ネナ・チェリー(Neneh Cherry/主生命:Neneh Mariann Karlsson/1964年3月10日~)は、スウェーデン出身の歌手。

 

 

 

1964年3月10日、ネナ・チェリーことネナ・マリアン・カールソンは、西アフリカのシエラレオネ共和国出身でパーカッショニストのアーマドゥ・ジャー(1936–2018)を父として、テキスタイル・コラージュの作家として知られるスウェーデンの画家モニカ「モキ」カールソン(1943–2009)を母として、スウェーデン王国の首都ストックホルムで生まれた。父親のジャーはシエラレオネで部族長の息子として生まれ、大学で工学を学ぶためにストックホルムに来た。父方の祖母はネネと呼ばれ、母方の祖母はマリアンという名だった。

ネナの両親は早くに離婚した。そして母は、ネナが生まれてから育児を手伝ったドン・チェリー(Don Cherry/1936年11月18日-1995年10月19日)と再婚、ネナはアメリカのジャズミュージシャンである継父ドンの姓チェリーを名乗った。母側の系統に、ネナには異母兄弟でミュージシャンのイーグルアイ・チェリーがいる。また、継父ドンの側には、義理の妹でバイオリニストのジャン・チェリー、義理の兄弟でジャズ・ミュージシャンのデヴィッド・オーネット・チェリーがいる。また、実父アフマドゥ・ジャーがメイレン・ジャー(旧姓:ベルグストロム)と結婚したことにより、ネナは歌手のティティヨとレコードプロデューサーのチェルノ・ジャーの異母姉妹となった。

音楽一家で育ったネナ・チェリーは、父親と一緒にピアノで歌ったことを覚えている。

1970年、チェリーの両親、モキとドン・チェリーは、ヘスレホルムのタガルプの田舎にあるスウェーデンの古い校舎を購入し、改造した。

 

1970年代初頭、義父ドン・チェリーがダートマス・カレッジで教鞭をとっていた時、一家は米国に引っ越した。

 

1977年、家族はトーキング・ヘッズのメンバーであるクリス・フランツとティナ・ウェイマスと同じ建物内にロフトを購入し、彼らは友人になった。

1980年、15歳の時、英国ロンドンへ移住。時はパンク全盛期だった。

ロンドンでチェリーは、パンク・ロック・バンド「ザ・チェリーズ」(The Cherries)に参加した。

チェリーはまた、継父のドン・チェリーが15歳のネナを連れてツアーをしていた時に、ニュー・ウェイヴ/ポストパンクのグループ「スリッツ」(The Slits)のテッサ・ポリット、ヴィヴ・アルバーティーン、アリ・アップに会った。彼女とアリはバタシーのスクワットに住んでいた。スリッツがドン・チェリーをプリンス・ハマーとクリエーション・レベルと一緒にツアーに招待するるなど交流を持つ。

 

1981年、ネナ・チェリーはスリッツにバック・ヴォーカルとして参加。

これと前後して、ニュー・ウェイヴ/ポストパンクのグループ「ニュー・エイジ・ステッパーズ」(New Age Steppers)に参加。

 

また、「リップ・リグ&パニック」(Rip Rig + Panic)でチェリーはリードシンガーを務め、後に同グループが発展した「フロート・アップ・CP」(Float Up CP)にも引き続き参加する。

さらに、レゲエの海賊である「ドレッド・ブロードキャスティング・コーポレーション」(Dread Broadcasting Corporation)で初期のラップ・ミュージックを演奏し、DJ を行った。

 

 

1981年8月13日、リップ・リグ&パニックがシングル“Go!Go!Go!This Is It / The Ultimate in Fun(Is Going to the Disco with My Baby)”をヴァージン・レコード(Virgin Records)からリリース。

 

 

9月3日、リップ・リグ&パニックは1st LP(アルバム)『ゴッド』(God)をリリース。

 

11月27日、シングル“Bob Hope Takes Risks”を続いて発表。

 

 

1982年、シングル“You're My Kind of Climate”をリリース。

 

6月18日、リップ・リグ&パニックの2ndアルバム『アイ・アム・コールド』(I Am Cold)をリリース。本作は、ヴォーカリストのアンディ・オリヴァーと義父であるジャズ・トランペッターのドン・チェリーの協力を得てレコーディングされた。

 

 

1983年、リップ・リグ&パニックの3rdアルバム『アティテュード』(Attitude)をリリース。

 

 

1985年、リップ・リグ&パニックはフロート・アップ・CPとなり、チェリーも引き続き参加。

同年、フロート・アップ・CPとしてアルバム『キル・ミー・イン・ザ・モーニング』(Kill Me in the Morning)を制作、ラフ・トレードからリリースし、英インディーズ・アルバム・チャート21位をマーク。ここから“Joy's Address”が英インディーズ・シングル・チャートで16位をマークしたが、その後まもなくグループは友好的に解散した。

