今年、自分でも印象的な
特に感情が動いたこと。
それは自分がどもる、ということ。
タロットでもカウンセリングでも
過去に思うように行かなかったこと、
悲しかったこと、悔しかったこと
ありますか?
と聞かれて真っ先に出てくるのが
どもって言葉が出ない事、という答え。
自分ではどうにもできないもの。
過去にあったことを思い出しながら
話していくだけで
涙がみるみる溢れて、止まらなくなっていく。
この間のカウンセリングでは、具体的に思い出すのが辛く
初めて「もう思い出したくありません」と言ってしまった。
でも課題や宿題をこなして
どもるからダメな人間と思われるわけではないし
嫌われるわけではない。
ということは大分わかってきた。
じゃあ、どもりをとった私って?
何が残るの?
どもりが無ければ万々歳?
ある意味、その方が恐ろしい。
自分に自信がなくて
すぐに心が折れるから
必死でよろいを作って自分の心を覆って
今思ったけど、その「よろい」が吃音なのかもしれない。
自分への自信のなさ
悲しさ
悔しさ
を、全部どもりに凝縮して
必死に自分を守っているのかもしれない。
なんだ、守ってくれてたのか。
吃音、というよろいの中には
まだまだフニャフニャした
ひ弱な私が隠れている、
そんな図が頭に浮かんだ。