最近、よく聴くのは、ひたすら昔の曲ばかり。
それで、観た映画もなんか古い。
基本、どれも90年代。

自分のここ数日の生活も「思い出行脚」っていった感じ。
特に、今日は想定外の「思い出」に出くわす。
しかも、自分にとっていまのところ一番楽しかったときの。
なんか、ふわふわ~な記憶。
さらに、流れてくるのはMONGOL800。
まさに、自分の今の思い出ブームとミックスしてしまった。
最初、ノドの奥がかゆい感じやったけど、今だから分かることがあってよかった。
単純に、あれはあれで楽しかったと思う。

でも、ここで、いつもの自分のように、ほんの少しひねくれてみたら、
じゃあ、あんときと比べて、今がどうなるのか。
冷静になると、「美化」してしまってるのかもしれない、というか無意識にしている。
これって、「昔」を時間を置いて見たとき、よく陥りがち。
前にもいったALWAYSをはじめとした「昭和ブーム」もその典型。
正直、そうした風潮に少し疑問を感じる。
もちろん、「思い出に浸る」のは悪くないけど、それで済まされないことも多々あり。

とはいいつつ、自分自身も、そのとき悔いがあったことを、今日の段階でそっちのけにしてしまっている。
結局、今からの「逃げ」なんやろっか。
でも、「浸っている間」がほんと楽しいのは間違いない。
だから、音楽も映画も行動も、そうして表れているのかもしれない。
やっぱ、自分って弱っちぃ。
「ヒトは一人じゃ生きていけない」
ってよく言う。
でも、人生の節目とかに
「大事なことは結局自分自身でしか決められない」
ってのもよく聞く。

そりゃ、地球上に何十億人もいれば、生きていると周りに助けてもらうことばかり。
周囲との接触は不可避になる。
でも、あんまりに頼りすぎると、居心地のよさもあって、
周りの存在がなくなったとき、もの凄い喪失感、孤独感ってのもある。

結局、前者の言葉は、やっぱ自己満足の域でしかないんかな、しかも一時的な。
で、現実は後者の部分が圧倒的。
となると、自分は前者の部分にすがりすぎたんかな、今回も。
自分にとって何やったんやろ。
それで、今までも大事なところは避けて避けてばっかで。


あー、なに書いてんだろ。
今まで、単なる強がりやったんやろーな。
たぶん、これからもそうなんやろうけど。
誰も知らんとこでは、こんな感じでいいんかな、どうかな。
虚しいだけやなー。

最近、本を読む頻度が加速度的に増している。
たとえるなら・・・
産業革命以降、人口増加グラフって感じ(笑)
あ、↓見たいな感じ。







一応、↑の産業革命のところが、大学入学の時期ってことになるんかな(笑)
ま、いまは今週末に向けてってのがあって、不可避な読書って感じですが。
卒論終わってからも、生活スタイルは変わらずで、
前に比べて、遊んだり、呑んだりってのもしてますが。
結局、図書館に入り浸りな感じです。
てか、そーやって本を読む時間がまとまってあるってのは学生の特権ですね。
あとは、それをどう活かすかですね。
それなのに、忙しいって言うのどうなんだろ。
てか、「忙しい」って3時間睡眠を5日連続しなきゃいけない状況くらいになってはじめて言えるわけであって、
それ以外は単なる言い訳でしょ、未だにそう思う。

まず、ネットにムダに時間かけたり、こうやってブログしてる時点で「忙しい」はずがない。

で、今週は、大学が試験期間になったってこともあって、
ちゃらんぽら~んなのも結構紛れ込んでたりしてます。
てか、図書館居るんなら、勉強せーや。
オトコふたりで、ケータイ観ながら、ヘラヘラ気持ち悪りぃーし。
外でやれ、外で、このどアホ。

っていっても、もしかしたら「図書館は勉強するところ」って思っている自分のほうが違ってるかもしれんね(笑)
世の中ゼッタイなんてないし。
ゼッタイといえば、本読んでいてもそーやけど、
よく物事って二元論で唱えられることって多い。
何かだーいぶ前にもそんなこと書いた気がする。
で、別に二元論で語ってもいいんやけど、
たまに、その片方しか信じねぇ、他には聴く耳持たずみたいな。
最近、特にそんな人多い気がする、自分もそんなとこあるけど。
でも、世の中どっちか片方なんて言い切れんことも多いし、
むしろ、二つに分けきれないのも多いわけで。

