ゲイリー・ニューマン(Gary Numan/出生名:Gary Anthony James Webb/1958年3月8日~)は、イギリスのミュージシャン。

 

 

 

1958年3月8日、ゲイリー・アンソニー・ジェームズ・ウェッブは、ロンドンのハマースミス(Hammersmith, London)で生まれた。彼の父親はヒースロー空港を拠点とするブリティッシュ・エアウェイズのバス運転手であった。

 

7歳の時、それまで一人っ子として生まれ育てられた彼は、家族がいとこ(父の甥)ジョンを養子に迎えたことで兄弟ができた。なお、ジョンも後にミュージシャンとなり、ニューマンのバックバンドで演奏することになる。

ゲイリーはスタンウェルのタウンファームジュニアスクールで教育を受けた。

その後、アシュフォード郡のスラウ・グラマー・スクール、サリー州ウェイブリッジのブルックランズ・テクニカル・カレッジで学んだ。

 

10代で航空訓練隊に入隊し、その後短期間、フォークリフトの運転手、空調用人工呼吸器の取り付け、会計係などの様々な職に就いた。

15歳の時、父親はゲイリーにギブソン・レスポールを買ってくれたが、それは彼の最も大切な財産となった。

ゲイリーは様々なバンドで短期間演奏し、『Melody Maker』誌でメンバー募集の広告を調べた。彼は、当時まだ無名だったバンド「ザ・ジャム」(the Jam)のギタリストのオーディションに落ち、そこでポール・ガーディナーと出会ったと主張している。

 

 

1976年、18歳の時、バンド「ミーン・ストリート・アンド・ザ・レーザーズ」(Mean Street and the Lasers)を結成。

 

 

1977年、ゲイリーのバンドはすぐに名前を「チューブウェイ・アーミー」(Tubeway Army)とする。ラインナップは、ゲイリー・ニューマン (別名「ヴァレリアン」[Valerian]/ G,Vo,Syn)、ポール・ガーディナー (別名「スカーレット」[Scarlett]/B,Cho)、叔父のジェス・リヤード (別名「ラエル」[Rael]/Ds) 。

彼の最初の芸名は「ヴァレリアン」(Valerian)で、恐らくフランスのSF漫画シリーズ『ヴァレリアンとローレリーヌ』(仏語:Valérian et Laureline)に因んだものである。ゲイリーは後に「イエローページ」に掲載されたノイマンという姓の配管工の広告から、「ニューマン」(Numan)という姓をステージ・ネームに選んだ。

バンドはすぐにベガーズ・バンケット・レコードとレコーディング契約を結んだ。

 

 

1978年、シングル"That's Too Bad"をリリース、全英97位でチャート・インした。

 

11月24日、1stアルバム『チューブウェイ・アーミー』(Tubeway Army/旧邦題『デビュー・アルバム』)をリリース、当初はチャート入りしなかったが、1979年に再販され、全英14位をマークした。 

 

 

1979年4月4日、2ndアルバム『レプリカズ』(Replicas/旧邦題『幻想アンドロイド』)をリリース、全英1位をマークした。

 

5月4日、アルバムから"エレクトリック・フレンズ"(Are 'Friends' Electric?)をリカットすると全英1位をマーク、バンド最大にして最後のヒット曲になる。

 

同年、パンクとクラフトワークが融合したかのようなサウンドでロックー・シーンに多大な功績を残し、チューブウェイ・アーミーが解散。これに伴いゲイリーは、ソロ活動を開始した。

8月21日、ゲイリー・ニューマン名義でソロ・デビュー・シングル“カーズ”(Cars)を発表し、全英1位・全米3位を獲得、華々しいソロ・デビューを飾った。

 

9月7日に発表した1stソロ・アルバム『ザ・プレジャー・プリンシプル』(The Pleasure Principle/旧邦題『エレクトリック・ショック!』)も全英1位を記録。

 

11月16日、次に"Complex"をリカットすると、これも全英6位とヒットし、ゲイリー・ニューマンの名はイギリス中に知れわたることになる。

 

 

1980年には来日公演も行った。

9月5日に発表された2ndソロ・アルバム『テレコン』(Telekon)も全英1位を記録、ここからのシングルは、"We Are Glass"が全英5位、"I Die: You Die"が全英6位、"This Wreckage"が全英20位とヒットを連発、まさに彼の絶頂期と言える時期だった。

 

 

 

 

この頃から、それまでのミニモーグやポリモーグを使用したモーグサウンドから、ローランド・ジュピター4やプロフェット5などの名機や、またピアノを導入することによって、徐々にサウンドが変化を見せ始める。

その後、それまでゲイリーのアルバムに参加していたミュージシャン達のほとんどが離れるということが起きたが、様々なゲスト・ミュージシャンを迎えることによって、問題は解決した。

 

 

1981年9月4日、3rdアルバム『ダンス』(Dance)をリリース、全英3位を記録した。多彩なゲスト・ミュージシャンを迎えた本作では、ジャパン(Japan)のミック・カーン(Mick Karn/1958年7月24日-2011年1月4日)によるフレットレス・ベースや、前作以上にプロフェット5を使用し、生ドラムからリズムボックス、リンドラムを導入する事により一層大きなサウンドの変化が現れるようになった。また歌い方もデヴィッド・シルヴィアンを意識したかのような歌い方となった。ここからは、"She's Got Claws"が全英6位になった。

