意外と大きな存在 ② | 自分とていねいに付き合う

自分とていねいに付き合う

日常を通じて「自分とていねいに付き合う」を体現していきたいブログです♪
というテーマでずっと書いていましたが…

2024.4 夫の小腸癌が発覚
2025.9 旅立つ 54歳
という経験を経て、夫のことや、夫のいない日常を書いていくブログになりそうです。

昨日の続きです。




若い頃には、どもるから人とうまく話ができないんだ、

と思っていたけど、



いろいろな経験をしていくうちに

あまり人と群れない、とか深い付き合いを避ける、とか

そういう性質が自分の中にあることに気づいて、



どもるからではなくて、性格的なものなんだな、と

思うようになっていた。





でも、心理的な本を読むと

ほとんど当てはまるんだけど、「どもる」という大前提が見つからず


吃音関係の本を読むと、

どもる人みんながコミュニケーションを苦にしているわけではなく、

そうなると性格的な問題かな、と思うしで、


答えが見つからず、そのままになっていた。



原因探しをするよりも、

現実に対処していくことの方が重要だ、みたいなことを

言われたこともあったし。




ただ昨日は、どもりそうだから発言を飲み込んでること

結構あるな、と感じた。







それともう一つ、電車の中で思ったこと。




それは

「私だって本当はわかってるのに!!答えられるのに!!」



なぜだかすごく悔しくて。

こんな思いをしたことは久しくなかったと思う。





やめられたらそれに越したことはないんだけど、

どもることをやめることはできないから、


どもりとうまく付き合おう、と思ってやってきた。




でもホントのホントは、

どこかでどもる自分のことを歯がゆく思っていたのかもしれない。


抑えてきた感情が出てきたのかな。






公的な場だとか、緊張して当然のシチュエーションなら

逆に開き直ることができやすかったりするし、

どもることでかえって感動を呼ぶ場合もあると思う。

(かと言って意識してどもることはできないけど)




でも雑談となると、それが難しい。

どもらない人ならば緊張せずに話せる場面が、

私にとっては一番緊張する。

(特に子供つながりの母親関係)





というわけで、「どもる」ということが

意外と大きな存在だったんだな、と気付いた


という話でした。





本当は「意外と」じゃないよね。