あー、わけわからんくなってきたけど、
要は、「ミギ」な考えであろうが、「ヒダリ」であろうが、どーでもいいやん。
別にどっちだっていいとこあるし。
小2くらいのときに、有り金はたいて、
セブンでヴェルディ川崎のトランプを買おうとしたときのレジのオバちゃんは、
「正社員」だろうが、「バイト」だろうが関係なく、
自分のなかで、あくまでレジのオバちゃんであったはず(笑)
(最近、旅行バックから見つけて、自分の物持ちのよさにビビったけど)
いつから、変に「色分け」したがるようになったんやろ。
どんなものであっても、いいものはよくて、悪いものは悪いわけで。
しかも、その選択肢の外にあるものの方が良かったりもするし。
そんなすぐに二元論で色分けしたがる自分がイヤでこんな書いたけど、
まー、世の中自体そんなもんやし、所詮そんなもんかなとも思えてきた。。。。。

てか、何に対してこれ書いてるんだろ、自己満足???
相変わらず、くだらーん。



あ、今までのと全く関係ないけど、、、

「ほっかほっか亭」を離脱 プレナス、総本部側と交渉決裂 5月から新店名
2月6日10時8分配信 西日本新聞


 持ち帰り弁当のプレナス(福岡市)は5日、「ほっかほっか亭」チェーンから離脱し、5月中旬から新たな店名で店舗展開することを決めた。商標権などをめぐり係争中の営業権管理会社ほっかほっか亭総本部(東京)との和解交渉が決裂したためで、今月12日にも新たな店名を発表する。全国の「ほっかほっか亭」約3500店の6割強を傘下に収めるプレナスが離脱することで、持ち帰り弁当業界の勢力図が一変する。

 プレナスは先月15日、2月5日までに総本部との和解交渉に進展がなければ、チェーンから離脱する方針を表明。これに対し総本部は「当社に直接、文書などは届いていない」などとしており、同日まで対立姿勢を崩さなかった。

 プレナスは既に新店名を決めており、今後、テレビコマーシャルなどで浸透を図る。

 ただ、プレナスが九州や関東、北海道で展開する約2200店のうち、直営を除くフランチャイズ(FC)約1200店は、総本部側が既に「ほっかほっか亭」での営業継続を働きかけており、どれだけ離脱に応じるかは流動的。両社による“争奪戦”は今後、本格化する見通しだ。

 両社の対立は、プレナスが2006年、弁当販売に関する商標権を総本部が侵害しているとして、損害賠償請求訴訟を起こして表面化。総本部は昨年、プレナスを相手に、運営手法をめぐる別の訴訟を起こし、静岡など東日本6県でのプレナスとのFC契約更新を拒否するなどしていた。


■ほっかほっか亭

 日本最大の持ち帰り弁当店チェーン。1976年に埼玉県草加市で母体となる店を開業。81年にフランチャイズ契約を管理する「ほっかほっか亭総本部」を設立した。85年に全国を東部、関西、九州の3つに分割する地域本部制を導入。99年に九州地域担当のプレナスが東部地域を受け持っていた企業を買収して東日本に進出。06年には関西地域担当のハークスレイが総本部の株式の過半を取得し、親会社となった。


=2008/02/06付 西日本新聞朝刊=



あの、ほっか弁がこんなことになるんですか。
せっかくの福岡企業なのに。
名残惜しい気もするけど。
てか、一人暮らししてるけど、意外にほっか弁って食べんかも。
大学入った時は、スゲー利用するんやろうなって思いよったけど、
年に、一ケタくらいの回数しか利用せんし。
むしろ、実家に居るときのほうがよく食べてた。
まー、これもそうやけど、やっぱ、世の中ってゼッタイはないんやね。
よく分かりましたー

最近、ニュースでは再生紙の古紙配合率の「偽装」が問題に挙がっている。
去年の食品の偽装問題から、今年に入ってさらに他の分野に入った状況だ。
てか、人間の命に関わる食品問題はともかく、
何で古紙の配合率うんぬんで問題になるのか。

