こんにちは、
学校は考えるところだ
侍ままんです。
前回『家族って難しい』
という話をしました。
インフルエンザ休日である本日
のんびりと掃除機をかけていたら
それについてふと天からお言葉が降って
きたので(・ω・)
ここに、したためたいと思います。(笑)
つまりさ~。
現代人てのは《リセット世代》で
あるがために
《家族をやり直す》つもりで
家族間殺人に発展してしまうの
ではないか、と突然に思ったのです。
どういうことかと言いますと
本当はものすごいちゃんとした
家族を作りたかったの。
だけどなんだか巧く行かなかった。
で、それがどうしても許せないわけ。
『こんなの自分の思い描いた
家族からはほど遠い(;´Д`)』
真面目なんだよね。
現実を受け入れられなかったとき
『そうだ、やり直そう。』
いまあるものを壊そうとするんだけど
果たして、厄介なメンバーを
消すという作業で家族がやり直せる
ものかどうか。
だって、ある一点を見ればその人は
厄介者かもしれないけれど、全く何の
役にも立っていないのか?と言えば
そうでもなかったりしてね。
難しい問題なのよ。(´д`)
少し考えれば
分かりそうなものですけれども。
ここで、かつて私が小学生だった
ときの話をしましょう。
《大縄跳びの8の字跳び》
3分間で何回跳べるか、
クラスごとに競っていたことがありました。
その時、課題だったのは
跳べない人をどうするか?
記録を伸ばすにはどうしたって
途切れないで跳ぶことが必要でした。
子どもたちは口々に『跳べない人を
外せば記録は伸びる』と言う。
でも、先生は『外さないで記録を
伸ばそう』と言うわけ。
我々は子どもながらに跳べない人を
跳べるようにするよりも、
跳べない人を外した方がだんぜん
早いと分かっているのね。
だからぶうぶう
言うわけよ。

でも、学校というのは近道を教える
場所ではないんですね。
先生は《跳べない人が跳べるように
なるために》知恵を出せと言うのです。

誰かが言いましたね。
まさにあれですよ。
時間がかかっても構わないから
全員で目標を達成出来る方法を考えろ
と言うわけです。
これ、いま考えても結構な
無理難題ですよね。(゚Д゚)
ですが、我々小学生は
知恵を出し合ってその無理難題に
対する答えを導き出したのです。
①跳べない人は縄に入る
タイミングがつかめないため
つっかかってしまうので、まずは
タイミングを覚えるために
跳べる人が手をつないで一緒に跳ぶ。
この方法でとにかく
跳ぶタイミングを体に叩き込みました。
そして、ひとりで跳べるようになったら
今度は跳ぶ順番を工夫します。
②苦手な人を得意な人が
サンドイッチします。
前の人が絶対に失敗しないと思えば
自分も自信を持って縄に入ることが
できるし、跳びやすいのです。
そして後の人のためにも早く
縄から抜けなければならないなど
責任感と緊張感を持って跳ぶことが
出来るようになります。
このときスポーツには
《仲間を信じる
気持ちと責任感》
これが何よりも大切だ、ということを
学んだものです。
そう、
我々が大縄跳びから得たもの。
それは集団が同じ目的に向かうとき
大切なのは《志を同じくすることと
それに対して一人一人が責任を持つこと。
そして、常に目標がぶれないよう
互いに励まし合うこと。》
つまり肝になるのはメンタルであり
元々の運動神経などはあまり関係がない
と言うことでした。
要するに、跳べない人がいる
と言うことは周りにも問題があったと
いうこと。
これね《家族》にも同じことが
言えそうですよね。
例え家族の中に家族としての
素質に欠ける人物がいたとしても、
その人が家族に欠かせないメンバーなの
だとしたら、やはり《外す》ことでは
問題は解決しない。
家族の目的を分からせ
自分の役割を認識させて
責任感を持って職務を全うさせる。
周囲にもそういう努力が必要です。
でもね、それが簡単じゃないのも
良く分かります。
『分からないヤツに
何度言ったって分かるもんか
(*`Д´*)!!』
そんなときは『ヘレン・ケラー』
を読みましょう。
あとはサリヴァン先生の精神
で根気強く教育するしかないのです。
伝記は時に我々に
知恵と勇気を与えてくれます。
現代社会は《時短》が
モットーですから。
仕事が出来る人ほど結論を
急ぎたがるのかもしれません。
でも、やっぱり生き物の成長には
時間がかかる、というのは
今も昔も不変の事実なのです。
《桃栗三年柿八年
柚子の大馬鹿十八年》
焦っても仕方がない、という
古代からのメッセージです。
こういう精神こそが、
今とても大切に思えてならないの。
ITやAIが著しく発展しているから
と言ってホモサピエンスまでもが
サイボーグのように意のままに
進化するわけではない。
現代社会において我々は
要求ばかりが先行し過ぎて
《人間の能力》の現実に苛立っているの
ではないでしょうか。
コンピューターは数年おきに
バージョンアップするのかもしれませんが
我々が育てたい《人間》という生き物は
そんなに劇的にバージョンアップする
ものではありません。
本来、妻も夫も子どもも親も
みんなが頭の中で思い描く理想郷の
住人のように、自分に都合良く動くもの
ではないはずです。
その現実を受け入れないままでは
《家族の悲劇》は繰り返される
ばかりに思えてなりません。
このままでは
《AIと結婚する》のが一番の幸せ
なんてことになりかねないなぁ。(´д`)
個人的にはそんなことを感じています。
パソコンの中でペットを
育てる時代ですから、家族も
パソコンの中で十分になって行くので
しょうか??
お一人様ブームなんてのもあり
必ずしも《家族》が生きていく上での
必須単位ではなくなって来たようです。
さて、それでも《家族》を
続けようとするならば悲劇を生まない
ために出来ることとは何なのか?
我々の試練は続くのです。(-_-;)