トニー・ハーネル (Tony Harnell/1962年9月18日~) は、アメリカ合衆国出身の歌手。ノルウェーのハード・ロック・バンド「TNT」での活動で最もよく知られる。

 

 

 

1962年9月18日、トニー・ハーネルが生まれる。母親のコンスタンス・ハルダマンはオペラ歌手であり、父親のボイド・ハーネルはフォトジャーナリストであった。ハーネルには異母妹がいる。

 

5歳でハーネルは歌い始めた。

 

10代の頃はプロのスケートボーダーであり、熱心なサーファーでもあった。

 

17歳で最初のバンドに参加し、その後3年間で約15ものバンドで過ごした。その中にはブロンクスを拠点とするバンド「ジャッカルズ」(Jackals)も含まれる。このバンドはギタリストの自宅の地下室から現れ、わずか2年で才能を開花させた。ニューヨーク・エリアでは口コミだけでロッククラブが満員になる程の人気を博した。このバンドでの活動でハーネルは発見された。

 

18歳の時、ハーネルは声楽教師のドン・ローレンスに師事し始めた。

 

1984年のある日、ショーがはねた後、ハーネルはレコード・プロデューサーのマイク・ヴァーニーから、ノルウェーのバンド「TNT」がシンガーを探していると教えられた。ハーネルは自身のヴォーカルを録ったデモテープを送り、それを聴いたバンドに即採用された。

同年、ハーネル加入後は初、バンドにとっては通算2枚目のスタジオ・アルバム『ナイツ・オブ・ザ・ニュー・サンダー』(Knights of the New Thunder)をPolyGramから発売、ハーネルのユニークで強力な4オクターブの音域は、バンドがノルウェーから世界市場に進出するために必要な最後のピースであった。本アルバムはフィンランドでアルバム・チャート9位に入るなどスカンジナビアで大成功を収め、その後バンドはニューヨークからマーキュリー/ポリグラムに世界契約をオファーされた。なお、ハーネルは本作では「Tony Hansen」とクレジットされた。

 

同年、『ナイツ・オブ・ザ・ニュー・サンダー』が米国でもリリースされ、“セブン・シーズ”(Seven Seas)のビデオが MTV でヘビーローテーションされ、アルバムはビルボード・チャートに入った。


ハーネルとギタリストのロニ・ル・テクロー (Ronni Le Tekrø/1963年10月5日~)は、ハーネルがバンドとともに活動してきた22年間、TNT のすべての曲を共同で執筆した。ハーネルとともにTNTは、9枚のスタジオ アルバム、2枚のライヴ・ビデオ、および2枚の「ベスト」コンピレーションを録音した。

 

 

1987年、TNTは3rdアルバム『テル・ノー・テイルズ』(Tell No Tales)をリリース、メロディックなユーロメタルから、より口当たりの良いハードロックスタイルへとサウンドにわずかな変化をもたらし、Le TekrøとHarnellは才能あるデュオとしての評判を獲得した。母国ノルウェーで初のアルバム・チャート1位を獲得し、米音楽誌『ビルボード』の総合アルバム・チャート「Billboard 200」でも100位で初めてチャート・インした本アルバムは、同年のノルウェーとスウェーデンでマイケル・ジャクソンやデフ・レパード等の人気アーティスト達を上回り、最も売れた作品となった。また、『テル・ノー・テイルズ』はバンドが日本と米国でファンを確立するのを目にした。ここからは、バンド最大のヒット曲であるシングル“10,000 Lovers (In One)”が生み出され、“Everyone's a Star”とともにPVが欧米のMTVで特集された。

 

 

 

バンドは、米国でのソールドアウトのアリーナツアーでストライパーをサポートし、その後ツイステッド・シスターやグレート・ホワイトとのツアーを行ったり、米国の大きなクラブでヘッドライナー・ショーを開催した。

同年秋、ディーゼル・ダールは個人的な理由によりTNTと袂を分かった。

 

 

