エルヴィン・ビショップ(Elvin Bishop/1942年10月21日~)は、アメリカ合衆国のブルース及びロックのギタリスト、シンガー。

 

 

1942年10月21日、アメリカ合衆国カリフォルニア州グレンデール(Glendale, California)で、ミルダ (旧姓:クリージ) とエルビン・ビショップ・シニアの息子として生まれた。

彼はアイオワ州エリオット(Elliott, Iowa)近くの農場で育った。

 

10歳の時、一家はオクラホマ州タルサに移住。

14歳の時、ジミー・リード(Jimmy Reed/1925年9月6日-1976年8月29日)のハーモニカで音楽に目覚め、ハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf/1910年6月10日-1976年1月10日)やマディー・ウォーターズ(Muddy Waters/1913年4月4日-1983年4月30日)などのブルーズに触発され、ギターを弾き始める。

地元のウィル ロジャース高校に通い、極めて成績優秀だったヴィショップは、全額奨学金を得てシカゴ大学に進学。大学では物理学を専攻する。

1963年、シカゴ大学在学中、ブルースハープ奏者でシンガーでもあったポール・バターフィールド(Paul Butterfield/1942年12月17日–1987年5月4日)と出会う。ビショップによると、出会った当初バターフィールドはハープよりはギターを弾いていたが、知り合って6ヶ月経った頃にはハープに真剣に取り組むようになり、見違えるように上達していた。そして、バターフィールドのヴォーカルとハーモニカにビショップがギターで伴奏する形で、シカゴのノースサイドにあるフォーク・クラブ「ビッグ・ジョンズ」でレギュラーのギグのオファーを受けたのだった。

同年、ビショップとバターフィールドの2人に、ハウリン・ウルフのツアー・バンドからジェローム・アーノルド(Jerome Arnold/B)とサム・レイ(Sam Lay/Ds)が加わる形で、バターフィールドの名を冠した「ポール・バターフィールド・ブルース・バンド」(the Paul Butterfield Blues Band)を結成。この頃ビショップは、ハウリン・ウルフ・バンドのギタリスト、リトル・スモーキー・スマザーズ(Little Smokey Smothers)にブルーズギターを習う。

ビショップは、音楽活動のため大学を中退する。

同年、バターフィールドの誘いで、リード・ギタリストとしてマイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield/1943年7月28日-1981年2月15日)がバンドに加入。

ブルームフィールドの加入後、エレクトラ・レコードと契約を結ぶ。

12月初録音。“Born in Chicago”の初期バージョンは翌1965年のエレクトラのコンピレーション・アルバム『Folksong '65』に収録され、注目される(この初録音時の音源は、1995年のアルバム『オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッション』にすべて収録)。

 

 

1965年10月、アルバム『The Paul Butterfield Blues Band』をエレクトラ・レコードから発表してデビュー。再録音した“Born in Chicago”やブルーズのスタンダード・ナンバー“Blues with a Feeling”等を収録。米音楽誌『ビルボード』(Billboard)総合アルバムチャート「Billboard 200」(以下「全米」)123位。

 

 

 

 

1966年8月、2ndアルバム『East-West』をリリース、全米65位。ロバート・ジョンソン“Walkin' Blues”やマイク・ネスミス“Mary, Mary”のカヴァーの他、ビショップとブルームフィールドのソロが聴ける表題曲で13分のインスト・ナンバー“East-West”等を収録した、名盤の呼び声が高い一枚。

 

 

 

 

 

1967年12月、3rdアルバム『ピグボーイ・クラブショー』(The Resurrection of Pigboy Crabshaw)をリリース、全米52位。

 

同年、ブルームフィールドがバンドを脱退し、その後はビショップがリード・ギターを担当した。しかし次第にソロ活動の願望が強くなる。

 

 

1968年7月、4thアルバム『In My Own Dream』をリリース、全米79位。

 

9月28日、マイク・ブルームフィールドとアル・クーパーのライヴに参加。この時の模様はライヴアルバム『フィルモアの奇蹟』(The Live Adventure of Mike Bloomfield and Al Kooper)としてリリースされた。3日間のライヴの最終日である28日、ブルームフィールドが急病のため急遽代役に立ったビショップが“ノー・モア・ロンリー・ナイツ”(No More Lonely Nights)でヴォーカル、ギターを担当した。なお、本作で同じく代役で登場したカルロス・サンタナがレコード・デビューを果たしている。

同年末、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドを脱退。

ビショップは自らのバンド「エルヴィン・ビショップ・グループ」(The Elvin Bishop Group)を結成し、ソロ活動を始める。

 

 

1969年、セルフタイトルの1stソロアルバム『The Elvin Bishop Group』をFillmoreからリリース。

 

 

1970年、エルヴィン・ビショップ・グループ名義の2ndアルバム『フィール・イット!』(Feel It!)をリリース。

 

 

 

 

1972年、ソロ名義でアルバム『Rock My Soul』をEpicからリリース。

 

