井上俊のブログ

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県大で大学生活を3年過ごしていて、遅すぎるんですけどいい加減みんなに自分の人生についてしっかり話してけじめをつけなければいけないと思いブログを書きました。少し長いしとても重いけど読んでください。

少し遡ります。僕は中学生のときに私立中学校に入りました。そこは今まで過ごしていた小学校とは雰囲気も会話で話す内容も全然違っていて心の底からはあまり馴染めませんでした。環境が違いすぎること、仲が良かった地元の友達と離れることが嫌で仕方ありませんでした。嫌々ながら入学し友達ができてもどこか中学校に抵抗があって学生生活を拒絶しながら毎日学校に来ていたように思います。(今思えば遅刻したり先生に反抗的だった一因にそういうことがあったのかもしれない。)

そんな中唯一心の支えになったのが地元でできた彼女でした。小学校を卒業してから告白されて付き合いました。一年近く付き合ったと思います。彼女をきっかけに地元の友達と遊んだりして過ごしました。数少ない楽しい日々だったと思います。別れた後もその1年後くらいにまた付き合いまた別れました。そんな形で付き合ったり別れたりする関係でいたのですが最後に別れてから何ヶ月かした後、彼女は死にました。原付の2人乗りで後ろに乗っていてその子だけ死んだそうです。死んだのはちょうど大晦日でとても良く覚えています。昔のことは嫌なことが多すぎてフィルターがかかっているみたいにあまり思い出せないんですが携帯で報せを受けた時のことは鮮明に思い出せます。もう本当にショックで1日中泣きました。
そのこと自体ショックだったのですがその日の夜、遊ぶ約束をしていたため会った中学校の友達に話したくもなかったのですが、流れで仕方なく彼女が死んだことを話したら笑われました。ショックを受けてるのが面白いといった感じで。
とても鶏冠にきたことをよく覚えています。そのことでそいつのことは大嫌いになったし、もう中学校に通うのが一層嫌になりました。