・・・
それは、地球環境の問題に関わるからであろう。
たしかに、温暖化ガスの吸収源となる樹木が、
建築材や紙の生産によって削られているのであろうから、
世間が心配するのもわかる。

しかし、どうだろう。
本当の問題は、そんなところではないはずである。
もっと足腰動かして考えん限り、地球の環境なんてどーしよーもないでしょ。
その古紙の配合率然り、マイ箸然り、チームマイナス6%然り、
なんか環境問題に取り組むのが、「オシャレ」とか「ブランド」とかで考えていて、地球環境に貢献した「気」になってる風潮が正直強い。
特に、去年あるブランドのマイバックを求めて長蛇の列が出来ていたのはその典型だ。
あれ見たときは、売るほうも買うほうもふざけているとしか思えなかった。
緊迫感が無くて、能天気すぎる。
やけん、未だにやりたい放題な状況なんやろ。

はっきり言って、6%二酸化炭素減らしても、先進国のこの国の排出量の多さからしたら、抜本的な解決にならんやろ。
むしろ、毎年さらに排出量は増えとるらしいし。
半分くらい減らさん限りはもう取りかえしつかんやろ。
で、自分たちが好き放題やってて、結局被害を受けるのが貧しい国の人たちやったりするわけで。

しかも、今回のニュースでピーピー言ってて、
なんで、日ごろのスーパーやコンビニの大量の廃棄とか、
交通量の大通りの廃棄ガス多さとか身近なところに手を打たないのかわからん。
アタマのきれる幼稚園児でもそれくらい気づくし。
大量生産と大量廃棄の構図で世の中溢れていながら、
それに気づかんのがおかしい。

さらに、それでテレビの環境をテーマにした番組とか観ていて
「きゃー、北極の氷が解けてるー。」
とか
「どーしよー、マジで地球やばくない?」
とか言ってる人を見てたら、
お前がその破壊をやってる張本人だろ、って思ってしまう。

まぁ、一度「便利な生活」してしまったら盲目になってしまうんやろ。
その環境に直に触れているひとからすれば、
そんな悠長なこといえるはずもなく、切迫しているはずだ。
本気で地球を変えようとするなら、その要因を徹底的に省いていかない限り、
はっきりいって無駄あがきでしかない。


まぁこんな風に言ってるけど、
自分は環境保護論者とかじゃ全然なくて、
中学のときくらいから、
「環境保護なんて言ってるのは正直口先だけだ。」
っていう考えで、さめているのがずーっと続いているだけでして。
正直、どーにもならんでしょ。
だから、別にいまのまんまでやってくけど、
「環境保護」を声高に叫んでいる人たちの認識の甘さを、
今回のニュースで改めて考えさせられた。
年の瀬ですね、あっという間です今年も。
思い返すと、色々ありながらも、基本的なところは変わっていませんね。
変えるきっかけはいくらでも転がっていながらも、
自分自身がチキンなだけに、結局まんまです。

なんなんでしょうね、この結果は。
自分が「お堅い」考えでいつまでも居るからでしょう。
この文体からしてもまさにドンピシャでして。
相変わらずスマートな考えなんてできんし、
要領はよくないですね~。

正直、最近周りのことを聞いたり、観てたら、もうちょっと砕けてもいいんじゃねと思うわけで。
何か、何事もマジで考えてたら、後が持たんし、
テキトーであってもなんとかなるし。
それが人間なんでしょう。

ま、いいんじゃないですか。
「悔いはない」として、次を迎えるよりも、
なにか課題を課しながら、次に向けるほうが。
てか、結局解決に出来てないのが癪ですが。

で、「お堅い」のが特徴の私ですが、
自分よりさらにお堅い人間見ると最近ムカっとくるわけで。
なんで、そこで楽しまんのや???
なんで、そこで思いっきりせんのや??
やけん、グダグダなんや。
って、思ったり。
まぁ、こんなこと人に対して抱いている自体、自分がまだガキやし、
ウラを返せば、自らへの自戒になっちゃうわけでして。


