ピー・ウィー・ハント(Pee Wee Hunt/出生名:Walter Gerhardt Hunt/1907年5月10日~1979年6月22日)は、アメリカ合衆国のジャズ・トロンボーン奏者、ヴォーカリスト、バンドリーダー。

 

 

 

1907年5月10日、ウォルター・ゲルハルト・ハントは、アメリカ合衆国オハイオ州マウント・ヘルシー(Mount Healthy, Ohio,)で生まれた。母親のセイディがバンジョーを演奏し、父親のエドガー・Cがヴァイオリンを演奏したため、ハントは幼い頃から音楽に興味を持って育つ。

彼には妹のマリアンと弟のレイモンドがいた。

 

 

10代の頃、ハントはオハイオ州立大学(Ohio State University)に進み電気工学を専攻したが、大学に通いながら地元のバンドでバンジョー奏者として活動した。

大学時代、ハントはバンジョーからトロンボーンに転向した。
 

 

その後、シンシナティ音楽院(Cincinnati Conservatory of Music)に学び、卒業。

 

 

1928年、「ジャン・ゴールドケットのオーケストラ」(Jean Goldkette's Orchestra)に加わった。


その後ハントは、女性ヴォーカルを擁したジャズ・ダンス・バンド「カサ・ロマ管弦楽団」(Casa Loma Orchestra)の共同創設者となり、トロンボーン奏者として活躍。

 

 

1930年12月6日、LP(アルバム)『Alexander's ragtime band』をカサ・ロマ管弦楽団名義でOKehにてレコーディングした。

 

 

1934年、Deccsに移り、アルト・サックス奏者である「グレン・グレイ」(Glen Gray/1906年6月7日-1963年8月23日)の名を打ち出した「グレン・グレイ楽団」(Glen Gray Orchestra)名義での録音を始める。

以降、グレン・グレイによりカサ・ロマ管弦楽団はグレン・ミラー楽団に迫る人気オーケストラに引き上げられた。

 

 

1936年、『Stompin' Around』をリリース。The Casa Loma Orchestraには、 Kenny Sargent、Pee Wee Hunt、Glen Grayが参加。ニューヨークのレインボー・ホールでのライヴ録音。

 

 

 

1941年、カサ・ロマ管弦楽団でトロンボーンを演奏している映像があった。

 

 

1943年、ハリウッドのラジオDJとして働くためハントは楽団を離れた。

 

 

その後、第二次世界大戦の終わり近く、ハントはマーチャント海兵隊に入隊した。

 

 

1946年、終戦後にハントは復員、西海岸の音楽シーンに復帰した。

 

 

1948年、ハントがカヴァーした“12番街のラグ”(Twelfth Street Rag)は、同年9月の米音楽誌『ビルボード』の全米シングル・チャートでナンバー1ヒットとなり、300万枚の売り上げを記録した。本楽曲は、元は1914年にユーディ・L・ボウマン(Euday L. Bowman)が作曲したラグタイム曲で、曲名はボウマンが出演していたカンザスシティ(Kansas City)の盛り場「12番街」から採られている。ラグタイム時代にとりわけ有名なベスト・セラーとなった曲であり、ルイ・アームストロングからレスター・ヤングまで、多くの様々なアーティスト達が録音してきている。

 

 

1953年、ハントの2番目の大ヒット曲は“Oh!”であった。『ビルボード』誌の全米ポップ・チャートで3位に達し、彼にとって2曲目のミリオンセラーとなった。バイロン・ゲイ(Byron Gay)とアーノルド・ジョンソン(Arnold Johnson)によって書かれたこの曲は、テッド・ルイス・アンド・ヒズ・バンド(Ted Lewis and His Band)により演奏され、1920年の全米ポップ・チャートで13位となった。

 

 

1954年、彼は、テックス・エイヴリーのアニメーション MGM 漫画『ディキシーランド・ドルーピー』(1954年)で、「ピー・ウィー・ラントと彼のオール・ノミ・ディキシーランド・バンド」として風刺された。

同年、「ピー・ウィー・ハント楽団」(Pee Wee Hunt and his orchestra) 名義でアルバム『Swingin' Around』を発表。“恋人を取られて”の邦題で呼ばれることもある収録曲“Somebody Stole My Gal”は、日本、特に大阪とその周辺地域で、吉本興業がなんばグランド花月にて公演する新喜劇の主題歌として広く知られるようになる。本曲は、レオ・ウッド(Leo Wood)が1918年に書いてFlorence Millettが録音したのが初出で、その後1924年にテッド・ウィームズ(Ted Weems)と彼のオーケストラによるヴァージョンが5週間にわたりチャート1位を記録しミリオンセラーに達した。

ピー・ウィー・ハントの演奏は明るく軽快なディキシーランド・ジャズ・バージョン。「ホンワカパッパ ホンワカホンワカ…」とも表現される特徴的なメロディの音色は、トランペットに装着したワウワウミュートによるもので、本楽曲はベニー・グッドマンなども録音しているが、この音色で演奏しているのはピー・ウィー・ハントのヴァージョンだけである。

 

 

日本で本曲は、1935年に“君いずこ”の邦題でディック・ミネが日本語詞カヴァーを歌唱している。ピー・ウィー・ハントのヴァージョンは、元々は朝日放送で放送されていた花月中継のオープニング曲であり、当時のスタッフであった石田健一郎が数曲の中から選曲した。毎日放送の中継やなんばグランド花月でのオープニング曲は本曲とは異なるものであった。しかし、ピー・ウィー・ハントの“Somebody Stole My Gal”のメロディがあまりにも印象に残るものであったため、新喜劇の幕開けに起用した。その結果、新喜劇のイメージにとどまらず、“六甲おろし”ともども大阪を象徴するステレオタイプな曲として認識されるようになった。こうした経緯もあり日本ではコミックソングとして扱われることもままある本曲だが、原題“Somebody Stole My Gal”が示す通り、元は恋人を奪われた悲しみを音にのせた曲である。


 

 

 

1979年6月22日、ピー・ウィー・ハントの名で知られたウォルター・ゲルハルト・ハントは長い闘病の末、アメリカ合衆国マサチューセッツ州プリマス(Plymouth, Massachusetts)で死去した。72歳没。

ハントと妻のルースには娘のホリーと息子のローレンスがいた。

 

 

 

 

1992年12月16日、ハントの“恋人を取られて”が収録されたコンピレーション・アルバム『吉本新喜劇のテーマ』が発売。

 

 

2006年8月22日、ピー・ウィー・ハント名義のコンピレーション・アルバム『Twelth Street Rag』がリリース。なお、本アルバムはタイトル通り、“12番街のラグ” (Twelfth Street Rag)や、あるいは“Oh!”をはじめ、“Swingin' Around”や“The Charleston”といった自身のオーケストラを率いた演奏や、アームストロングとの共演による“Rockin' Chair”など、ハントのヒット曲を一通り網羅した28曲を収録しているが、“恋人を取られて”(Somebody Stole My Gal)は未収録である。これはハントの他のベスト盤でも同様で、“恋人を取られて”は先に挙げた『吉本新喜劇のテーマ』のような日本企画のオムニバスを探した方が早そうである。そうした中、 “San”は “Somebody Stole My Gal”を彷彿させるトロンボーンの音色が聴ける貴重な曲だ。

 

 

 

 

 

また、初出年不明ながら、オリジナル・アルバムと思われるこんなアートワークも見受けられたので収録曲とともに掲載しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Pee Wee Hunt」

The Discography of American Historical Recordings「Pee Wee Hunt」

 

 

(関連記事)