ヴァネッサ・パラディ(Vanessa Paradis/出生名:Vanessa Chantal Paradis/1972年12月22日~)は、フランス出身の歌手、シンガーソングライター、女優、モデル。

 

 

 

1972年12月22日、ヴァネッサ・シャンタル・パラディは、パリの中心から約11kmに位置する近郊のサン=モール=デ=フォッセ(仏語:Saint-Maur-des-Fossés)で、インテリア・デザイナーのアンドレ・パラディとコリンヌ・パラディの間に生まれた。

妹のアリソン・パラディ(Alysson Paradis/1984年5月29日-)は後に女優となる。叔父に俳優のディディエ・パンがいる。

 

子どもの頃、彼女はダンスのレッスンに登録し、ピアノの基礎を学び、子どもモデルのキャスティング・セッションに参加した。

 

7歳の時、パラディは叔父のディディエ・パンからの紹介で、地元テレビ局の子ども歌手のタレント・ショー番組『エコール デ ファン』に出演した。

 

 

1983年、パラディは最初のシングル“ラ・マジ・デス・サプライズ・パーティ”(La Magie des surprises-parties/「サプライズ・パーティーの魔法」の意)を録音し、1985年にイタリアのフェスティバルで披露した。

 

 

1987年、彼女が14歳で、地元のリセ・マルセラン=ベルテロや、フォントネー=スー=ボワのリセ・パブロ=ピカソに通っていた時、シングル“夢見るジョー”(Joe Le Taxi)で歌手デビューし、フランスで11週連続ナンバー1となる大ヒットを記録。フランス語の曲としては珍しく英国でも3位とトップ10に入った。本曲は、フランスで13位を記録した1stアルバム『マリリン&ジョン』(M&J) からの曲である。同アルバムからは他に、"Manolo Manolete"がフランス10位、タイトルトラック"Marilyn & John"がフランス5位、"Maxou"がフランス13位、"Coupe coupe" がフランス22位になるなど、多数のヒット曲を輩出した。

 

 

 

 

 

 

当時は世界的に10代のシンガーがこぞってデビューし、フランスでもヴァネッサとエルザ・ランギーニ(Elsa Lunghini/芸名:エルザ/1973年5月20日-)はアイドル的な扱いをされた。エルザが正統派アイドルなのに対し、ヴァネッサはロリータ的な雰囲気を持ち、舌足らずな歌声で人気を博す。だが、あまりに蠱惑的なために同性である女性やメディアからの激しいバッシングを受け、時には通りすがりの女性たちから直接暴行を受けることさえあった。

 

 

1989年3月、16歳で高校を中退し、歌手としてのキャリアを追求した。

同年の『白い婚礼』で映画デビューし、セザール賞新人女優賞とロミー・シュナイダー賞を受賞した。

 

 

1990年2月4日、Victoires de la Musique で最優秀歌手賞を受賞した際に、作曲家、歌手であり、俳優、映画監督でもあるセルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg/ 1928年4月2日-1991年3月2日)と出会った。

6月18日、パラディはゲンズブールにより作曲とプロデュースがなされたアルバム『ヴァリアシオン』(Variations sur le même t'aime)をリリース、ルー・リードの曲“ウォーク・オン・ザ・ワイルド・サイド”(Walk on the Wild Side)のリメイクを収録するなど新たな試みにも果敢に取り組んだ。フランスで6位になった本アルバムからのシングルは、"Tandem"がフランス22位、"Dis-lui toi que je t'aime"がフランス41位になるに止まった。

 

 

 

 

 

1991 年、パラディはシャネルのフレグランス「ココ」(CoCo)を宣伝した。 広告では、彼女は黒い羽で覆われており、檻の中で揺れる鳥を描いている。広告写真はジャン=ポール・グードが撮影した。その後、バッグの「カンボンライン」、「コクーン・ライン」で広告塔を務めたパラディは、2010年にシャネルへの彼女の継続的な賞賛について、「彼らを知れば知るほど、シャネルが大好きになる」と語った.

