アリス・クーパー(Alice Cooper/出生名:Vincent Damon Furnier/1948年2月4日~)は、アメリカ合衆国出身のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。

 

 

 

1948年2月4日、ヴィンセント・デイモン・ファーニアは、エーテル・モロニ・ファーニア(1924-1987年)とその妻エラ・メイ(旧姓マッカート/1925-2022年)の息子として、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトで誕生。彼は叔父のヴィンセント・コリアー・ファーニアと短編小説作家デイモン・ラニヨンにちなんで名付けられた。彼の父親はイエス・キリスト教会の伝道者であり、父方の祖父サーマン・シルベスター・ファーニアはその教会組織の指導者で、後に会長(1963-1965年)を務めた。

 

 

1963年、音楽活動を開始。

 

 

1969年6月、ファーニアは「アリス・クーパー」(Alice Cooper)を名乗り、自身が率いる同名バンド「アリス・クーパー」(Alice Cooper)を結成、アルバム『プリティーズ・フォー・ユー』(Pretties for You)を、フランク・ザッパの設立したストレート(Straight)・レーベルから発表してデビュー、米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合アルバム・チャート「Billboard 200」で193位をマークした。なお、アリス・クーパーの名は、若い頃に見た夢に出てきた魔女の名前からとったというエピソードが有名だが、真相は、可愛らしい女の子の名前を付けることで、実際の音楽性とのギャップを狙ったものであると、本人が『プライム・カッツ』の中で証言、現在は戸籍上の実名もアリス・クーパーに変えている。

 

9月13日の「Toronto Rock and Roll Revival」でのパフォーマンスについて、翌日の全国紙でクーパーがニワトリを噛みちぎり、その血を聴衆に吹きかけたと報道された。しかし、本人の回想では、これは事実と食い違っており、実際はニワトリを聴衆に向かって投げたところ、車椅子の観客に踏み潰されただけであると語っている。

 

 

1970年3月、2ndアルバム『イージー・アクション』(Easy Action)をリリース。

 

 

1971年3月、3rdアルバム『エイティーン』(Love It To Death)を発表、全米35位・全英28位をマークした。ここからは、"I'm Eighteen"が『ビルボード』誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)21位とヒット、"Caught in a Dream"も全米94位に入った。

 

 

11月、ワーナー・ブラザーズに移籍し、4thアルバム『キラー』(Killer)をリリース、全米21位・全英27位を記録。ここからは、"Under My Wheels"が全米59位、"Be My Lover"が全米49位に入った。

 

 

 

1972年6月に発表した5thアルバム『スクールズ・アウト』(School's Out)がティーンエイジャーを中心に支持され、全米2位・全英4位と大ヒット、一躍人気ロッカーとなった。『スクールズ・アウト』のオリジナル・アナログ盤は、紙製パンティーに包まれていたことも話題となった。またアルバムのプロモーションのために、実際にアメリカ大統領選挙に出馬している。若い頃からパンダのようなメイクをしており、ダミ声ともいえる唱法で一世を風靡した。本アルバムのタイトル・ナンバー"スクールズ・アウト"(School's Out)は、全米7位・全英1位をはじめ各国でトップ10上位に入る大ヒットになった。

 

 

1970年代前半、ロック・ミュージックと演劇的ショーの融合を実践したアリス・クーパーは、米国におけるグラムロックの代表格だった。その幻想的、創造的なパフォーマンスは「ショック・ロック」とも形容された。

 

 

1973年3月、6thアルバム『ビリオン・ダラー・ベイビーズ』(Billion Dollar Babies)をリリース、全米1位・全英1位を達成した。本アルバムからは、"アリスは大統領"(Elected)が全米26位・全英4位、"Hello Hooray"が全米35位・全英6位、“ノー・モア・ミスター・ナイスガイ”(No More Mr. Nice Guy)が全米25位・全英10位と、多くのヒット曲を排出している。アリス・クーパーのの回想によれば、“アリスは大統領”を気に入ったジョン・レノンが、三日間続けてアリスのもとへ通ってきたという。

 

 

 

 