1970年代にはソングライターとしての才能が開花、ヒット曲を生み出すようになる。

 

 

1974年5月、4thアルバム『Let It Flow』をCapricornからリリース、全米100位。ここからカットした"Travelin' Shoes"が全米61位のヒットになった。

 

 

 

1975年、"Sure Feels Good"が全米83位になった。

 

同年、アルバム『Juke Joint Jump』をリリース、全米46位・カナダ53位。

 

同年、アルバム『ストラッティン』(Struttin' My Stuff)が全米18位・カナダ22位を記録。ここからのシングル曲“愛に狂って”(Fooled Around and Fell in Love)は全米3位・全英34位を記録する自身最大のヒット曲となった。本曲はミッキー・トーマスがヴォーカルを担当し、現在も多くのアーティストにカヴァーされ、たくさんの映画やテレビドラマでも使われている。また、アルバムからは他にタイトルトラック“Struttin' My Stuff”が全米68位になった。

 

 

 

同年、『Hometown Boy Makes Good!』からの先行シングル"Spend Some Time"をリリース、全米93位になった。

 

 

1976年、アルバム『Hometown Boy Makes Good!』をリリース、全米70位。

 

 

1977年、ライヴアルバム『Raisin' Hell』をリリース、全米38位・カナダ62位。

 

 

1987年5月4日、ポール・バターフィールドがノース・ハリウッドのアパートで死去、44歳の若さだった。死因はモルヒネ(ヘロイン、痛み止め)の過剰摂取と鑑識された。バターフィールドは1980年代初頭から、耐え難い激痛をともなう腹膜炎で何度も手術を受けていたという。

 

 

1988年、アルバム『Big Fun』をAlligatorからリリース。

 

 

1991年、アルバム『Don't Let the Bossman Get You Down!』をリリース。

 

 

2000年以降はサンフランシスコに在住し、音楽活動を続けている。

同年8月、彼の娘と前妻が金目当ての強盗殺人事件で殺されるという悲劇に見舞われている(テイラー・ヘルザー事件)。犯人は、洗脳によって女性たちを自らのカルト教団「Children of Thunder」に引き入れていた元モルモン教徒のグレン・テイラー・ヘルザー(Glenn Taylor Helzer)とその弟らで、テイラーと付き合っていたビショップの娘が犯罪に利用され、母親とその恋人が口封じのために殺された。

 

ビショップはコンサートツアー以外にも度々来日している親日家であり、日本人とのインタビューの際にも日本語で応答可能なほど会話も達者で、日本語の読み書きを特技としている。


 

2005年、ビショップは7年ぶりの新しいソロアルバム『Gettin' My Groove Back』 をBlind Pigからリリース。

 

 

2008年9月23日、ビショップは『The Blues Rolls On』を、移籍したレーベル「Delta Groove Music」からリリース。トミー・カストロ、ジェームズ・コットン、ウォーレン・ヘインズ、B.B.キング、デレク・トラックス、ジョージ・ソログッド、キム・ウィルソン、ジョン・ネメス、アンジェラ・ストリーリが彼をサポートした。このアルバムは、グラミー賞の「ベスト トラディショナル ブルース アルバム」にノミネートされた。

 

 

 

2010年、ビショップはアルバム『Red Dog Speaks』をリリース。

 

 

2012年8月、フジロック・フェスティバルに出演した際、日本語を特技とするビショップは流暢な日本語のMCを披露したという。

10月、彼の最初のライヴDVD『That's My Thing: E​​lvin Bishop Live in Concert』がDelta Groove レーベルからリリース。2011年12月17日にカリフォルニア州レッドウッド シティのクラブ フォックスでライヴ録音された本作は、ブルース財団によって2012年のベスト ブルース DVD にノミネートされた。


 

2015年4月、ビショップはポール・バターフィールド・ブルース・バンドのオリジナル・メンバーとして「ロックの殿堂」(the Rock and Roll Hall of Fame)入りを果たした。

5月、ブルース財団は、ビショップが第36回ブルース ミュージック アワードに6部門でノミネートされたことを発表した。彼はそのうちの3つで勝利を収めた。

 

 

2016年、ビショップは「ブルースの殿堂」(the Blues Hall of Fame)入りを果たした。

 

 

2017年11月、彼のアルバム『Elvin Bishop's Big Fun Trio』はグラミー賞の「ベスト トラディショナル ブルース アルバム」にノミネートされた。なお、グラミー賞はザ・ローリング・ストーンズが『ブルー』と『ロンサム』で受賞した。

 

 

2018年、アルバム『サムシング・スメルズ・ファンキー・ラウンド・ヒア』(Something Smells Funky 'Round Here)をリリース。

 

 

2021年11月、チャーリー マッセルホワイトとの彼のアルバム『100 Years of Blues』 は、翌2022年1月31日に開催される第64回グラミー賞の「ベスト トラディショナル ブルース アルバム」にノミネートされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「エルヴィン・ビショップ」「Elvin Bishop」

 

 

 

 

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