自分で思うより、愛されていたのかも | 自分とていねいに付き合う

自分とていねいに付き合う

日常を通じて「自分とていねいに付き合う」を体現していきたいブログです♪
というテーマでずっと書いていましたが…

2024.4 夫の小腸癌が発覚
2025.9 旅立つ 54歳
という経験を経て、夫のことや、夫のいない日常を書いていくブログになりそうです。

長男の卒業式の前には

職場との別れがありました。

 

退職あるあると思うのですが

 

自分で決めたことなのに

いざその日が迫ってくると

なぜか急に職場の居心地が良くなり

このまま続けても良かったんじゃないか、なんて

迷いが出てきたり(^_^;)

 

でも何回も自分に問いかけての結論なのでね。

 

3年弱しか在籍していなかったのに

こんなに素敵な花束を頂きました。

 
退職当日にお休みだった同僚に
お礼のメールを送ると
 
「たくさん助けてもらって感謝してます」という返事が。
 
そんなー。
こちらの方が助けてもらっていたのに。
 
自分が思っていたよりも
もしかして
私は愛されていたのかもしれない。
 
 
そんな余韻を多少持っての
昨日の息子の卒業式。
 
役員の時に同じだった人が
声をかけてくれたり
 
この人だけは挨拶しておきたい、と思っていた人は
皆さん声をかけたら手を空けて話してくれたり、で
 
社交的でない私は
一人で手持ちぶさたになることも多いし
孤独だな、と思っていたけれど
 
数の多少を気にしてはいけない。
私の事を気にかけてくれている人はいる。
 
そんな思いを強くしたのでした。
 
 
まー、息子の卒業式に関しては
そもそも主役は子供なので
私が手持ちぶさたであろうが
正直まったくもって無関係だな、とは思うのですが、
 
幼稚園時代、いや公園時代からの名残りで
なんとなく一人でいると
浮いている自分を感じて
どうにもいたたまれなくなってしまうのです(^_^;)
(↑かなり自意識過剰だな、と時々自分でも思うのですが)
 


声をかけてくれる人がたくさんいることが、
きっと自分の理想だったと思いますが、

理想じゃない現実の自分もいいじゃん、って
少し思えましたよ(o^-^o)
こういう瞬間は、めったにないのが残念ではあります(^_^;)



最後までお付き合い下さって、ありがとうございました♪