11月20日、7thアルバム『マッスル・オブ・ラヴ』(Muscle of Love)をリリース、全米10位・全英34位。ここからは、"Teenage Lament '74"が全米48位・全英12位、 "Muscle of Love"が全米107位を記録した。

 

 

本アルバムを最後にバンドとしての「アリス・クーパー」は解散、以降はソロ・アクト「アリス・クーパー」(Alice Cooper)として、バック・バンド「アリス・クーパー・バンド」を従えて活動する。


1974年、映画『007 黄金銃を持つ男』の主題歌候補として「黄金銃を持つ男」(詞も曲も異なる)を歌うが、最終選考でルルに敗れた。

 

 

1975年2月28日、1stソロ・アルバム『悪夢へようこそ』(Welcome To My Nightmare)をアトランティック(Atlantic)からリリースし、全米5位・全英19位をマーク。ここからのシングルは、 "Only Women Bleed"が全米12位を記録した。

 

 

 

1976年6月25日、2ndソロ・アルバム『アリス・クーパー地獄へ行く』(Goes to Hell)をリリース、全米27位・全英23位。 ここから、"I Never Cry"が全米12位に達した。

 

 

1977年4月29日、ソロ・アルバム『レースとウイスキー』(Lace & Whiskey)をリリース、全米42位・全英33位。ここからは、"You and Me"が全米9位に達した。

 

 

1978年12月、ソロ・アルバム『閉ざされた世界』(From the Inside)をリリース、全米60位・全英68位。ここからは、"How You Gonna See Me Now"が全米12位・全英61位を記録した。

 

 

1980年4月28日、ソロ・アルバム『フラッシュ・ザ・ファッション』(Flush The Fasion)をリリース、全米44位・全英56位。ここからは、"Clones (We're All)"が全米40位になった。

 

 

1981年9月、ソロ・アルバム『スペシャル・フォーセス』(Special Forces)をリリース、全米125位・全英96位。ここからは、"You Want It, You Got It"が全米111位を記録した。

 

 

1982年10月、ソロ・アルバム『ジッパー・キャッチズ・スキン』(Zipper Catches Skin)をリリース、カナダでチャート入りした。

 

 

1983年9月23日、ソロ・アルバム『DADA』(DaDa)をリリース、全英93位。

 

 

1985年、キップ・ウィンガー(Kip Winger/B,Key,Cho)が加入、1987年に脱退し、後に「ウィンガー」を結成する。

 

 

1986年10月、ソロ・アルバム『コンストリクター』(Constrictor)をリリース、全米59位・全英41位。ここからは、"He's Back (The Man Behind the Mask)"が全英61位、"Teenage Frankenstein"が全英80位になった。

 

 

 

1987年10月、ソロ・アルバム『レイズ・ユア・フィスト・アンド・イェル』(Raise Your Fist and Yell)をリリース、全米73位・全英48位。

 

 

1989年7月25日、過去にアリス・クーパーのバンドのメンバーだったキップ・ウィンガーやケイン・ロバーツに加えて、ボン・ジョヴィからジョン・ボン・ジョヴィやエアロスミスからスティーヴン・タイラーやジョー・ペリーも参加しているソロ・アルバム『トラッシュ』(Trash)をリリースすると、全米20位・全英2位をはじめ各国でチャート上位に入る大ヒットを記録。ここからの最大のヒット・シングルは“ポイズン”(Poison)で、全米7位・全英2位をマークした他、各国でチャート上位に入るなど、クーパーはシーンに復帰した。

 

 

同年、スティーヴ・ヴァイの推薦で、アル・ピトレリ(Al Pitrelli/G)がギタリスト兼音楽監督として参加、1991年まで一緒に働き、その後は「メガデス」等で活躍する。

 

その後も幾度となく浮沈を繰返したが、現在においてもなお精力的に活動を行っており、「キッス」や「エアロスミス」と並ぶ、アメリカン・ハードロック界の重鎮ともいえる存在である。

 

 

1991年に公開された、『エルム街の悪夢』シリーズ第6作であり完結編となるアメリカ映画『エルム街の悪夢 ザ・ファイナルナイトメア』(Freddy's Dead: The Final Nightmare)に出演。

