カーク・ハメット(Kirk Hammett/出生名:Kirk Lee Hammett/1962年11月18日~)は、アメリカ合衆国のヘヴィメタルバンド、メタリカのギタリスト。

 

 

 

1962年11月18日、カーク・リー・ハメットは、テオフィラ「チェフェラ」とデニス・L・ハメットの息子として、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、エル ソブランテの町で育った。オヤオ生まれの母親はセブ島からの移民のフィリピン系であり、イギリス人、ドイツ人、スコットランド人、アイルランド人の家系である父親は米商船の船乗りだった。

 

 

5歳の時、ハメット少年が興味を示したのはホラー映画であった。時は60年代後半、『The Day of the Triffid』をテレビで観たことがきっかけだった。

その後、ハメットはフランケンシュタインの人物像に惹かれ、すぐにホラー雑誌を集め始めた。それからの約10年間、ハメットはホラー・シーンに深く入り込んだ。

 

ハメットは、兄のリックの膨大なレコード・コレクション (ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、UFO を含む) を聴いた後、音楽に興味を示し始める。音楽への情熱はホラーに対するそれにとって代っていき、ハメットはレコードを購入するためにホラー雑誌のコレクションを売るようになる。

 

ハメットはカリフォルニア州リッチモンドのデ・アンザ高校に通った。デ・アンザ高校在学中、後にプリムスのベーシストとして知られるレス・クレイプールと出会い、現在も親交を深めている。

 

ジェフ・ベックやシン・リジィ、UFOの影響を受け、ハメットが初めてギターを手にしたのは15歳の時。最初のギターは、何の変哲もないモンゴメリー・ワードのカタログ・スペシャルで、アンプ用の靴箱 (4インチ・スピーカー付き) が付属していた。

それから、ジョー・サトリアーニに師事する。

1978年製フェンダー・ストラトキャスターのコピー・モデルを購入した後、ハメットは様々なギター・パーツでサウンドのカスタマイズを試みたが、最終的に1974年製ギブソン・フライングVを購入し、これに落ち着いた。

 

ハメットの音楽への関心は最終的に、当時新しいジャンルだったスラッシュ・メタルに彼を引き込んだ。

 

1979年、16歳の時、ハメットが発起人となり、ポール・バロフ(Vo)、ティム・アグネロ(G)、ジェフ・アンドリュース(B)、トム・ハンティング(Ds)とともにバンドを結成。 ハメットはレオン・ユリスの小説にちなんでバンドを「エクソダス」(Exodus)と名付けた。

 

 

1982年、エクソダスはデモを制作。

 

 

1983年には“ダイ・バイ・ヒズ・ハンド”(Die By His Hand)を演奏した。 エクソダスは、ベイエリアのスラッシュ・ムーブメントに影響を与えたバンドであった。

 

 

1983年4月、ハメットは突然、メタリカに加入することになる。ギタリストのデイヴ・ムステインを解雇したメタリカの後釜として白羽の矢が立ったからであったが、ハメット曰く、「エイプリル・フールに連絡が来てね。最初は冗談かと思ったよ。」とのこと。余りにも急な加入であったため、当初1年位はバンドでの自分の立場がサポートなのか正式メンバーなのか自身もはっきり解っていなかった程であった。

ギターは、ESPのシグネイチャー・モデルを主に使用している。また、ゲイリー・ムーアがピーター・グリーンから購入した1959年製ギブソン・レスポール「Greeny」を所有している。ハメット曰く「どうしても金に困った友人がこのギターを買ってくれと言って来たから、意外な程安い値段で手に入れることが出来た」由の発言をしている。スタジオで使用している他、稀にステージでも使用することがある。

7月25日、メタリカはデビューアルバム『キル・エム・オール』(Kill 'Em All)をインディーズ・レーベルのメガフォースよりリリース。レコーディングでハメットはリードギターを演奏したが、収録曲の大半は既にデモ制作されていた楽曲の再録であったため、前任のムステインが作曲に関与したものが4曲ある一方、ハメットは曲作りには参加していない。

