お正月の間に読みました。マララさん。




すごいね。彼女。
なにが?
なんていうか・・・ちゃんとしてる。
ちゃんと考えてるんだねえ。



10才の頃から教育について考えてるなんて、驚きですよ。
うちの子供ら、いつもどうにか学校が休みにならないか、
そればかり考えています。
なんと言ってもね、お父さんが立派な方なんでしょう。
お母さんもしかり。




大切なのは【疑問に思う】ってことなんでしょうね。
「なんで?」「どうして?」
そういう気持ちを大切に育てていくことが、賢い子供を作る秘訣
なのだと思います。
大人になると、往々にして「なんで?」って思いが薄れがちです。
「なんで?」って思ったら、理由と解決方法を考えなくちゃいけない。
面倒なんですよ。
だから、あえて考えないようにする。
「そういうものだ。」と思う。
それが大人のやり方です。




でも子供は違いますよね。
「なんで生きてるの?」
「なんで歩けるの?」
「なんで猫はしゃべれないの?」
「なんで夜になるの?」
「死ぬとどうなるの?」
世の中は疑問で満ちあふれています。
そういう疑問がわき出てくる、不思議に思う、それはごく自然なこと。
だから、子供は誰もが天才です、なんて言う人もいます。
まず、疑問を持つことが【学び】の第一歩。
大人は子供の学びのチャンスを、つぶさないようにしなければ
いけません。





マララさんは教育の大切さを訴えていますが、
それは【疑問を持つことの大切さ】と同じことだと
言えるのではないでしょうか。
世界には自分の生活に疑問を持つことさえ、許されない人がいる。
自分の納得のいかない人生の理由を、考えることさえ許されない
人がいる。
自分の疑問を口にするだけで、命が脅かされる環境の中で生活し
なければならない人がいるのです。
そういう事実を知ってもらうことが、マララさんの活動の真意なのでは
ないでしょうか。



日本もかつて戦時中は、自分の考えを素直に口に出せない時代が
ありました。何が正しいのか、考えることさえ許されない時代があった
のです。
そんな中、与謝野晶子らは懸命に呼びかけました。
【君死にたまうことなかれ】




マララさんの本を読んでいて、思いました。
『アンネの日記』にどことなく似ているな・・・と。
赤毛のアンのアンシャーリーや、身近なところで言えばさくらももこ
なんかにも共通するところがありそうです。
翻訳している方の、語り口調にもよるだろうとは思いますが、
鏡を眺めながら、夢見心地で自分自身と対話している場面や、
自分を取り巻く大人たちの、理不尽な言動に対しての憤り具合などが
みなさん非常に共通している気がします。





女はやはり【ことば】の世界で生きているのだと思います。
それは子育てをするに当たって、子供たちにたくさんのことを
教えなければならないから。
周囲の人間とコミュニケーションを取って、助け合って生きていかな
ければならないから。そのためには自分の内面を事細かに表現する
必要があるのです。
そのために神様が女性に与えてくれた贈り物
【ことば】。

いつの時代も【ことば】を巧みに使って、感情を表現するのは女性の
得意分野です。
時には怒りを、時には喜びを、時には感謝を、ことばによって周囲に
伝え、ことばによって結束を深め、社会を構築してきました。




女は【口から生まれた】なんて言いますが、まさに女から
【おしゃべり】を取ったら何も残りませんよね?
マララさんの訴えは世界を動かす、大きな主張ですが、
もしマララさんが静穏な国に生まれていたとしたら、マララさんの
つぶやきは世の奥様方の【井戸端会議】となんら
変わるものではなかったのかもしれません。



それくらいマララさんの主張は、ごく普通の訴えに思えてならない。
マララさんのつぶやきが、普通の女の子の【おしゃべり】になる
日が来れば、それは世界に平和が訪れたことの証明になるのかも
しれません。



誰だって平和が良いのです。



男の争い事、戦争の犠牲になるのは、いつだって女であるような
気がしてなりません。