俗に【女の大厄】と呼ばれる33才。
私の33才をお話ししたいと思います。




と言うのも、誰が決めたか、女の厄年。
33の大厄を皮切りに、35、36、37。
前厄、本厄、後厄、なんて言って結局毎年厄年じゃ~~んヾ(。`Д´。)ノ
っていう嫌がらせのような伝統的??お約束。




でもですね、私の場合年女だった昨年は、ここにも散々書きましたが
空前絶後の【当たり年だったわけですよ。
風邪すら引かなかった。
これは一重に【愛の力】ですからね。(笑)
ナチュラルキラー細胞全開だったわけですよ。
そういえば去年の春は花粉症すら発症しませんでした。
すごすぎる。Σ(゚д゚;)
恐るべし【愛の力】




今年も後厄に当たりますが、出だし好調【大吉】頂いてますし(笑)
自分にパワーがあれば、厄なんてはねのける自信は十分過ぎる
くらいにあるわけです。負ける気がしねえ(笑)




それに・・・・わたくし、33で死ぬ思いをしました。(((゜д゜;)))
自分の中では、あそこで厄は【使い果たした】ことになってます。
ですから、もうあれ以上の災難は起こるはずもない。
というか、小さな災難なんて【屁でもない】体質に
生まれ変わっている
と自負しています。
いわゆる、解脱してます(笑)
なので、むしろこれ以降何があっても、多少のことでは驚かない自信
があるんですよ。




さて、そんなままんさんの33才。何があったのか。
とりあえず、毎日「今日が最後か・・・」と思いながら生きて
いました(笑)
大袈裟ですが、本当にそういう覚悟でした。




とにかく33才。三女のアトピーがマックスにひどいときでした。
顔は血まみれ。
目は腫れ上がり、本当の顔は誰にも分かりません。
姉たちに似ているのかどうか・・・そんなことを気にする余裕も
ありませんでした。
血液検査をすれば、あらゆる食べ物に抗体が見られる。
とりあえず牛乳と卵はアナフィラキシーを起こして、命の危険がある
ので完全除去して下さい。
他の食べ物に関しては、食べても差し支えはないのですが、あまりに
アトピーが良くなる気配がないので、大豆のせいか、お米のせいか、
小麦か、りんごか、みかんか・・・
もう何を食べさせても、何もかもが悪いような気がして、
食べ物を食べさせること自体に罪悪感を感じていました。



姉たちがヨーグルトやプリンを食べているのさえ、イライラが
つのります。こぼすなゴミはすぐに捨てろスプーンを机の上に
置くんじゃない食べかすを床に落とすな。


まあ、どれも無理な話ですよ・・・。
姉たちもまだ小さかったわけですし。
毎日がストレス満載でした。



それで夜中は三女さんがかゆがって、傷だらけの顔をかき
むしります。

その度に三女さんの両手を押さえるので、睡眠は細切れでした。
それでも朝になると、枕から布団カバーから、シーツからすべてが
血まみれになっているので、毎日洗濯機を回しました。
そのころの三女さんの思い出と言えば、あのなまぐさい血と
膿の匂いを忘れることは出来ません。
私の左肩はいつも血に染まっていました。
私にとって三女さんの匂い、といえば血の匂いです。




そんな生活でしたので、明らかに私は体調不良でした。
生理の度に吐き気と頭痛に襲われて、半日は動けませんでした。
でも子供たちの世話をしないわけにはいきませんよね。
いつも胸がシクシク痛かったり、お腹がシクシク痛かったり。
毎日「子宮がんだろうか」「乳がんだろうか」
心配していました。


でも健康診断に行く気力も、時間的余裕もありません。
そのうち、手先と足先がしびれるようになりました。
氷を触ったようにしびれて感覚がありません。
立ちくらみもするようになりました。
座って立ち上がったときではなくて、立っているときにフラッと
するようになりました。
「いよいよ、やばいな」
病院に行って血液検査をしました。
異常なし。
年齢的に脳血管の病気とは考えにくいし、検査上リウマチとか
でもない。
【自律神経失調症】
と言われました。
交感神経と副交感神経の、互いの働きが上手くかみ合って
いない、と。
そもそもアトピーの子は自律神経失調気味らしいです。
だからすんなり眠りに落ちることが出来ないんだとか。
つまり、自律神経失調気味の子に付き合っていたら、自分も
自律神経失調症になった、というわけです。


そのころ真冬でも、夜中にパジャマがびしょびしょになるほど汗を
かきました。暑くて起きてしまいます。
三女さんと一緒の布団で寝ているから、暑いのかと思っていまし
たが、それも自律神経失調症の症状だったんだと思います。
頻繁に起きては寝てを繰り返していたので、体が寝て良いのか
起きたらいいのか、混乱していたんですね。


手足はしびれるし、あちこち痛いし、生理の度に寝込んでいまし
たし、いよいよこれは長くないな、と真剣に思いました。
でもそこで思ったのが、
「私が死んだら、
誰が三女さんの面倒を見るのか。」

旦那様にはまず無理です。うちの母も無理です。
旦那様のお義母さんも体力的に無理そうです。
と、すると。
私が死ねば三女さんは生きていられないな、と思いました。
保育園やみなしごの家なんかでは、とても受け入れてもら
えそうにありません。


もしもの時は心中かもしれない。


冷ややかにそう思っていました。


でも、人間覚悟を決めるとですね、じゃあ、別に健康じゃなくても
体調不良でも
【とにかく、生きてれば良いんじゃないの??】
そう思えてきたんです。
それまでは、体調不良では生きていけない、長生きできない、
長生き出来なきゃ意味がない。
そう思っていましたが、「いいじゃん!!体調不良でも。長生きできなく
ても。今生きていればそれで良い。」
「生きられるだけ生きてみよう」
解脱しました(笑)



三女さんが生きている限り、私が生きて
私が生きている限り、三女さんが生きる




そういうことで良いんじゃないだろうか。
この辺りで、私は生まれ変わっています(笑)
つまり、一回死んでます。




そうやって気持ちが楽になったら、三女さんのアトピーも
突然良くなったんです。
前にも書きましたが、たまたま良くなる時期だったのかもしれません。
巷の本には、母親の意識を変えるだけでアトピーが治る!!なんて
いう本もありますから、それまでの私がいけなかったのか・・・
いろいろ憶測はあるんですが、こういうのを全部ひっくるめて私は
【たまたま治った】
と解釈するようにしています。
神様のおかげでもないし、私の行いが悪かったわけでもなく、
うちの家系が悪霊に取り憑かれていたとも思いません(笑)
【人生はなるようになる】
裏を返せば、なるようにしかならないのです。



なるようにしかならないのならば、それに抗わないで生きていく。
【侍ままんの自然に生きたい】
そういうことです。




こういうことを乗り越えてきて、いま思うこと。
【私にはもう厄年は来ない。】




人生山あり谷あり。
それは誰しも同じです。
スーパーで、おばちゃんたちの立ち話に耳を傾けてみて下さい。
「あんた、どこも同じよ」
「うちだってそうだもの、やんなっちゃう」
「がんばりましょうよ」




厄年。
【みんながそういう年ですから、
あなただけじゃない。】

そういう意味なんだと思います。