ダニエル・アッシュ(Daniel Ash/出生名:Daniel Gaston Ash/1957年7月31日~)は、英国のミュージシャン、ソングライター、歌手。ゴス・ロック・バンド「バウハウス」のギタリストとして成功し、解散後「ラヴ・アンド・ロケッツ」を結成した。

 

 

 

1957年7月31日、ダニエル・ガストン・アッシュは、イングランドのノーサンプトンシャーのノーサンプトンで生まれる。

10代の頃にコンサートに行った後、アッシュは何らかの形でステージで演奏することを決意した。

 

15歳頃にギターを弾き始めたが、とても怠け者で、3年間は3つのコードしか覚えていなかったという。

彼はカヴァー・バンドで演奏し始め、幼稚園の頃からの知り合いで、将来のバンド仲間となるデビッド・Jとケビン・ハスキンズと一緒に演奏することが多かった。彼の最初のギグはグラスゴー・レンジャーズ・ワークマンズ・クラブであった。

10代の頃、アッシュはピーター・マーフィーと友達になった。

その後アッシュが美術学校に通い、マーフィーが印刷工場で働くようになると、自然と疎遠になった。

 

 

1978年、5年後にアッシュはマーフィーと再会し、彼にバンドを組もうと提案した。

間に合わせのリハーサル・スペースを設営し、アッシュはエコー 12 バー ブルースを演奏し、マーフィーは新聞記事を歌った。4週間後、アッシュとマーフィーらはバンドを結成し、"Bela Lugosi's Dead"を録音した。バンド名は当初「Bauhaus1919」という名前だったが、商業的な観点から、1年も経たず「Bauhaus」に改名。名前はドイツの芸術活動「バウハウス」(Bauhaus)に由来している。


1979年に、"Bela Lugosi's Dead"をリリースしてデビュー。この曲は英インディーズ・チャートで8位に入った以上に、ゴシック・ロック ミュージックで最も影響力のある曲のひとつとなったが、彼らは自分たちを「ダーク・グラム」バンドと見なし、ゴシックというレッテルから常に距離を置いていた。

 

 

1980年、バウハウスは前年のデビュー・シングルに続き、3枚のシングルをリリース、"Dark Entries"が英インディーズ17位、"Terror Couple Kill Colonel"が英インディーズ5位、T・レックスのカヴァー"Telegram Sam"が英インディーズ3位・ニュージーランド12位をマーク、シーンにおける存在感を増していった。

 

 

 

11月3日、1stアルバム『イン・ザ・フラット・フィールド』(原題:In The Flat Field/旧邦題:暗闇の天使)を4ADからリリース。全英71位・英インディーズ・チャート1位を獲得。

 

アッシュは初期から独創的なサウンドを出すことにこだわり、しばしば「ギターをギターのように鳴らさない」よう努めた。彼は、異世界の雰囲気のあるサウンドを含むギター スタイルの開発に取り組んだ。ジョン・ロブとのインタビューで、彼は1981年に初めてEBowを購入したと語っている。彼は通常、ステージ・ギアとしてテレキャスター・ギター、HH アンプ、マーシャル 4x12 キャビネットを使用している。キャリアの後半では、彼はEBowに似たサウンドを実現するために Fernandes Sustainer システムに大きく依存していた。

 

 

1981年10月16日、2ndアルバム『マスク』(Mask)をBeggars Banquetからリリース、全英30位をマーク、BPIシルバー・ディスクを獲得した。 ここからは、"Kick in the Eye"が全英59位・米ダンス・チャート29位、"The Passion of Lovers"が全英56位に入った。

 

 

 

 

1982年10月22日、3rdアルバム『ザ・スカイズ・ゴーン・アウト』(The Sky's Gone Out)をリリース。自己最高となる全英4位、BPIシルバー認定を獲得。ここからは、“Spirit"が全英42位をマークした。

 

 

同年、バウハウスは2枚のシングルを発売、デヴィッド・ボウイのカヴァー"Ziggy Stardust"が全英15位・ アイルランド13位・ニュージーランド20位、また"Lagartija Nick"が全英44位をマーク、グラムロックの新たなる継承者として賞賛を受ける。

 

 

バンドはセールス面でも順調に伸びていたが、後期にはピーター・マーフィーとアッシュら他の三人との間における音楽性の相違によって仲違いを招いてゆく。

同年、アッシュはバウハウスのドラマー、ケビン・ハスキンズと「トーンズ・オン・テイル」(Tones on Tail)を結成。アッシュは「私たちは基本的に金星や火星のバンドのようなサウンドを求めていた雑多なメンバーでした!」と説明している。

 

 

1983年7月15日、4thアルバム『バーニング・フロム・ジ・インサイド』(Burning From The Inside)をリリース、全英13位。ここからは、"She's in Parties"が全英26位・アイルランド28位・ニュージーランド47位を記録した。

 

5月、バウハウスは初来日公演を果たすものの、バンドに生じた溝は既に修復が不可能となっていた。

7月5日、ロンドンのハマースミスにあったハマースミス・パレスでのライヴを最後にバウハウスは解散に至る。

同年、トーンズ・オン・テイルはシングル"Burning Skies"をリリース、英インディーズ11位をマークした。

 

 

1984年4月6日、トーンズ・オン・テイルは、1stアルバム『Pop』をリリース。

 

同年、トーンズ・オン・テイルはシングル4枚、"Performance"、 "Lions"、 "Go!"、 "Christian Says"をリリース。

 

 

 

 

同年、トーンズ・オン・テイルが解散。

 

 

