意味がある | 自分とていねいに付き合う

自分とていねいに付き合う

日常を通じて「自分とていねいに付き合う」を体現していきたいブログです♪
というテーマでずっと書いていましたが…

2024.4 夫の小腸癌が発覚
2025.9 旅立つ 54歳
という経験を経て、夫のことや、夫のいない日常を書いていくブログになりそうです。

もうすぐ娘が卒園。


上の子から数えて9年。長かったなぁ。ようやく私も卒園を迎える。



9年の間に何があっただろう。


あらためて振り返ると、本当にいろんなことがあったような気がする。





思えば、子どもが幼稚園に入って、周りのお母さん方との


適切な距離の取り方がわからなかったことが


結局のところ最大の悩みだったと思う。





みんなとうまくやらなければ、と思って


でもうまくできなくて


自分を責め


自分はどこかおかしいのではないだろうか、


これは病気?それとも何らかのコミュニケーション障害?




でも、そうじゃなくてただ単に自分の資質が悪いだけなら


もう立ち直れない、と病院にも行けず


一人で家で泣いていた。




こんな母でごめんね。こんな妻でごめんね。


こんな私が家族を作ってしまって申し訳ない。


もうどうしたらいいんだろう? 取り返しがつかない。


こんな私がいる家族のみんながかわいそう。


どうみんなに償ったらいいんだろう。



と、本気で思っていた。




どもることも含めて、自分をさらさないから


人と打ち解けられないのかな、と


自分を奮い立たせて幼稚園のサークルに入って


どもることをカミングアウトしてみたりもした。




でも、カミングアウトしようがしまいが


やっぱり合う人と合わない人はおり、


そこの判断ができないまま


カミングアウトした後味の悪さだけが残り、サークルもやめた。





ううっ、思い出したら何だかしんどくなってきてしまったあせる





で、今はどうなのかというと


うまくやることは諦めて、一人でもいいや、となかば開き直っている。


話せそうな時に、話せそうな人と話したりしている。


でも、寂しいと思う事はしょっちゅうあるし、毎日の送り迎えは苦痛。


ただ、あきらめた。




そんなこんなで、試行錯誤しながらいろんな学び、気づきが始まっている。


少しずつ、楽になってるな、と感じるときもある。





辛い想いを抱えていたからこそ、


学び、気づき、そして楽になった幸せを感じることができる。


だから、この経験があって良かった。



・・・とは思えない。

今でも、思い出すと辛いから。




吃音に関してもそうなんだけど、


「どもりがあったから良かった(どもりでなければ、できない体験をできている)」


という風に私はなかなか思えなくて、


やっぱりスラスラ話すことができるのであれば


一度くらいは「この言葉、つまるかな?」と考えないで話してみたい、と


思う気持ちは正直ある。


「良かった」と思えないことが、逆に自分を責める材料にもなっていたし。






でも、いま確実に言えるのは、


どもることも、幼稚園ママ時代の辛い思い出も、


私にとっては意味のあることだったんだろうな、ということ。


そして必要なことだったんだろうな、ということ。




「良かった」とは思えなくてもいい。


これから生きていく上で、いつか役に立つことがあるかもしれない。


それで充分・・・かもしれない。(言い切れないところがまだまだ弱い私(;´▽`A`` )