 


1986年、チェリーは日本のデザイナー菊池武夫のファッションショーに出演、これに伴い、モデル、スタイリスト、フォトグラファーから構成された集団「BUFFALO」の一員として、「ワイルド・バンチ」(The Wild Bunch)とともに日本ツアーを実施。


1988年11月28日、ソロシングル“Buffalo Stance”をリリースすると、米音楽誌『ビルボード』(Billboard Magazine)の全米シングルチャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)第3位、同誌ダンス・チャートで第1位を獲得、また本国イギリスでは英音楽誌『ミュージック・ウィーク』誌の全英シングルチャート(以下「全英」)第3位のヒットを記録した。

 


1989年6月5日、1stアルバム『ロウ・ライク・スシ』(Raw Like Sushi)をリリース、全英2位に達したのをはじめ、スウェーデン3位・スイス6位など、欧州を中心にチャート上位を記録し、『ビルボード』誌の全米アルバムチャート「Billboard 200」で40位にランクインした。ここからのシングルは、マッシヴ・アタックのロバート・デル・ナジャ(3D)が作曲している“Manchild”が全英5位、“Kisses on The Wind”が全米8位、また欧州とニュージーランド限定リリースの"Inna City Mamma"が全英31位の他オランダで6位に入った。

 

 

 

 


1990年、ブリット・アワードの「Best Single」と「Best Female Vocalist」を受賞。

9月17日、コール・ポーター(Cole Porter)のトリビュート・アルバム『Red, Hot & Blue』から“I've Got You Under My Skin”をシングルカット、ジャングル・ブラザーズをプロデューサーに迎えて制作した本曲は、全英25位を記録した。

 


1991年、マッシヴ・アタックのデビュー・アルバム『ブルー・ラインズ』に参加。


1992年10月26日、R.E.M.のマイケル・スタイプ、ギャング・スターが参加した2ndアルバム『ホームブルー』(Homebrew)をリリース、全英27位をマークした。ここからのシングルは、"Money Love"が全英23位、"Buddy X"が全英35位・全米43位・米ダンス4位に達した。

 

 

 


1994年、ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour)と共演したシングル“7 Seconds”は、全仏チャート(SNEP)、スイス1位、全英3位を記録した。同曲は、「MTV・ヨーロッパ・ミュージック・アワード」(MTV Europe Music Awards)において「Best Song」(最優秀楽曲賞)を受賞している。

 


1995年、プリテンダーズのクリッシー・ハインド、シェール、エリック・クラプトンらと共演したシングル“Love Can Build a Bridge”が、全英チャート第1位を獲得。

 

また、マーヴィン・ゲイのトリビュート・アルバム『マーヴィン・ゲイ・トリビュート』 (Inner City Blues The Music Of Marvin Gaye)に収録された“Trouble Man”がシングル・カットされた。

 


1996年、3rdアルバム『マン』(Man)をリリース、全英16位に入った他、オーストリア、フランス、スイスでトップ5入りを果たし、豪州でも10位にランクインした。アルバムからシングルカットされた“Woman”は、全英9位を記録した。

 

 

 

1999年、Dreem Teemとのコラボ・シングル"Buddy X 99"を欧州のみでリリース、全英19位をマークした。


2005年、ゴリラズのアルバム『ディーモン・デイズ』に参加。夫のキャメロン・マクヴィとサーカス (CirKus)を結成した。


2012年、フリージャズのグループ「ザ・シング」 (The Thing)とともにアルバム『ザ・チェリー・シング』(The Cherry Thing)をリリース、

 

 

2013年、グラミー賞にて、『ザ・チェリー・シング』で「Jazz Recording of the Year」を受賞。


2014年、フォー・テットをプロデューサーに迎えた4thアルバム『ブランク・プロジェクト』(Blank Project)をSmalltown Supersoundからリリース、全英41位をマークした。



2018年10月19日、フォー・テットとロバート・デル・ナジャ(3D)をプロデューサーに迎えた5thアルバム『ブロークン・ポリティクス』(Broken Politics)をリリース、全英76位を記録した。

 

 

2019年、グラミー賞にて、『ブロークン・ポリティクス』で「Best Electronic/Dance」賞を受賞

 

 

2022年、NME Awardsにて、「Icon Award」を受賞。

6月10日、6thソロアルバム『The Versions』をEMI/ユニヴァーサル・ミュージックからリリース。ここから"Kong"をシングルカットした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ネナ・チェリー」「Neneh Cherry」「リップ・リグ&パニック」