1988年1月のスペレマンプリゼン賞でバンドとともに最後の公の場に姿を現し、そこでTNTは『テル・ノー・テイルズ』で最優秀ロック・アルバム賞を受賞した。

同年、Kenneth Odiin が TNT の新しいドラマーとなる。



1989年、TNTは4thスタジオ アルバム『Intuition』をリリース、前作のハード ロックのエッジを少し維持しながら、より AOR 指向のサウンドを特徴づけた。本作もノルウェー3位・スウェーデン19位とスカンジナビアで大成功を収め、日本でもヒット、全米でも115位にランクインした。タイトル・トラック“Intuition”はノルウェー5位いなっただけでなく、バンドにとって米国で最も好評を博した作品でもあり、バンドは初のヘッドライナーを務めた全米ツアーに乗り出し、MTVでタイトル・トラックのビデオが目立つように放映されたおかげで、全米の小劇場や大きなクラブでの観客動員記録を破った。アルバムからは他に"Tonight I'm Falling"もリカットした。

 

 

 

「イントゥイション・ツアー」の後、オーディンはバンドを脱退し、ジョン・マカルーソが後任となった。バンドはアトランティック・レコードと新たな(そして寛大な)レコード契約を締結。

 

 

1992年、ノルウェー5位になった5thスタジオ・アルバム『リアライズド・ファンタジーズ』(Realized Fantasies)と、バンド初のライヴ録音『スリー・ナイツ・イン・トーキョー』(Three Nights in Tokyo)をリリースした。『リアライズド・ファンタジーズ』からは"Rain"と"Downhill Racer"をリカットした。

 

 

 

しかし、アトランティック社は、アメリカ(TNTがアメリカで大成功することは決してないだろうということを保証していた)やその他の世界でアルバムを宣伝するという点ではうまくいかなかった。

同年、彼らは活動を休止し、様々なソロプロジェクトに集中することを決めた。

 


1994年、トニー・ハーネルは、アル・ピットレッリ、チャック・ボンフォンテ、ダニー・ミラダで構成されるアコースティック・ロックのスーパーグループ「モーニング・ウッド」(Morning Wood)を結成。実質はハーネルのソロ・プロジェクト的意味合いのバンドで、「Morning Wood」名義では唯一となるアルバムはカヴァー曲を中心に4曲のオリジナルも加え、初め日本でリリースされた。

 

 

1996年、TNTにとって初めてコンピレーション・アルバム『Till Next Time – The Best of TNT』がリリースされたのを機に、ハーネル、ル・テクロ、ブラックはセッション・ドラマーのフロデ・ラモイを加えてTNTを再結成した。 

 

 

1997年、ハーネル、ル・テクロ、ブラック、ラモイのラインナップで、TNTのアルバム『Firefly』をリリース、フィンランド16位をマークした。ここからは、"Daisy Jayne"がシングル・カットされた。

 

 

1998年、ハーネルは、サイド・プロジェクトとしてグループ「Westworld」を結成、Mark Reale、Bruno Ravel、John O'Reilly、キーボーディストの Josh Pincus とヴァイオリニストの Mark Wood が参加した。

同年、ハーネルは、SEGAから発売されたビデオ・ゲーム『ソニック・アドベンチャー』のサウンドトラックに収録された“It Doesn't Matter”を制作。これ以降も「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」シリーズのトラックを制作した。

 

 

1999年、TNTはアルバム『Transistor』をリリース、ノルウェー29位を記録した。

 

同年、Westworldのアルバムをリリース。

 

 

2000年、TNTにディーゼル・ダールが戻り、バンドは新曲の制作を開始した。

 

 

2001年、再び『ソニック アドベンチャー 2』でソニックのテーマを書き直したバージョンと、テッド・ポーリーとともに最初のステージのテーマ“エスケープ・フロム・ザ・シティ”(Escape from the City)を演奏した。

 

 

2002年、モーニング・ウッドの1994年のアルバムが、「トニー・ハーネルとモーニング・ウッド」(Tony Harnell and Morning Wood)のクレジットでヨーロッパにて再リリースされた。

 

 

 

2003年4月、TNTは日本限定のEP『Taste』をリリース、1987年の“TELL NO TALES”のアウトテイク“DESTINY”と、まだほとんどの地域では発売されていなかった未発表曲“Magic Little Nightmare”が含まれていた。

 

 

 

2004年3月8日、TNTの8thスタジオ・アルバム『マイ・レリジョン』(My Religion)をリリース、フィンランド14位。

 

同年、アルバムのリリースから数か月後、モーティ・ブラックは個人的および職業上の違いからバンドを脱退することを決意し、その後のコンサートとアルバム『オール』でシド・リングスビーが代わりを務めた。

同年、ハーネルはソニック・ヒーローズの「チーム・ソニックのテーマ」“We Can”を再びポーリーとともに演奏した。

 

 

