実はこの夏休み中に
ままんはちょっとした
ハプニング
見舞われておりました。
滝汗




卓球男子シングルスを
大型テレビで観戦。
そもそもは?
健康診断のため、病院を訪れて
いました、ままんさん。
そう、
健康診断を受けたんですよ。



そこでね、
乳ガン検診もしたの。
超音波検査。
そしたらね、右左やるんですけど
左だけ、
やたら検査が
入念だった(゚Д゚;)




な、なんかあるの???(◎-◎;)
心配になるでしょう?



で、検査ってその場では
何も言われないわけよ。
彼らはあくまで検査技師。
診断は医師が下すものです。



でもね、なんかこの健診
前々から納得いかなかったんですけど
結果が郵送で送られてくるんです。



《異常なし》
は分かるにしても
《経過観察》とか
《要精密検査》とか
書かれてもイマイチ
自分の状況が良く分からない(;´Д`)



だって《要精密検査》
って書かれてても、注意書きには


※至急の精密検査が必要な
場合には紹介状が同封されて
おりますので・・・云々


って書いてあって
私のところには紹介状は
同封されていたことはないの。
じゃあ、この《要精密検査》って
どういう意味なのさ~(゚Д゚;)



このように
せっかく検査をしても
その結果を医者が
直接説明してくれないので
『結局、なんなの??ゲロー
というビミョーな
健康診断なんです・・・(T_T)



時短、人件費削減も
分かるんだけどさ~(◎-◎;)


そこ!!一番肝心なところ
なんじゃねえの???
(-.-)y-~~



って思います。



で、今までに何回か
受けてるんですけれど
いつも結果が良く分からなくて
毎回うやむやに終わってたんですよ。




それで、今回は検査の仕方が
明らかにあやしかった滝汗




そういうわけで帰宅してから
前回の診断結果を
見返してみたんです。
そしたら、
《左乳房要精密検査》
と書かれてたゲロー




のが、なんと2年半前。真顔




私、これずっと無視してたな。
多分よく分かってなかったん
だろうよ。
でも、検査受けろになってた。
でも、受けてねえ(´Д`)



なんかまずいのかな~えーん



そこから、考えましたよ。
今から2年半前に乳ガンの疑いが
あった。
それが、乳ガンだったのか
そうではなかったのか、私は
確かめていない。



もし、乳ガンだったとしたら
2年半が経過している。
ガンの場合、5年後の
生存率なんてよく聞くよね。
そしたら余命は
すでに2年半!!?
(◎-◎;)




色々考えましたよね~。
子供が3人もいますし。
旦那様は決して家事なんか
やらねえ人です。
子供たちと毎日ガチで
けんかしてるお方ですよ。
私が死んでこの家族に
平和が訪れるとは到底思えません。
チーン



しかしね
最後に思ったのは
考えても仕方ないので、
とりあえず精密検査を受けに行こう
ってこと。



で、行きましたよ。
宇都宮のゴットハンド?
とかいう噂の乳腺外来の
先生のところへ。



結果は《異常なし》



『毎年検査受けとけば
良いんじゃない?口笛
とかいうあまりにもあっさり
したものでした(◎-◎;)




ゴットハンド!!ポーン
軽いなっっっ!!



でもさ~
色々思いましたよね。
検査受ける前に、やはり
微妙な問題を含んでいる分野なので
問診票を書かされるんです。


《ガンが見つかったときに
あなたはどこまでを知りたいですか》


《病名、病状、予後一切を知りたい》



丸をつけました。
ちょっと涙が出そうになりました。
えーん
ままんには子供がいますから、
知らないわけにはいきません。
もし近々、治療をしたり
しなければならない可能性が
あるのなら
それは子供のためにも
知っておかなければならない。



でもさ、もし
子供がいなければそんなこと
知らない方が良いんだよ、
とも思ったわけです。



そもそも人は死に向かって
生きている。
いつか必ず終わりは来るけれど
それがいつかは誰にも分からない。



分かってしまったら
終わりしか見えなくなってしまう
気がするの。



そもそもが
誰もが終わりを知らずに生きている。
だとしたら『知らない』という
その状態が一番自然なのでは
ないだろうか。
そう、思ってみたり。




人は病気と知ると
自分が変わってしまったように
思うかもしれないけれど
本当は変わったのは
『体』じゃなくて
『知った』という心の方。




体はありのままを貫くだけで
それが、もともとの人生なんだと
思うのです。
いつかすべてを受け入れなければ
ならない日が来るのだとしたら
もうすでに、心の準備は
始めておかなければいけないのかも
しれません。



そうは言っても
痛いのも苦しいのもイヤで
健康なことに越したことはないえーん
今回痛烈に実感しました。



いま私たちに出来ることは
元気に生きている今を
当たり前と思わずに
感謝の気持ちを持って
生活すること
なんだと思いました。



元気なうちの過ごし方次第で
もしもの時が来たときも
心折れずに過ごすことが
出来るのかもしれないなあ、
と思ってみたり。



元気なのは当たり前じゃないし
病気になっても『私』は『私』。
そろそろそういうことも
考えておかなければならない
お年頃になった、
侍ままんでございます。m(_ _)m



備えあれば憂いなし》



皆様もご自愛下さい。