はい、ということで、今から福岡帰りまっそよ。
今年も、恒例のアレやります、楽しみ~♪
なんか福岡の天気が雪らしいけど、
(相変わらずの雨オトコっぷり 笑)
明日の朝、じぃちゃん「見える」かな~。。。
2ヶ月ぶりくらいに目覚ましをかけずに寝てみた。
でも、6時間くらいで起きてしまった。
まぁ、そんなもんか。

でも、自分がこんなにヤワとは思わなかった。
肌は荒れるし、白髪は毎日見つかるし、体調は悪くないはずなのに戻してしまうわで、
始める前は、正直こんなになるとは予想だにもしなかった。
ま、自分が未熟な証拠です。
やっぱ、自分なんて好かん。
なんで、こうも「お堅い」わけ。
これじゃ、ほんとに4月からがあぶねぇよ。
こんな自分に時にマジでアタマにくることもあるし。
てか、こんなウジウジ書いている時点でうぜぇ・・・

とりあえず、昨日で一旦一区切りついたけど、
打ちのめされずにはいられないでしょう。
あー、怖っ。
所詮、人間なんて人前で見栄張って、ヘラヘラしてても、一人で居ると弱いもんで、
仕舞い、ネガティブにしか考えが至らん。

ま、いいじゃないっすか。
今日は髪切ったし、
(なんか最近そんなことばっか書いてる気がする、ワンテンポ。)
部屋、一気に片したし、
(別に、あんま家に寄り付いてないけん、散らかってまではなかったけど)
夜は、飲み会じゃないっすか。
てか、飲み会といえば、普段でさえ自分ウザいのに、酒入ると五倍増し位でウザい。
自分がキライなタイプの人間を、実は自分自身がやっててイヤ。
余計なことばっかで、呑んだ翌日なんて、本気で失せてしまえばいいと思ったり。


・・・
ま、所詮自分なんてこんなもんです。
こう思ってても、それを人に言わないだけましか。
この前の文もそうやけど、最近
「アタマよくなりてぇ」

「ひぃぃ~~」
を1日に10回くらい言ってる気がする。
アタマに関しては、ま~もとからヴァカなんで、
いまさらどーしよーもないですが(笑)
でも、なんせ土台がねぇーよー。
このブログタイトルもそうやけど
考えるうえで、知識はやっぱチカラになるものですよ。
まぁ、アタマがいい人はいい人なりの悩みがあるようですが、
ヴァカな人である自分は、悩みどころすら気づかないもので。。。

「ひぃぃ~~」
に関してはなんとな~くで、意味なんてない。
逆にあったらすげぇよ(笑)

で、知識を手に入れるうえで「本」の存在は欠かせないものです。
「本に使うお金は惜しむな」
とよく言われるものですが、
ふと、大学に入ってどれだけの本読んだかなぁと考えてみる。。。
(大学の課題等で読んだものは基本的に除く)
まず、今自分の隣りにある通称:本多クン(積み重なっている本たちのこと 笑)
をおおざっぱに数えてみると、
約70冊ほど。
(中には読んでないのもあったりするけど。。。)
あと、月に1,2冊図書館で借りていたなぁということを考えると、
約3,40冊。
と考えると、、、、、
大体読んだ数としては、100冊くらいでしょうか。

ん~、これって多いの、少ないの?
たぶん、「今の学生」としては少なくはないはず。
でも、「昔の学生」と比べたら格段に少ないはず。
そりゃ、それだけアタマに入る情報量がそれだけ少なくなっちゃうんだから、
学生がヴァカになっちゃうわな~(笑)
この国が「成熟社会」になっていることでの安定感からきているのでしょうかね。
そこらへんは、わかりましぇーん。
それより、改めて本からインプットした情報を処理できずにいるなぁ、自分。
それじゃぁ意味無いっしょ。
まえに、『声に出して読みたい日本語』で有名な斉藤孝の本で、
「その本を他人に説明できるようになって初めて内容を理解したことになる。」
って書いてあったけど、しょーじきどーだろ。
あんまり出来てない、それ。
それだけ、自分のアタマの悪さを露呈しちゃってますね(涙)