2005年7月25日、NTNのシングル“Sometimes”がノルウェーでアルバムから先行リリースされた。

 

同年秋、9thアルバム『All the Way to the Sun』をリリース、日本盤にはボーナス・トラックで“Get What You Give”g収録された。ノルウェー29位。

 

同年、ハーネルとマグナス・カールソンをフィーチャーしたバンド「スターブレイカー」(Starbreaker)を結成し、セルフ・タイトルの最初のアルバムをリリースした。

 

年末、ヴィクター・ボルヘがTNTの新しい常任ベーシストとなった。


2006年4月、ハーネルは個人的および職業上の理由からバンドを脱退した。

6月30日、ノルウェーのストルシュタインでポーラー・ロック・フェスティバルに参加し、NTNと最後のショーを行った。

同年秋、4月1日にスペインのマドリードでハーネル在籍時の最後から2番目のショーを収録したDVDがリリースされた。

 

 

2008年、トニー・ハーネルは自身のウェブサイトを通じて最初のソロ作品である EP『シネマティック』(Cinematic)をデモ形式でリリースした。

 

8月1日、スターブレイカーの2枚目のアルバム『Love's Dying Wish』をリリース。だが、バンドはアルバム・プロモーションのためのツアーを行わなかった。

 

 

2010年、「トニー・ハーネル&ザ・マーキュリー・トレイン」(Tony Harnell & The Mercury Train)名義でアルバム『ラウンド・トリップ』(Round Trip)をリリース。このアルバムは、ハーネルの前のバンドであるTNTとウェストワールドからの古典的な曲を、無駄を省いたアコースティック形式で再録音したものである。

 

 

2011年、トニー・ハーネルはソロ名義でデジタル・シングル“Take What You're Giving”をリリース。

 

同年、ハーネルは『ソニック・ジェネレーションズ』でシリーズ音楽の制作に復帰し、ポーリーとともに“エスケープ・フロム・ザ・シティ”の2つの新しいリミックスを演奏した。

 

 

2013年、ギタリストのロン・“バンブルフット”・タールらと組んで、トニー・ハーネル&ザ・ワイルドフラワーズ・フィーチャリング・バンブルフット(the Tony Harnell & the Wildflowers featuring Bumblefoot)のアルバムを制作した。

 

10月17日、ハーネルはTNTに復帰したと発表した。

ハーネルの復帰直後、長年ベーシストを務めたヴィクター・ボルゲも1年ぶりにバンドに復帰した。

 

 

2014年1~8月、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、日本での公演を発表しており、これらの公演にてバンドは2006年以来初めてハーネルとステージで共演することになる。


2015年1月、ハーネルは再びTNTを離れると発表した。

4月6日、アメリカのヘヴィメタルバンド「スキッド・ロウ」(SKID ROW)からジョニー・ソリンジャーがソロ活動に専念するため脱退したことが発表された。

その数時間後、スキッド・ロウは、トニー・ハーネルがソリンジャーの後任になると発表した。

12月29日、ハーネルがスキッド・ロウを離れることが明らかにされた。わずか8カ月余りでの脱退だったが、この時点で後任の名前は発表されなかった。
 

 

2016年5月21日、ハーネルはTNTへの再復帰を発表した。

 

 

2017年、TNTはハーネル、ロニー・ル・テクロ、ディーゼル・ダール、ライブキーボード奏者のロジャー・ギルトン、そして新ベーシストのオヴェ・ヒューズモーエンからなるラインナップで、テル・ノー・テイルズのリリース30周年を祝うアニバーサリー・ツアーに乗り出した。

この頃はTNTの新しいアルバムが同年春にFrontiers Music Srl.からリリースされると言われていた。
10月11日、ハーネスがTNTから脱退、無名のバオル・バルドー・バルサラが後任となった。

 

 

2019年1月9日、ハーネルとカールソンなどをフィーチャーしたスターブレイカーの3rdアルバム『ディスフォリア』(Dysphoria)を約10年振りにリリース。

 

 

 

2021年現在、ハーネルはビデオゲーム「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」シリーズの旧キャストメンバーが多数出演するエミ・ジョーンズ制作のファンシリーズ「ソニック・アンド・テイルズR」のテーマソング“フライ・ウィズ・ミー”も演奏している。

 

 

2022年11月、TNTはハーネルがバンドに復帰したと発表した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Tony Harnell」「TNT (バンド)」「TNT (Norwegian band)」

 

 

 

(関連記事)