 

 

同年、ライヴ・アルバム『Living Ornaments '79 and '80a』をリリース、全英2位をマークした。このライヴ・アルバムは分割でもリリースし、『Living Ornaments '79』が全英47位、『Living Ornaments '80』が全英39位になった。 

 

 

1982年9月10日、4thアルバム『アイ、アサシン』(I, Assassin/旧邦題『アッサシン』)を発表、全英8位。ここからは、"Music for Chameleons"が全英19位、"We Take Mystery (To Bed)"が全英9位、"White Boys and Heroes"が全英20位。  

 

 

 

 

 

1983年9月16日、5thアルバム『ウォーリアズ』(Warriors)をリリース、全英12位。メジャー・レーベルから発売した最後のアルバムとなった。ここからは、タイトル・トラック"Warriors"が全英20位、"Sister Surprise"が全英32位になった。

 

 

 

 

1984年2月18日、チューブウェイ・アーミー時代からゲイリーとともにほとんどのアルバムに参加してきたベーシストのポール・ガーディナーがヘロイン過激摂取により死亡してしまう。

11月9日、6thアルバム『Berserker』を自らが発足させたレーベル「Numa」からリリース、全英45位。ここからは、タイトル・トラック"Berserker"が全英32位、"My Dying Machine"が全英66位になった。

 

 

だが、これ以降、ゲイリーのアルバム、シングルはヒットしなくなる。

 

 

1985年、シャカタク(Shakatak)のビル・シャープ(Bill Sharpe/Key)とシンセポップ・デュオ「シャープとニューマン」(Sharpe & Numan)を結成、ゲイリーはヴォーカルを担当した。

同年、シャープ&ニューマンが最初のシングル“チェンジ・ユア・マインド”(Change Your Mind)をリリースすると、3月には全英シングル・チャートで最高17位を記録。

 

9月、7thアルバム『The Fury』をリリース、全英24位をマーク。ここからは、"Your Fascination"が全英46位、"Call Out the Dogs"が全英49位、"Miracles"が全英49位、"I Still Remember"が全英74位になった。

 

 

 

 

 

1986年11月、8thアルバム『Strange Charm』をリリース、全英59位。ここからは、"This Is Love"が全英28位、"I Can't Stop"が全英27位になった。

 

 

 

1988年9月、9thアルバム『Metal Rhythm』をリリース、全英48位。日本盤と米国盤タイトルは『ニュー・アンガー』(New Anger)と付けられた。ここからは、"New Anger"が全英46位、"America"が全英49位になった。

 

 

 

1989年6月、シャープ&ニューマン名義で唯一のアルバムとなった『Automatic』をリリース。全英59位。

 

 

1991年3月、10thアルバム『アウトランド』(Outland)をリリース、全英39位。ここからは、"Heart"が全英43位になった。

 

 

1992年9月、11thアルバム『Machine + Soul』をリリース、全英42位。ここからは、"The Skin Game"が全英68位、タイトル・トラック"Machine + Soul"が全英72位になった。

 

 

 

1994年、ミニ・アルバム『The Radial Pair: Video Soundtrack』をリリース。
10月、12thアルバム『Sacrifice』をリリース、米国盤タイトルは『Dawn』。全英94位をマーク。ここからは、"A Question of Faith"が全英88位になった。

 

 

1995年、アルバム『Human』をMichael R. Smithとともにリリース。
 

 

1997年10月20日、13thアルバム『エグザイル』(Exile)をリリース、全英48位。ここから"Absolution"が全英91位になった。

 

 

2000年11月7日、14thアルバム『Pure』をリリース、全英58位。ここからは、 "Rip"が全英29位になった。

 

 

2006年3月13日、15thアルバム『Jagged』をリリース、全英59位。ここからは、"In a Dark Place"が全英63位になった。

 

 

2009年9月21日、アルバム『The Pleasure Prnciple 30th Anniversary Edition』をリリース、全英98位をマークした。

 

 

2011年9月15日、16thアルバム『Dead Son Rising』をリリース、全英97位。

 

近年は、マリリン・マンソンがゲイリーの曲をカヴァーしたり、商業エレクトロニック・ミュージックのパイオニアとしてトレント・レズナーなどの多くのアーティストに影響を与えていることなどに光が当たり、ゲイリーの音楽が注目されたり、再評価されるようになっている。

そんな機運が高まる中、徐々にセールス面での回復を見せる。

 

 

2013年10月14日発表の17thアルバム『スプリンター (ソングス・フロム・ア・ブロークン・マインド)』(Splinter[Songs from a Broken Mind])をリリース、全英20位、日本ではオリコン197位をマークした。
 

 

2017年9月15日発表の18thアルバム『サヴェージ (ソングス・フロム・ア・ブロークン・ワールド)』(Savage [Songs from a Broken World])をリリースすると全英2位を獲得。同アルバムではゲイリーの実の娘であるペルシア・ニューマンがコーラスとして参加しており、しばしばBBCなどのテレビ局でのライヴや比較的規模の大きいライヴでゲイリーと共演している。

 

 

 

2020年5月21日、19thアルバム『Intruder』をリリース、全英2位をマークした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ゲイリー・ニューマン」「Gary Numan」「Tubeway Army」

 

 

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