 

 

 

1984年7月30日、2ndアルバム『ライド・ザ・ライトニング』(Ride the Lightning)をリリース、クリフ・バートンとともにハメットも曲作りに積極的に参加した。タイトルの『ライド・ザ・ライトニング』とは、ハメットが読んでいたスティーヴン・キングの小説『ザ・スタンド』の中で、死刑囚監房にいた男が「稲妻に乗る(ride the lightning)」という一節に由来。アルバムは全米でミリオン・ヒットとなり、プラチナディスクに認定された。

 

 

1986年3月3日、3rdアルバム『メタル・マスター』(Master of Puppets)をElektraからリリースしてメジャーデビュー。叙情的フレーズを盛り込み、楽曲に構成を持たせるようになった。全米29位・全英41位を記録、自身初の全米トップ40入りを果たし、現在までにアメリカだけでも600万枚以上の売り上げを記録している。

 

 

9月27日、ツアー中のスウェーデンでメンバーの乗ったバスがスリップ事故を起こし、ベーシストのクリフ・バートンがバスの下敷きになり死亡。バンドは9月27日以降のツアーを急遽キャンセルした。

9月28日、残りのメンバーはアメリカに帰国、10月7日の葬儀参列後、後任ベーシストのオーディションを行い、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドを迎える。

 

 

1988年9月、複雑な拍子の楽曲にチャレンジした4thアルバム『メタル・ジャスティス』(...And Justice for All)発表。全米6位・全英4位になった。“One”を収録し、映画『ジョニーは戦場へ行った』とのコラボレーションとなった初のMVもリリースし、アルバム プロモーションツアーでは、CDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなセットであった。

 

 

 

1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に“One”がノミネート。

 

 

1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で“One”が受賞。グラミー賞授賞式においては、フォーマルスーツの慣例を無視して自然体のジーンズ姿で登場した。

 


1991年8月12日、5作目にして初のセルフ・タイトルとなったスタジオ・アルバム『メタリカ』(Metallica/通称『ブラック・アルバム』)をリリース、スピードよりもグルーヴを重視した作風に変化し、当時のヘヴィメタルに留まらず、後のニューメタルやラウドロック等のロック・シーンに多大な影響を与えた。全米1位・全英1位。

 

 

 

 


1996年6月4日、前作から続くグルーヴへの傾倒は6作目アルバム『ロード』(Load)でも踏襲、全英・全米1位を記録するなど爆発的な売り上げを見せるも、正統的なヘヴィメタル要素が大幅に減退した内容は賛否両論を巻き起こした。全米1位・全英1位。ここから、"Until It Sleeps"が米誌『ビルボード』の「Hot 100」に10位で初めてトップ10入り、全英でも5位に入った。また、"Hero of the Day"と"Mama Said"が全英でトップ20入りした。

 

 

 

 

 

1997年11月18日リリースの7作目アルバム『リロード』(Reload)においてグルーヴ志向が決定的となり、メンバーの音楽的なバックグラウンドを反映させた多彩なアプローチを盛り込んだオルタナティヴ・ロックに傾斜し、ヘヴィメタルシーンにおいて広く影響を与える作品となった。全米1位・全英3位と商業的成功を得たものの、2作続けてのこの路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし、収録曲のほとんどが『Load』のアウトテイクであり、実際は2枚組で発売する案もあった。

 

 

 


1998年、カヴァー・アルバム『ガレージ・インク』(Garage Inc.)を発表。ダイヤモンド・ヘッド、シン・リジィ、レーナード・スキナード、ブラック・サバス、ミスフィッツなど27曲をカヴァー。ライブでよく披露する曲を収録している。全米2位・全英29位。

 

 

1999年、San Francisco Symphonyと共演したライヴアルバム『S&M』をリリース、全米2位になった。

 

 

2001年1月、ジェイソン・ニューステッドが脱退。

 