7月2日、ソロ・アルバム『ヘイ・ストゥーピッド』(Hey Stoopid)をリリース、全米47位・全英4位を記録した。本アルバムからは、タイトル・トラック"Hey Stoopid"が全米78位・全英21位になった他、"Love's a Loaded Gun"が全英38位、"Feed My Frankenstein"が全英27位に入った。

 

 

 

 

1994年7月12日、ソロ・アルバム『ザ・ラスト・テンプテーション』(The Last Temptation)をリリース、全米68位・全英6位をマークした。ここからは、"Lost in America"が全英22位、"It's Me"が全英34位に入った。

 

 

 

2000年6月6日、ソロ・アルバム『ブルータル・プラネット』(Brutal Planet)をリリース、全米193位・全英38位をマーク。ここからは、"Gimme"が全英85位に入った。

 

 

2001年9月18日、ソロ・アルバム『ドラゴンタウン』(Dragontown)をリリース、全米197位・全英87位を記録した。

 

 

2003年9月23日、ソロ・アルバム『ジ・アイズ・オブ・アリス・クーパー』(The Eyes of Alice Cooper)をリリース、全米184位・全英112位に入った。

 

 

2005年7月4日、ソロ・アルバム『Dirty Diamonds』を英国・欧州でリリース、米国では8月に遅れて発売し、全米169位・全英89位を記録した。

 

 

2006年、テレビ・シリーズ『名探偵モンク』(Monk)シーズン5 第2話「悪夢のゴミ戦争」に本人役で出演した。

同年、ソロ・アルバム『He's Back』をリリース。

 

 

2008年7月29日、ソロ・アルバム『Along Came a Spider』をリリース、全米53位・全英31位。

 

 

2011年、「ロックの殿堂」入りを果たす。

9月13日、ソロ・アルバム『悪夢へようこそ 第2章』(Welcome 2 My Nightmare)をリリース、全米22位を記録した。

 

 

2012年5月11日に北米で公開されたティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の『ダーク・シャドウ』(Dark Shadows)に本人役で出演。

 

 

2015年、アリス・クーパーは、映画で共演したジョニー・デップ(Johnny Depp)やジョー・ペリー(Joe Perry)ら意気投合したメンバーとともに、スーパーグループ「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」(Hollywood Vampires)を結成。

9月11日、ハリウッド・ヴァンパイアーズは、ポール・マッカートニーを含む多くのゲスト・アーティストをフィーチャーしてロック・カヴァーを収録した、セルフ・タイトルのスタジオ・アルバム『ハリウッド・ヴァンパイアーズ』(Hollywood Vampires)をリリース、全米43位・全英30位を記録した。

 

 

同年、ハリウッド・ヴァンパイアーズはLAのロキシー・シアターとブラジルのロック・イン・リオ・フェスティバルでライヴを実施。以降、断続的に活動を行う。

 

 

2016年、大統領選挙で出馬を検討したり、トム・ハンクスに投票すると語るなど、マスメディアはアリスを政治的な保守派だと決めつけるが、一筋縄ではいかない人物である。時にその実際の姿が、世間でイメージされているクーパー像との乖離を生じ、パーティー・クラッシャーと誤解されがちな一面も持つ。当人の実像は、パーティーも好む気さくな人物である。

 

 

2017年7月28日、ソロ・アルバム『Paranormal』をリリース、全米32位・全英6位をマーク。

 

 

 

2019年6月21日、ハリウッド・ヴァンパイアーズが4年振りの2ndアルバム『Rise』を発表。全英184位・全英17位をマークした。

 

 

2021年2月26日、ソロ・アルバム『Detroit Stories』をリリース、全米47位・全英4位をはじめ、ドイツで首位を獲得。

 

 

 

2023年8月25日、ソロ・アルバム『Road』をリリース、全米160位・全英8位をはじめ、ドイツ2位などを記録した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「アリス・クーパー」「Alice Cooper」「Hollywood Vampires (band)」

 

 

 

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