
高校行けなかったら、、、とか
全然シュミレーション
出来てないんですけどっっっ!!!
もうちょっと考えられないん
ですかねえええ??
想像力が無さ過ぎるよチーン


結局ワケ分かってないのは
小6となんら変わらなくねえ??(-_-;)
ワケは分かってないのに
体がデカくて口だけが達者で反抗期・・・。

もはや、どーしよーもない。(・ω・)

ってのが、今のままんの
感想です。
なので、どうせなら中学受験を
してしまった方が
親は絶対に楽だったんだと
いまさらですが、そう思いますね。



で、そもそもなんでうちの受験生は
こんなにも危機感がないのだろうか??!
と考えたときに、思い当たったのが
今の世の中が
《キレイ》過ぎる
ではなかろうか、ということです。
つまりは、その辺に苦しみが
落ちていないという意味。


おそらくうちの子どもら、
今までの人生において
《生活が苦しい人》なんて
まず、見たことないもん。(;´Д`)
今の世の中では、若い人たちが
『苦労したくない』と切実に感じること
が出来るほど、身近に《苦労》を
見ることはなくなった気がします。



あたかも、みんなが
幸せに生きているように
見え過ぎている。


そこには血と汗と涙を伴う努力の
跡なんか微塵も見られないものだから
昨今の子どもたちが
努力なんかしなくても誰だって
当然のように
《ふつうに幸せになれる》
勘違いをしたとしても、、、
至極当然のことなんだと思います。



努力をしなければ
幸せにはなれないよ。
あるいは世の中には努力だけでは
どうすることも出来ない運命も
存在するものかもしれない。



そんなことを肌で感じるというのは
今の社会ではとても難しいことなの
かもしれません。



だって、幸せじゃない人は
メディアには出てこない。
華やかな結果だけが
皆の目に付くところに置かれて
そこまでの血のにじむような努力は
見せてはいけないものとして公に
上がってくることはめったにありません。



子どもたちよ。
YouTubeのくだらない映像を見て
ただ腹を抱えて笑ったのちに
《将来の夢はユーチューバー》とか
簡単に言ってしまって良いものなのか
考えたことはあるだろうか?
それよりも、
ユーチューバーと呼ばれる彼らが
どれだけの苦労をしてあの
《何にも考えていない
只々楽しいだけに見える
世界》作り上げているのか。
そちらが気になりはしないのだろうか?
『楽しいだけの世界』を
作り出している彼らの生活は
決して楽しいだけでは済まされない
苦労の連続なんだろうなぁ、、、と
我々などは思ってしまうのよ。(;´Д`)



君たちには
そこまでは想像出来ないのだろうけど。
だからね、、、



人生はただ楽しいだけだ。



そんなことを
純真無垢な子どもに刷り込んでしまって
本当に良いのか現代日本(ノД`)アセアセ



そう思わずにはいられないのです。
。゚(゚´Д`゚)゚。


努力をしない果ての人生が
全く見えていない我が子を見て
《反面教師》いかに
大切だったのか、そんなことに
思いを馳せています。


いま、
『あの人みたいには
なりたくない。』って言ったら
人権侵害で問題になりそうな
勢いですよね。
でも、どんなにキレイごとを並べてみても
あの人みたいになりたい、という
エネルギーよりも
あの人みたいにはなりたくない、という
エネルギーの方が確実に大きいように
思えてならないのです。


ですから、
なりたくないモデルというのは
実はとても大切な存在だったのかも
しれない。(゚Д゚)


みんなが同じような経済状態で
生活しているように見えても
実は密かに生活が破綻している人がいる。
そんな記事を近ごろ良く目にするように
なりました。
要するに昔も今もみんなの生活は
それほど変わっていなくて
現代社会だからといってみんなが
豊かに生きているわけでは
ないのです。



でも、その本当の姿は
私たち大人にだって分かりづらい
のですから、子どもたちが理解している
はずもありません。



人というのは
幸せに生きようと思ったら
汗水流して努力をしなければ
いけないんだよ。
それでも予期せぬ不幸に
見舞われることだってある。
その時だって、
その不幸と戦って生き抜いていける
だけの強い心を育てなさい。



そういう『当たり前の』思いを
いま、子どもたちに伝えるために
我々がすべきことは、出来ることは
一体何なのか・・・。


今現在はっきり言って
そんな思いが全く伝わっていない
我が子を前に
『これは間違いなく
大人の責任なんだよなぁ・・・(;´Д`)』
反省する以外に方法が見つからない
ままんなのであります。



これ、ワタシ
完全に育て方間違えたねっっ(゚Д゚)アセアセ
今からでも軌道修正が可能なのか
熟考せねばなりますまい(-_-;)


とりあえず受験は受験で
やってもらうしかなくて・・・ダルマ


さて、そのあとも
まだまだ続くよ人生は手


みなさまのお子様は
危機感おありでしょうか??(-_-;)