で、ここ3,4ヶ月は夜寝る前に何かを読むのが日課。
で、基本的には小説が中心。
きっかけになったのは、8月ごろに読んだ村上龍の『半島を出よ』。
それまでも、もちろん小説は読まないわけではなかったけど、
これ読んで、自分の中の「小説熱」が加熱してもうた(笑)
村上作品に関しては、
「常識」の疑問符を投げかけてくれる。
ほんと、それを普段の生活に置き換えると、
自分がいかに「常識」に捕らわれているかがわかる。
例えば、今だとゴハンは朝・昼・晩食べるのが当たり前。
でも、江戸時代のお百姓さんなんてのは朝・夜だけだったという話を聞いたことがある。
この「常識」への疑問符はたぶんこのひねくれた年代だからこそ、
感性としてあっているだと思う。
たぶん、5年前に知っててもチンプンカンプンだし、
30歳くらいで知ったら拒否反応示す気がする。
こういった感性は、一見関係ないようで卒論なんかにもおそらく役立っている。
あと、彼に関しては下調べの凄さに驚かされる。
参考文献の量もそうだけど、それをインプットした内容の緻密さはただただ感嘆。
そんなこともあって、小池栄子と経済番組の司会もやっているのだろうが、
その発言も的を射て感心した。
たぶん日本の作家においてテレビ番組の司会をやれるのは彼のほかいないだろう。

それで、最近の小説熱から気づいたことがあるのだが、
小説は決して「文章のプロ」が作り上げるのではないということ。
著名な作家の経歴を見ると
さっきの村上龍は武蔵野美術大中退だし、
最近流行りの東野圭吾は工学部出身の元エンジニア。
松本清張は大学出ではなく、印刷工からの転進。
決して、小説は「文学部」のものでないことがわかる。
やっぱ、文としての常識に捕らわれないことがヒット作として世の中に評価される要因なのかもしれない。

改めてすげぇな、自分の思っていることをちゃんとアウトプットして表現できるのって。
この文もそうやけど、自分はそれをするのヘタクソ~。
あ~、アタマよくなりてぇ~~~。。。
んぁ~あぁ~あ~。
あれ、半年前にケリつけたんじゃなかったっけ???
いわゆるフラッシュバックですかね~。
どーよーするまでもないでしょ。。
ちょーよわぇ。。
たぶん、そこら辺の中学生と変わんねぇ、自分。
でも、あれは偶然か必然か知らんが、さすがに参る。。


あ~、アタマよくなりた~い。
ヴァカだな~自分。
てか、なんか書こうとしたけど、寝ましょ、もう。
九州にロフトお目見え 福岡市・天神

 生活雑貨大手で、九州初出店となる「天神ロフト」が15日午前、福岡市中央区渡辺通4丁目に開店した。開店前から約350人が列をつくり、期待度の高さをうかがわせた。安森健社長らがテープカットと、くす玉割りを行いオープンすると、初日から大勢の買い物客でにぎわった。

 天神ロフトは、旧ジークス天神ビルの1-7階で、店舗面積約5500平方メートル。20代-30代の独身女性を主な客層に見込む。トラベル用品、アクセサリー、健康雑貨、家庭用品、インテリア、バラエティー雑貨、文具、子供向け雑貨など7万種類がそろう。橋本茂宏館長は「福岡は成熟市場。手ごろな物から高価格帯まで、商品を充実させた」と自信を見せた。

 ロフトは、天神ロフトを含めると全国で計41店を展開。福岡市・天神には、10年ほど前から出店を検討しており、念願の進出となる。天神ロフトは、九州の旗艦店として年間売上高35億円、来店客数400万人を見込む。同社は今後5年間で九州の各都市に10店程度を出店する方針。

=2007/11/15付 西日本新聞夕刊=



ということで、地元福岡にロフトが出来たらしいです、前ジークスだったところに。
ついでに、東急ハンズも博多駅に出来てるみたいですね。
世の中便利になったもんです。
確かにああいう店って見てるだけでも時間潰せるもんね。
今年も東京と広島で寄ったけど。
でもなー、田舎者としてはこういったのは、関門海峡渡って欲しくなかった気がー。
本州方面への旅行の楽しみがなんとな~くへった気が。
てか、福岡はインキューブがあるけん、敢えて必要ないような気もするけど。

