自己分析をしていると、ますます自分がわからなくなってきた事があります。
自分を知るとは「好きな事」「嫌いなこと」「長所」「短所」たくさんの自分の特徴を振り返ります。
そして自分の特徴から、企業にアピールしたい自分の強みやその強みを企業にどういかすか、数年後の自分の将来像まで、様々な事を考えだします。
僕は大学生中にやってきた某団体の委員長という職に就いていた時に、その団体の改善すべき点を考えることがよくありました。
その点から、自分は「問題解決能力」なんて強みがあるんじゃないかなんて勝手に思い始めました。
自分自身に問題解決能力がないなんて事が心のどこかでわかっていました。
しかし、就職活動において自画自賛の強みがなければESすら書けないので「ないはず」の長所を無理やり作り出しました。
結果的にできあがったのは「本当の自分」ではなく「就職活動のための自分」でした。
僕は自分の特徴を自己分析するとき「こんな長所があったら就活で役立つだろうな~」などと考えて自己分析をやっていたような気がします。
まだ就活はこれからですが、この考えが自己分析にあたって全ての間違いだったと思います。
なぜなら、所詮背伸びをした自分の強みであるので、なぜそう思うかという根拠を考える時、さも筋が通っているかのようにさらに背伸びしなければならないからです。
自分の嘘を守るためにさらに嘘を付き、結果的にはまったく別の人の話をしている感覚になります。
だから、未来の自分が想像できない。赤の他人の将来像を想像できないのと同じで。
もうひとつは、本当にその強みを持った人に出会った時、自分のちっぽけさに気付かされます。
企業セミナーへ行くと旧帝大クラスの人と会うこともあるので、そのようなクラスの人の能力をこの目で実感したとき自分の嘘でかためられた自称問題解決能力はボロボロにくずれさるからです。
ここで、ひとつの疑問が生まれました。
「長所」ってなんだろう。「強み」ってなんだろう。
辞書で引くと「性質や性能などで、すぐれているところ」と書いてありました。
では、何に対してすぐれていたら長所なのでしょうか。
どこにでもいる中学生のA君は数学が得意です。模擬試験では5科目の平均偏差は50であり、数学の偏差値は55あります。
一方、秀才のB君は数学が苦手です。模擬試験では5科目の平均偏差は65であり、数学の偏差値は60です。
A君だけの得意科目ならば数学が得意となりますが、B君と比べた時、A君の数学は自信を持って得意科目となりえるでしょうか。
長所とは、自分自身の中の優れている点だよという声もあるかもしれません。しかし、事実、就職活動において周りを競い合わなければいけないという事実があります。
そんな事実があるのに、なんの取り柄もない自分には「長所」なんて何もないんじゃないかと考えれば考えるほど思えてきました。
嘘でかためた自分、他人と比べた時、長所なんてなにもないんじゃないかと思う自分。
そんな時に、ベテランの社員一人と新入社員一人と学生10人ほどの野村証券の座談会でベテラン社員に言われた一言がこの悩みを変えました。
新入社員の人は僕と同じ大学の理系で、経済の知識もゼロに近く、英語もできるわけではないし、新聞を読んでいるわけでもない。
しかし、野村証券という証券会社のトップ企業に内定をもらうことができました。
話を聞いている限り、ずば抜けて人より喋りが上手いというわけではないです。
新入社員が言うには「なぜ自分が内定をもらえたか。日経を読むとか、英語を勉強するとかよりも数年後、自分がどうありたいか将来像ばっかり考えていたからかなぁ」と言っていました。
それに対してベテラン社員の言った一言は
「就活の本質はそこ。大学生中に学んだ事なんて社会人になって学ぶことに比べたら本当にちっぽけなんだよ。簿記の資格持ってる?経済の知識がある?英語ができる?作業が早い?だから何?って思う。大事なのは思い。強い思いだよ。数年後自分がどうありたいか。どんな知識があろうと社会人になって通用する奴なんて一人もいない。社会人から見れば、学生の能力なんて大差ない。強い思いがあれば、今まで20年間で学んだことの差なんてあっという間に埋まるんだよ。」
つまり、社会人から見れば学生の中で能力があるかないかなんてどんぐりの背比べにすぎない。
どちらも社会人になって通用するレベルではないということ。
ポイントは社会人になってその差を埋め尽くすほどの強い思いだということ。
そのためには、嘘でかためたちっぽけな問題解決能力を持った自分などなんの意味もないということ。
今の自分を認め、自分が心の底から思う嘘偽りのない特徴を見つけ出し、そこから明確な将来像を探し出す。
自分は嘘の天才ではない。
本当の自分で就活を勝負するしかない。