中学校生活を終え高校生になりました。高2になるととても受験に熱心な先生が担任になりました。朝授業が始まる何十分も前に自習、全ての授業が終わった後にも自習、恋愛禁止、受験についての情報やみんなのやる気を出させるための焚きつける話を毎日終礼で一時間近く話す先生でした。当時高校が嫌いで全然充実した高校生活も遅れておらず、心の底から頑張ってるものがなかったのでその先生が担任になったのをいい機会と思い勉強を頑張りました。本当に高2から高3にかけて相当勉強しました。持てる時間全てを勉強に当てて頑張ろうと思い実際そうしました。ご飯とお風呂以外はずっと勉強していたと思います。そのころは根性を出せばやってやりきれないことはないとそういう考えで臨んでいました。ちょっとしんどいと休めばもうそれは怠けていると考え、体調が悪くなっても気づかない振りをしていました。高3の終わり頃にかけて胃腸炎であったり不眠症(今の不眠症に比べればはるかに軽い)が出てきました。胃が相当弱くなっておりコーヒーや唐辛子の入った刺激物を食べるとしんどくて何も手に付かない程体調に支障が出ていました。それでも当時第一志望であった横浜国立大学に合格するため必死で勉強しました。過去問もかなり解いて受かる可能性はそこそこあるかな?という感触でセンターの数週間前を迎えました。
しかしそのころになって親に『下宿させるお金がないから横浜国立は諦めて近場の大学を探してくれ』と言われました。
そのころうちの父はかなりひどい詐欺にあって全財産を奪われていました。詳しくは今でも話さないのですがまず間違いなくヤクザに騙されていたんだと思います。ある日家に帰ってきた父のシャツの背中に尋常じゃない量の血のりが付いてました。もう下半分が真っ赤になっている程の量が。尋ねると『鼻血を拭いた』と言い訳にすらならない弁解をしたのですが、本当は誰かが殺されて血が地面に拡がったところに座り込んでついたんじゃないかと母は言ってました。それを見せることで脅されたのではないかと。それほどのかなり危ない所から詐欺にあい、結果貯金も何もなくなり自己破産し家まで売り払いましたが命があっただけ良かったと思います。
そういうことで家庭の事情から横浜国立大学を目指すことができず、担任に勧められるまま大阪大学の外国語学部を目指し、最終的にはその大阪大学外国語学部と高校の先生の実績作りのために同志社大学の確か文化情報学部を全学部日程、個別日程で受けました。もちろん大阪大学に付け焼き刃の勉強で合格できるわけもなく前後期ともダメでした。そのころは家が自己破産をして受験にも落ちて散々でした。でもそのときまだ勉強で出来ていない範囲を考えたら、1年頑張れば出来るようになるだろう、そうしたら合格できるだろうからあとちょっと続けようと思い浪人を決めました。
しかし結果はもっと辛い形でした。その頃になるともう無視できないくらいにまで身体が勉強を拒絶していました。参考書を読むだけで気持ちが悪く、息が切れ、不眠症で居ても立っても居られない、毎日立ちくらみが起きて少し意識を失うという状況でした。自習はもう全然できる状況じゃなかったので精一杯気力を振り絞れば受けられる予備校の授業を受けるだけでした。やっとの事でできる唯一の自習が英単語の単語帳を読むかCDを聴くだけでした。(それも1日数ページ)
それでもサボってはいけないと自分を律し、いつかふとしたときに体調が良くなるかもしれないと希望をかけて日々を過ごしていました。これが実は結構苦しいことで、4.5月ごろはまだまだ時間があるしセンターまでは良くなるだろうと思い、6.7月ごろはちょっと余裕がないけど必死で勉強すれば巻き返せると考え8.9月になると本当にこのままダメになる、でも少しの希望はあると思う状態に精神が変化し真綿で首を絞めるかのように徐々に恐怖感に襲われました。
そうしている間にズルズルと年を越し、しかし体調は一向に快復せず苦しみながら机に向かい続ける日々が過ぎました。そしてセンターの直前になってもうダメだと感じ一気に諦めました。これはもうできないと。そう思った瞬間分かりやすく参考書を見れなくなりました。諦めるのを身体に許した瞬間やっと解放されたみたいに勉強に関する事柄を拒絶したい気持ちが一気に出てきて抑えられなくなりました。赤本にいたってはそれが置いてある本棚のほうに目を向けるだけで気持ち悪くて仕方がなかったです。そうなってからはもう何もできるわけがなく受験は断念しました。
そして2年目に入ってからは受験をしようと思う気持ちはあるのですが身体が全くと言っていいほど受け付けずただただ無為に一日を過ごすばかりでした。
このころが1番のどん底だったと思います。正直辛すぎてあまり記憶がありません。家族が仕事に出てからは1日中外を歩いていました。なにも良くならない現状が嫌で、でも意思としては絶対に逃げないと決めていたからその反動で物理的に遠くまで歩いたんだと思います。同い年の友達は充実した大学生活を送る中地獄のような
毎日、しかもしんどければしんどいほどダメなままじゃないかと焦りが増し余計に体調が悪化し余計勉強が手に付かなくなる。友達とは一浪目のときに応援してくれてたのに期待にそうことができなかった負い目から申し訳なさすぎて連絡をとることができず疎遠になり、家族とは自己破産してるのに働かないからもの凄く仲が悪くなりました。1人だけ親友がいて彼とは時々一緒に過ごしましたが、ほとんど心の拠り所になる友達も家族もないなか最悪の状況だったのであのころは本当の地獄だったと思います。希望も何もなかったです。車道を眺めるときに車に跳ねられて一瞬で死ねたら、今の状況から解放されたらどれだけ楽だろうかと思いました。身体が1番おかしかったのもこの頃です。前述のように現実感がなかったのはもちろんなんですが自分の身体なのに感覚がなくなり、2日連続で一睡もできないレベルの不眠症になりました。酷い状態だったと思います。
そんな状態なのでもちろん勉強ができる訳がなくなにも勉強しないまま3回目のセンター試験が迫ってきました。その折、高校の時の担任が心配してくれていたようで電話をしてくれました。そして現状を話した結果、その調子で3年目の受験勉強をするよりひとまず入れる大学に入れ、そしてまだ続けたいのであれば編入試験っていう道があるからそのやり方で行けと言われました。そういう過程で全く勉強できないままセンター試験を受け、その試験の結果から可能性のある大学がみつかり前期試験を受けました。それが今の奈良県立大学です。

大学に入ってからも体調は悪いままでした。なにも成し遂げていないし編入試験の勉強をしなければいけないという強迫観念があったからです。不眠症は続くし大学の授業も一コマ受けるだけで体調が悪くて仕方がない、嫌なことが多過ぎるから楽しいと感じることができない、人とのコミュニケーションが絶望的に下手になっている、精神的なストレスからバイトをしてもすぐ体調が悪くなって続かないなど全くしんどさからは解放されていませんでした。入学の時におめでとうと言われて何も目出度いことはない、と感じたことを覚えています。でも入学してから出会った友達、彼女は掛け値なしにいい人、いい奴ばかりでした。いつも一緒にいるメンバーはもちろん頻繁には会わない友達含め奇跡的なほどいい人ばかりでした。入学するまで何があったかは辛くて話せないし、その分距離もあって心の底からの付き合いは出来なかったけれど友達でいてくれたことに心の底から感謝しています。そうやってみんなと出会い、年を経るに連れて漸次的に体調は良くなりました。しかし今の4回生手前の時点ではまだ完全に快復できていません。まだ本を読むと尋常じゃなく身体が怠くなるし本腰を入れて勉強できません。3回生の初め頃にようやくバイトを出来そうな感じになり、塾の講師をしていますがミスが多いし、しょっちゅう気分が悪くなります。疲労もかなり溜まります。
編入試験も受験するしない以前に受験勉強出来るだけの体調に戻らず、ずっと未練を引きずるだけの3年間でした。しかもずっと勉強をしなければと焦るばかりでその年毎の大学生活も楽しめずに過ごしました。
これが今までの僕の人生と現状です。
こんな形でかなり奇異で酷い人生を送ってきたというのが僕のこれまでです。
文章という器に盛れる内容は限られているのでだいぶざっくり、中には皮相的にしか綴れていない話もありますが大まかにはこんな人生でした。