1985年、アッシュは、バウハウスの元メンバーとともに新たなロック・バンド「ラヴ・アンド・ロケッツ」(Love and Rockets)を結成した。ラインナップは、ダニエル・アッシュ(Vo,G,Sax)、デイヴィッド・J(B,Vo)、ケビン・ハスキンズ(Ds,シンセサイザー)。

10月11日、ラヴ・アンド・ロケッツは1stアルバム『Seventh Dream of Teenage Heaven』をBeggars Banquetからリリース。ここからは、"Ball of Confusion"と"If There's a Heaven Above"をシングル・カットした。ラヴ・アンド・ロケッツによるアンダーグラウンド・ロック・ミュージックとポップ・ミュージックの要素の融合は、オルタナティブ・ロックの初期のきっかけとなった。

 

 

アッシュは、ギター ソロはミュージシャンのエゴに依存するため、あまり興味がないと述べている。彼は、ギターや他の楽器に重点を置くよりも、作詞作曲の技術と曲全体の制作にもっと関心がある。過去10年間、彼は Love and Rockets とソロの両方で電子音楽の実験を重ね、ギターを曲の追加要素として使用することを制限してきた。11月、バウハウス初のベスト・アルバム『Bauhaus 1979–1983』がリリース、全英36位、BPIシルバー獲得。

 

 

1986年9月15日、2ndアルバム『Express』をリリース、米音楽誌『ビルボード』の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)72位を記録した。ここからは、"All in My Mind"がアメリカのロック・チャートで49位をマークした。

 

 

1987年9月9日、3rdアルバム『Earth, Sun, Moon』をリリース、全米64位を記録。ここからは、"No New Tale to Tell"が米ロック・チャート18位に入った。

 

 

 

1988年、ラブ・アンド・ロケッツのサイド・プロジェクトとして「The Bubblemen」を結成、シングル“The Bubblemen Are Coming!"をリリースした。

 

 

1989年3月7日、ラブ・アンド・ロケッツは通算4枚目にして自身初のセルフ・タイトル・アルバム『ラブ・アンド・ロケッツ』(Love and Rockets)をリリース、自己最高の全米14位を記録、さらに全米レコード協会(RIAA)からゴールド・ディスク認定を受けた。ここからは“So Alive”が最大のヒット・シングルとなり、『ビルボード』誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米)で3位、「モダン・ロック・トラックス」(以下「ロック」)で1位を記録したのをはじめ、英国のシングル・チャートでも79位ながら、初めての、そして唯一のランク・インを果たした。

 

 

アルバムからはこの他、"Motorcycle"がロック20位、"Rock & Roll Babylon"がロック29位、"No Big Deal"が全米82位・ロック19位をマークした。

 

 

 

 

1994年9月26日、5thアルバム『Hot Trip to Heaven』をリリース。

 

 

1996年3月19日、6thアルバム『Sweet F.A.』をAmericanからリリース、全米172位をマークした。ここからは、“Sweet Lover Hangover"がロック10位になった。

 

 

 

1998年10月13日、7thアルバム『Lift』をRed Antからリリース。

 

同年、バウハウスが短期間再結成する。

 

 

1999年、ラブ・アンド・ロケッツは7枚のスタジオアルバムを残して解散した。


2005年、バウハウスが再結成。

 

 

2007年、ラブ・アンド・ロケッツが再結成。


2008年3月3日、バウハウスは25年ぶりのスタジオ・アルバム『暗闇のごとく現れ、白い陽炎のように去りゆく』(Go Away White)をCooking Vinylからリリースし、全英120位・英インディーズ13位・全米105位をマーク。バウハウスの最後の再結成以来、アッシュはギターをベースとしたロック・サウンドに戻りつつある。

このアルバムのリリース後、バウハウスはワールド・ツアーを行った。
同年、ラブ・アンド・ロケッツは「コーチェラ ミュージック アンド アーツ フェスティバル」と「ロラパルーザ」で演奏した。



2009年6月、アッシュは歌手のザック・アンブローズをヴォーカルに迎え、デビッド・エセックスの曲“Rock On”のカヴァーをリリースした。このトラックはハリウッドの Swing House リハーサルおよびレコーディング コンプレックスで録音され、『Swing House Sessions Vol 1 EP』に収録されている。

この頃のインタビューで、アッシュはラブ・アンド・ロケッツで演奏する予定はないと明言した。

同年後半、アッシュは iTunes 限定で『It's A Burn Out』と題した4曲入りEPをリリースした。



2017年3月、ダニエル・アッシュ、ケビン・ハスキンズ、ハスキンズの娘ディーヴァ ドンペは、ポップトーンと、トーンズ オン テイル、ラブ アンド ロケッツ、バウハウスの曲をフィーチャーした米国ツアーを発表した。

同年、アッシュはソロとしても活動。

 

 

2020年、コロナ禍の最中、アッシュは元シャーデーのベース担当ポール・デンマンと、ザ・ポップ・グループ、リップ・リグ+パニック、パブリック・イメージ・リミテッドの元ドラマー、ブルース・スミスからなる新しいバンド「アッシュズ・アンド・ダイアモンズ」(Ashes and Diamonds)を結成した。アルバムはレコーディングされたが、メンバー間のスケジュールの競合によりまだリリースされていない。

 

 

2023年、ラブ・アンド・ロケッツが再結成。

5・6月、ラブ・アンド・ロケッツは米国で短期再結成ツアーを行い、2008年以来初めてパサデナのローズボウルで毎年開催されるクルーエル・ワールド・フェスティバルでパフォーマンスを行った。


2024年5月、アッシュはクルーエル・ワールドでトーンズ・オン・テイル名義でケビン・ハスキンスとディーヴァ・ドンペと再結成した。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Daniel Ash」「バウハウス (バンド)」「Bauhaus (band)」「Tones on Tail」「Love and Rockets (band)」

 

 

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