 

 

1992年9月22日、交際の噂が立ったレニー・クラヴィッツ(Leonard Kravitz/1964年5月26日-)のプロデュースにより、初めて英語のみで歌われたアルバム『ビー・マイ・ベイビー』(Vanessa Paradis)をリリース、クラヴィッツのバンドもレコーディングに参加した本作は自身初のフランス1位に加え、全英アルバムチャートにも45位で初めて入るなど世界的にヒット、フランスを代表するシンガーとなる。なお、日本発売は同年10月25日で、日本盤タイトル『ビー・マイ・ベイビー』(Be My Baby)は収録曲から採られた。ここからのシングルは、"Be My Baby"がフランス5位・全英6位になったのをはじめ、"Sunday Mondays"が全英49位、"Just as Long as You Are There"が全英57位になった。また、本アルバムには再びルー・リードにより作られたヴェルベット・アンダーグラウンドの楽曲"I'm Waiting for the Man"がカヴァーされ、収録された。

 

 

 

 

 

 

1994年2月28日、ライヴアルバム『ライヴ〜ナチュラル・ハイ・ツアー』(Vanessa Paradis Live)をリリース、フランス7位になった。

 

 

1998年、映画『ハーフ・ア・チャンス』に出演し、アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドと共演。

同年、パトリス・ルコントの『橋の上の娘』で、ダニエル・オートゥイユと共演。

同年から俳優のジョニー・デップと交際。結婚はしていなかったがおしどりカップルとして知られていた。

 

 

2000年10月21日、アルバム『ブリス』(Bliss)をリリース、フランス1位。本アルバムからのシングルは、"Commando"がフランス43位になった他はチャートでの成果を得られなかった。

 

 

 

1999年5月7日、ジョニー・デップとの間に長女リリー=ローズ・メロディ・デップ(Lily-Rose Melody Depp/1999年5月27日-)をパリで出産。名付け親はマリリン・マンソンである。

 

 

2002年4月9日、デップとの間に長男ジョン・クリストファー・“ジャック”・デップ三世を出産。

 

 

2007年8月27日、アルバム『神々しき純愛』(Divinidylle)をリリース、フランス1位になった他、ベルギー1位、スイス6位になった。ここからのシングルは、"Divine idylle"がベルギー5位、"L'Incendie"がベルギー54位になった。

 

 

 

 

2008年9月20日、ライヴアルバム『Divinidylle Tour』をリリース、フランス5位・ベルギー5位。

 

 

2009年11月23日、自身初のベストアルバム『Best of Vanessa Paradis』をリリース、フランス1位・ベルギー1位。ここからは、"Il y a"がベルギー4位になった。

 

 

 

2011年10月、サウンドトラックアルバム『Un monstre à Paris with -M-』をリリース、フランス7位・ベルギー10位。ここからは、"La Seine" with -M-がフランス9位・ベルギー3位になった。

 

 

2012年6月、ジョニー・デップと破局したことが代理人を通して明らかになる。リリー=ローズの親権は両者が共有することとなった。

 


2013年5月、アルバム『Love Songs』をリリース、フランス1位・ベルギー2位・スイス4位。タイトルトラック"Love Song"がフランス20位・ベルギー19位になった他、"Les espaces et les sentiments"と"Mi amor"がフランスでチャートインした。

 

 

 

 

同年から歌手・プロデューサーのバンジャマン・ビオレと交際していたが、2015年に別れている。

 


2016年9月2日、この日アメリカで公開されたアメリカ合衆国のホラー・コメディ映画『コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団』(Yoga Hosers)に、ジョニー・デップとパラディの娘リリー=ローズ・デップが映画初主演し、デップとパラディも出演した。

同年より映画監督のサミュエル・ベンシェトリと交際し、2017年11月に婚約、2018年6月30日にフランス北部の小さな町で挙式を行い結婚した。

 

 

2018年11月16日、アルバム『Les sources』をリリース、フランス6位・ベルギー12位。"Ces mots simples"、"Kiev"、"La plage"をカットした。

 

 

 

 

 

2019年、Nekfeuと共演したシングル"Dans l'univers"をリリース、フランスで2位に入った。

 

11月29日、ベストアルバム『Best of & Variations』をリリース、フランス29位・ベルギー45位になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ヴァネッサ・パラディ」「Vanessa Paradis」

 

 

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