皆さまこんにちは、侍ままんです。
座右の銘は《なんとかなるさ》。
ところがねぇ、、、
この年になるとだんだん
《なんともならない》ことが増えて
来るものなんですね。(-_-;)
かつて髪を振り乱しながら
3人の乳幼児を育てていたあの日、
先輩ママさんに言われましたよね。
『残念だけど、
子育てが楽になる日は・・・
来ないよ。(*・ω・)ノ』
『(゚Д゚;)こ、来ないの???!』
人ってさぁ
いつか終わりがあると思うからこそ
今を頑張れるものじゃない??
それを、終わりがないってどゆこと???
(゚Д゚)
でも最近悟ったよね。
うん。楽になる日は来ないね。
(・ω・)
これ、ちょっと説明しますとね。
正確には楽になる方法はあります。
それは《あきらめること》。
そう、あきらめたら試合終了!!
でも、楽になるっていうことは
イコールあきらめるってこと。
試合を終了させれば間違いなく楽になる。
大人になると人は少しずつ色んなことを
あきらめながら人生の荷を軽くしていきます。
だって持てる荷物の量は決まっていますから。
これを俗に『夢がない』と言います。
でも、困ったことに親というのは
子どもの事となると《欲》が出るもので
何かとあきらめられません。
自分のことをあきらめて、その上
子どものことまであきらめてしまったら
何も残らないと思うからです。
これを俗に『夢を託す』と言います。
故に子どもを持つと
いつまでも楽にならないのです。
ここでもう一つ。
先輩ママさんに言われたことで
印象に残っている言葉を紹介しますと
『子供が小さいときって悩みも
小さなことなんだけど。(・ω・)
大きくなってからの悩みってもう!
デカすぎるんだからっっっ(´д`)』
その真意はつまり、、、
●子供が小さいうちの悩み=親の工夫や
努力でなんとかなる
→解決の余地あり
●子供が大きくなってからの悩み=
親が何かしたところで解決しない
→解決の余地なし
解決しないっていう
そういう意味で悩みは大きくなります。
でもあくまで母親には
解決能力はありません。
では、いつまでも楽にならない
母の状況をおさらいしてみましょう。
自分の夢はあきらめた
↓
子どもに期待する
↓
でも親が何かしたところで
子どもは親の期待通りにはならない
↓
憂鬱
このように我々は
子どもに期待をする限り
負のスパイラルから永遠に抜け出せない
のです。
このままでは残りの人生を
不満だらけで過ごす他に道はない。
『♪そ~んなの~は、
い~やだ!!』
というわけで
我々母親連盟(?)は今後
《なんともならないこと》にイライラして
寿命を縮める生活をやめようと思います。
これからは《なんとかなること》だけに
情熱を注ぎたい。
それはつまり再び《自分の夢》を持ち
自分のために自分で努力することに
他なりません。
ただここで問題が。。。
我が家の場合、長女さんは中3で
問題解決の主導権はほぼ本人にある。
が、以下次女さん・三女さんに関しては
まだまだままんの介添えが必要でしょう。
ここの加減ね。(-_-;)
ままんさん、こういうの苦手なの。
あっちにはこうして、こっちにはこう。
個別対応・・・ていうのかな

もうね、、、
性格が《十把一絡げ》ですから。
一人が独立したら、ついでに
全員独立しろや!!!!(*`Д´*)

意識を細かく分裂させることが出来ません。
して、とかじゃなくて出来ねえの。(・ω・)
ですから、今思うのは。
人間もツバメみたいに一度に生んで
一度に巣立ってくれたら楽なのに。(゚Д゚;)
三女さんが独立する日まで
あと何年かかるのか。
しかしままんはもうすでに、母親を
卒業したい気分でいっぱいです。
個人的には子育ては兵役と同じ分野だと
思っているのですが、15年お勤めすれば
十分過ぎるほどに義務は果たしたはずなの
です。
このあとはもう一度《個人》として
再び自分のために努力したい。
よって母業の方は『通信制』か何か・・・。
新しい形で出来ないか、模索中の
侍ままんです。
■結論■
子育ては下へ行くほど雑になる。
が、下へ行くほど出来が悪いとも
限らない。
子育てに正解はない。
By 侍ままん