雪国では必需品の消雪パイプですが...
このシステムを開発したのは、長岡市出身の企業の創業者でした。
消雪パイプ 誕生秘話
消雪パイプの発案者は諸説あるが、元祖・柿の種で知られる浪花屋製菓の創業者で、新潟県長岡市の市議でもあった今井與三郎が、周囲には雪が積もっているにもかかわらず、地下水の滲みだしている箇所にだけ雪が無い事に目をつけ、昭和30年代に考案したとされる。更に試験設置の費用を用立てたのは、今井の知り合いの割烹の店主であった。
今井は 井戸から温かい13 ℃の地下水を汲み上げ、これを長岡市の公道に散水して雪を解かす装置を設置することを訴えて、1961年(昭和36年)にこれを実現させた。
長岡市は、1963年(昭和38年)1月30日に観測史上最高の3 m 18 cmの積雪を記録し、 市は完全に雪の中に閉ざされた が、消雪パイプを設置した延長3.7 kmの道路だけはアスファルト路面が現れたままで、消雪パイプの絶大な効果に誰もが驚いたと伝えられている。
雪に埋もれた長岡市(1963年1月)
38豪雪で、雪が降り積もった長岡の市街地です。1階部分は完全に雪に埋まっています。人々は2階から出入りしている状態です。
除雪した雪が路肩に積み重なり雪の壁になっています。
画像はネットよりお借り致しました。
完全に雪に埋もれた商店が連なる通りです。
画像はネットよりお借り致しました。
現在の消雪パイプ概要
因みに、浪花屋製菓とは?
1923年(大正12年)に創業者の今井與三郎が現在の長岡市四郎丸にせんべい屋として開業する。その頃、昔ながらのうるち米でせんべいを作っていた與三郎のもとに、当時 與三郎の店に取り引きで出入りしていた関西出身の青年が、もち米からあられを作る製法を教えたことがきっかけで「柿の種」の基礎を発案。独特のあの三日月型は、せんべい用の小判型の型を與三郎の妻が踏みつけて変形させたことから誕生したと伝えられている。
その後、試行錯誤を繰り返し、翌々年の1925年(大正14年)に大阪のあられ作りを指南した関西出身の青年に敬意を払い、屋号を浪花屋とし、柿の種を商品化。発売と同時に爆発的なヒットとなったといわれている。柿の種 の名前の由来は、とある取引先の主人が こんな歪んだ小判型は無い。形は柿の種に似ているといわれ、そのヒントから名付けられた。
※ 創業者の今井與三郎は、柿の種の形状に意匠登録申請や製造に関して、特許の申請は行っておらず、現在、柿の種を自社製品のように製造しているメーカーは浪花屋製菓に敬意を示して欲しいと思います。
※ 浪花屋製菓と同じ事が言えるのは、日本で初のパチンコ台を開発した、正村竹一さんは特許を申請せず、他の同業者も儲かれば良いと言い、特許申請は行いませんでした。
日本のパチンコの生みの親は、ゲージ構成の基本となる「正村ゲージ」を考案した正村竹一さんと言われてます。
※残念ながら、浪花屋製菓は現在、阿部幸製菓株式会社の傘下に入っています。
柿の種は自分が子供の頃には、ブリキ缶に多く入っていて、早く食べないと湿気て終いました・・
PS:個人的には特許権や実用新案権は必要だと思います。
過去に自分が出願した特許23件中で企業に採用されたのは9件有りました。
現在は出願活動は行って居ませんが20年前位には生活の足しに成っていました。
殆どが、自動車購入の資金に消えました