そしてここからはこれからのことについて書かせてください。

3回生の、去年の10月ごろ僕は留学をしたいと思いました。理由は将来の進路として海外の大学院で国際政治学を学ぶか、ある会社に就職したいと考えていたからです。後者の会社は英語を話せることが応募の必須条件であったためどちらを選ぶにしても英語の習得は不可欠でした。さらに良くなっているものの仕事ができるまで体調を回復させるには時間がいると感じ、そして根本的に違う環境に身を置いて一回いろんな事を忘れたかったので全てにおいて留学するという選択肢は誂え向きに思えたので留学を決めました。3年遅れの就活をしなければいけないというデメリットを差っ引いもするだけの価値はあると感じられました。実際留学のセミナーにも通い、留学の後押しをしてくれる方々とも懇談を重ねカナダへの出発を決めました。
パスポートを申請しつい1週間ほど前、学校に休学届けを出しに行く段になりました。
するとその時自分でも驚くほど、4年前と同じぐらい、体調が悪くなりました。
何も食べる気が起きないし身体を起こす気力が湧かない。一晩中寝られないしその後も全く寝られない、立ちくらみの頻度もこれまでの比ではありませんでした。完全に1番酷かったときと同じ状態でした。しかし今回のは昔と違い原因がわかりませんでした。なぜこんなに身体が拒絶反応を示しているのか一晩中考えました。苦しんで苦しんで考えました。
一つ思い当たりました。もう大学生として彼女や友達と一緒に過ごすことができないことです。
今まではどうせ4回生だから会う機会は相当少なくなるしいつか別れると思って覚悟をしており、将来のことと天秤にかけたら仕方のないことだと考えていました。
しかし実際休学届けを前にしてもう失くなるみんなと過ごせる時間のことを考えると涙が止まりませんでした。覚悟とかそういう次元じゃなくそこにある大切な時間を無下にする、あり得ないことを考えているように感じたのです。
思えば僕の人生は先に期待を寄せて現状を大切にしないことの繰り返しでした。中高の時は卒業したあとに楽しくなる、浪人したときは大学に入れば楽しくなる、大学に入れば編入試験に受かれば楽しくなる、と。そして今回は留学すれば楽しくなる、と同じように先に期待を寄せて今を蔑ろにしようとしているのではないかと感じました。この考え方ほど最低なものはないと思いました。おそらく現実感が希薄になった根本的な原因はここにあるように感じます。
ついこの間、この考え方をもって彼女と会い、鶴橋で散歩をしたときほんと心の底から「一緒にいてくれてありがとう」と感じました。そのあと家に帰って布団に寝転んだとき留学を辞めるという選択肢が浮かびました。そしてその2.3日後ある友達に真剣に向き合おうと思い、会い、ここに書いてある今までの人生のことを話しました。途中からは涙が溢れてきて止まりませんでした。これからも友達でいて、と話したら当たり前だろと言われて凄く嬉しかったです。行く前からほぼ傾いていましたがそこではっきり留学を辞めようと決断しました。この大学でみんなと卒業したくて仕方がなくなりました。
また大学入試の時のこともあります。僕は同志社大学に両日程で合格しましたが入りませんでした。ここで諦めて行きたくなかった大学に行くのは違うように考えたからです。当時相当考えてその結論に達しました。その当時の判断材料から出した結論で言えば1番の正しい選択だったと思うし、間違ってないと思います。しかし今の時点から振り返るとその当時では考えられない、体調という比較すべき要因もあり時間を経て見えてくるものもあるからここまで人生がとっ散らかったことを考えると当時の自分は同志社に行っておくべきだったと思います。だから人生に関わる物事は少し保守的に行くべきじゃないかな、とも自分の人生を振り返って思うわけです。
そういう経緯で留学の相談に乗ってくれた石田さん、椋野さん、おそらく留学を決めたことからシフトの便宜を図ってくれた村田さんには大変申し訳ないのですが留学を辞めようと思います。本当にすいません。でもこうするのが自分の人生を前に進めるための1番の方法だと思うんです。
たぶん僕はもっと現状を受け入れて今の彼女や友達を、大学へ行けることや塾でバイトをできるという環境を感謝して生きていくべきなんだったと思います。
この時期になって気付くのはあまりに遅すぎるけどそれでも気づけて良かったと思います。

最後に僕は今の大学がとても好きです。掛け値なしにみんなが大好きです。普段話す友達やTwitterで良くリプライし合う友達だけじゃなく、たまにすれ違って話す友達でも大好きです。人によっては僕があんまり積極的に関わろうとしてなかったり僕と話すと会話が弾まないように感じて、あんまり好かれてないように考えてる人もいるかもしれないけど実は好きです笑 上述の経緯で大学に入ってからコミュ力が相当ダメになったのでそうなっているだけです。
そういうわけなんであと残り1年もいい友達で居てください、今後も宜しくお願いします。

井上俊