こんばんは(*^^*)
今は「自転車」の英単語を
「bicycle」ではなく「bike」と習うと息子から聞き、
世代の差に驚いているチーです(^_^;)
今日、仕事を終えて
子供の授業参観に向かう道すがら、
昔は参観を見に行くだけで、とっても緊張して
家に帰ってからグッタリ疲れて、
晩ご飯作るどころじゃなかったなぁ、と思い返していました。
子供が三人いると、顔見知りのお母さんも多く、
顔を合わせたときに誰とどれ位しゃべるか。
何をしゃべればいいのか。
どういう風に会話を打ち切ればいいのか。
こんなことに全神経を使っていました。
そら疲れますわね。
今から思えば滑稽ですらあるんですけれど、
その頃は必死でした。
私はきっと、
「誰彼ともなくお喋りを楽しみ、
必要な情報はいち早く手に入れていて、
人脈、人望があるお母さん」
という自分が思う理想の「お母さん像」になりたくて
でも、理想を演じ切れなかった自分に疲れていたのだな、と今は思います。
また思いは変わるかもしれませんが。
頑張っていろんなことを勉強すれば「理想のお母さん」に近づける!
そんな思いもあって、子育てコーチングを学び始めました。
(子育てに自信を持てれば、おのずと人間関係も変わる、と思っていたのですね。当時は。)
でも、学べば学ぶほど上手くいかない。
もちろん子供に対しては、とても有効に働きました。
・・・今、思い浮かぶ言葉で誤解を恐れずに言えば
子供に良くすれば良くするほど、それが結果に表れるほど
「私は大事にされていない」と無意識に
私の中の小さい子供が叫び始めていたように思うのです。
それだけ自分のケアを後回しにしていたんですね。
私は、母親っていうのは、主婦っていうのは
自分のことは一番後回しにするものだ、と思っていたし
それで私も納得している、と思っていたのですが
心の奥では、全然納得していなかったようです。
それでやっと、
自分自身の問題をまず解決しなければいけないんじゃないか、と思って
学びを始めました。
だいぶ話がそれてしまいましたが、
今日は何を思ったのかというと
私は算命学で「寅卯天中殺」なのですが
この「寅卯天中殺」は方角で言うと東の部分が欠けている、ということで
東の方向が示すのは社会、母親、兄弟、友達なのですが
この部分が欠けているので、
友人・兄弟・母親と合わない方が本人は生きやすい、と・・・
むしろ無理にみんなに合わせようとすると悩み、葛藤が生じる、と・・・
このことを思い出したんですね。
今でも上に書いたような私が思う「理想のお母さん」じゃないか、という方を見ると
胸がざわざわしますが、
(それも私が勝手に思っているだけなんですけどね(^_^;))
合わないのが私にとっては自然なんだな、と思えるので
昔ほど参観が苦痛ではなくなりました。
(それと、そもそも私、数秘でも群れる数字ではないのでした。)
苦痛だったのに、どうして行っていたかというと
やっぱり子供が学校でどう過ごしているか、気になるんですよね。
なのに周りのお母さま方が気になるという・・・。
本末転倒ですね。
昔は「子供を見に来てるんだから」と一生懸命
気持ちを子供に向けていましたが、
今はそんなに頑張らなくても、
子供に意識を向けることができるようになってきました。
これってでも、子供が大きくなってきて
親とベッタリではなくなってきたことも、きっと大きいんだと思います。
今でも幼稚園で、
子供どうしでうまくコミュニケーションが取れなくて
親が介入しなくてはいけなくて・・・
という状況が続いていたら、私は今でもしんどかったかもしれません。
子供が成長するって、ホント必要なことよね、って
ちょっぴり思ったのでした。
長々と失礼しました。
最後までお読み下さって、本当にありがとうございましたm(__)m