まあ、田舎と都会の差がこういった感じで縮まっていくのはいいけど、
どっこの街も同じてのもねぇ、それもなんかつまらん。
高校のとき、学校の近くに九州最初のドンキが出来たときもビックリやったけど、
今じゃ当ったり前やしねぇ。
やっぱ、資本主義社会です、拡大方針は至上命題です。
そして、同じフィールドで争ううちに、飽和状態になって、勝者と敗者、前者が抑圧者として立ちはだかるという構図に。
意図して無くても、自然にスクラップアンドビルドとなるのですね。
結局、行き着くのは二極化ですか、へぇ~。
やっぱ、体裁は平等性を繕ってるけど怖いね、資本主義って。
かといって、その先のナントカ主義ってのも空想だけどね(笑)

最近、テレビを観る時間がめっきり減ったような気がする。
それは、いい傾向か悪い傾向かわからんが、
それでも未だに亀田兄弟の話題がワイドショーを飾っている。
亀田大毅と内藤のあのいわくつきの試合があったのが、10月11日。
それから、3週間ちょっと、謝罪までしたのに未だに騒動は続いている。

思い返せば、そのまえのワイドショーはエリカ様問題で持ちきり。
さらに、その前は朝青龍問題と相撲の虐待問題が連日の話題の中心だった。
これらのことは、わずかここ2,3ヶ月の出来事。
さらに遡っていけば、ホリエモンや村上ファンドの事件までになると、
あれほど騒いでいたのに、今や化石的なことになっている。

まず、今回の亀田問題について言えば、
問題視しているのが、あの試合自体なのか、それともあの家族を標的とするのかで、
矛先があやふやになっている。
正直、試合自体については試合数日後に、本人と親父さんが会見を開いたことで決着がついているはず。
自分のなかでは形はどうであれ、この問題はそれで終わらせるべきだと思っていた。
それなのに、改めて長男を公の場に持ち出しているのは、マスコミ側の話題づくりというか、暇つぶしにしか見えない。
質問内容もあまりにチープで、メディア側の責任を隠しているようにしか見えなかった。

個人的に、去年まで彼らと同じものをかじる程度だがやっていて思うのだが、
正直、本人が負けようと思ってやるわけはない。
それは、あの家族の練習のストイックさを見れば一目瞭然。
むしろ人並み以上のものをやっていると思う。
でも、ボクシングだけで飯を食えるのは世界ランカーくらいのもの。
内藤でさえも、世界チャンピオンになるまで、バイトとの掛け持ちだった。
そんな世界で競技に専念するためにも、メディアでのパフォーマンスで金を稼ぎ、
そういった意味で、あの家族も、マスコミも、ボクシング界も恩恵を受けてきたはず。
今回のバッシングはそういったものを全く無視している。
たった少しのというのではないが、ズレを突っ込むのは最近の世の中の風潮。
今までにマスコミに叩かれた人たちも、異端児的な存在で担ぎあげられながらも、
そのズレが目盛りを振り切ったらすぐにぶっ壊された。
さらに、そのぶっ壊したものでもてあそんでいる。
星野仙一氏曰く「周りが悪い意味でねちっこい」といっていたが、そのとおりだ。

まぁ、その象徴が「めちゃイケ」かななんて思ったりもする。
もちろん、あの番組面白いんやけど、
罰ゲーム的な要素を必ず盛り込んで楽しんでいるいるところは、
今のメディアの動き方と変わんない気もする。
2ちゃんねるをメディアは批判するけど、やっていることの根本はどれも一緒。

この国って、「温故知新」に重きを置いて、儀礼的なものを大事にして、「守破離」というもので新しいものが築かれてきた。
それが、儀礼的なものじゃ不満らしく、「出る杭は打たれる」どころか「出る杭はそれ自体元々無かった事にする」という風潮になった今、
本当の意味でのヒーロー・ヒロインはもう出てこないんじゃないかと思う。
ほんと、映画とか観て、昭和30年代はよかったぁ~なんて言っているのがバカらしい。
今も見えとらんのに、昔を美化するのはお門違いもいいとこ。

ま、こんなことひとりでダラダラ言っていても何にもなんないからもうやめる。