今、家計についての勉強というか見直しというか
を一年計画でしているんだけど、
FPさんにいろいろ質問されることで
「これは自分の思いより旦那とか周りの人の思いを酌んでやったことだったな」
と思うことがままある。
(①周りの人の思惑に応えなければならない)
↑
どうしてそう思うかというと、結果それで家計が苦しくなっているから(^_^;)で、他にも
家族全員の願いを何とか叶えたい、と一生懸命に
自覚はなかったけど「頑張って」たんだな、ということに気付き
感極まってしまったこともある。
(②いつも頑張らねばならない)
FPさんはFPさんの視点で
「こんな風にもできますよ」と言って下さることを
私の中では「言われた通りにしなければならない」(③)と変換してしまっていて
でも現実には難しい面もあるので、
言われた通りにできないことで
悲しく思ったり
「こいつ、できひんヤツやな」と思われるのが怖かったり。
でもFPさんは
「私の言った通りにして下さい」と言ってる訳ではなく
むしろ困った顔の私に
「私はFPとしての視点で提案しているだけなので、
その通りにしなくてもいいんですよ。」
と言って下さって。
だから、私も自分の「~ねばならない」に気が付けたんだけど。
まだ見直しはじめて間がないけど
こんなにポロポロ「~ねばならない」が出てきたことに
ただただ驚いている。
大分、楽に生きられるようになった、と思っていたけど
まだまだ あるものなのね。
「~ねばならない」
そういう意味では、お金って自分自身だな、と思う。
お金との付き合い方が、自分自身との付き合い方というか。
そんなことは今まで全く思っていなかったけど
思わぬ副産物で、
お金の世界も思ってたより深いのね、と思っている今日この頃。
掘ればザクザク出てくるかも
「~ねばならない」(≧▽≦)
昨日の記事に書いた
私が持ってる自分自身へのイメージ
「いつも積極的に動いている」も、
もしかしたら
「動いていないと、(人から)認められない」っていう
思い込み、
逆に言えば
「人から認められるには、いつも動いていなければならない」という
一つの「~ねばならない」かもしれないですね。