 

2003年2月、MTVアイコン・アワードを受賞する際、オーディションにより選ばれた新ベーシスト、ロバート・トゥルージロの加入が発表された。

6月5日、8thアルバム『セイント・アンガー』(St. Anger)発表、全米1位・全英3位。全曲を通じてギターソロがなく、リフだけ徹底して作りこまれている本作は、殆どがドロップC(ドロップD+1音下げ)のチューニングで演奏し、非常に重く仕上げられている。2017年現在においてもバンドのキャリアの中で異色のアルバムであり、大きなターニングポイントとなった。制作当時はニューステッド脱退後で、トゥルージロ加入の直前であったため、プロデューサーのボブ・ロックがベースを弾いている。

来日公演ではツアー前にキャンセル誤報があったものの、大成功を収めた。

 

 

 

 

2004年、『St. Anger』完成までの3年間に密着し、1600時間もの膨大なテープを編集した映画『メタリカ:真実の瞬間』(Some Kind of Monster)が製作され、日本では2005年7月より一部劇場で上映された。

 


2005年、ハメットは「サンタナ」(Santana)のアルバム『オール・ザット・アイ・アム』(All That I Am)にゲスト参加、全米2位に達した。


2008年9月12日、9作目アルバム『デス・マグネティック』(Death Magnetic)を Warner Bros.からリリース、リック・ルービンをプロデューサーに迎え、トゥルージロが参加する初のアルバムとなる。本アルバムからの曲がライヴで演奏されることはほとんどない。スラッシュメタルに回帰したとメンバーは語っており、初期のような疾走感を強調した作風である。トゥルージロは、5弦ベースをフィンガー・ピッキングで演奏するスタイルでバリエーションの広い表現が盛り込まれ、シンプルなリフが多く、プロモーションも手助けし広い分野でのアーティストから高く評価される1枚になっている。全米1位・全英1位。

 

 


2011年に、ルー・リードと共作のアルバム『LuLu』を発表。全曲を通じて、メタリカのヘヴィなサウンドにルーの独特な歌い回しを乗せるもので、昨今のロックシーンをリードした人物同士によるコラボレーション作品として、高い評価を得ている。またこのアルバムでのサウンド作りは、次のアルバムの基盤になった。

 


2016年3月23日、アメリカ議会図書館が「文化的、歴史的、芸術的に重要な録音物を保存すること」を目的に2000年から毎年行っている「国家保存重要録音登録制度」の2015年度作品に、メタリカの『メタル・マスター』が登録された。

11月18日、10作目アルバム『ハードワイアード…トゥ・セルフディストラクト』(Hardwired...To Self-Destruct)をリリース、前作よりもシンプルなリフ構成で作られ、ストレートでキャッチーなリフやメロディの楽曲が多く、発売から数か月間で全世界140カ国の音楽チャートで1位を記録した。 また、2015年12月に他界したレミー・キルミスターへ捧げた“Murder One”も収録。歌詞の題材は、自己の内面や死、孤独、狂気、核戦争、司法システムの矛盾、表現の自由などシビアな内容が多く、その中で文学作品や映画からのインスパイアも少なくない。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーは、「彼らは、どのピース&ラブ・バンド以上に、人々をひとつにした」と評している。全米1位・全英2位。

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月28日、San Francisco Symphonyと再び共演したライヴアルバム第二弾『S&M2』をBlackenedからリリース、全米4位・全英2位を記録した。    


2022年4月、初のソロEP『Portals』を発表。本作には、エドウィン・アウトウォーター、LAフィルハーモニー管弦楽団、ジョン・セオドア、ボブ・ロック、ブレイク・ニーリー、エイブラハム・ラボリエルなどが参加。収録曲(全4曲)は全てインスト曲となっており、カーク自らがプロデュースを担当している。

 

10月6日、ロックバンド「ジャーニー」のツアー「Freedom Tour 2022」のハワイ・ホノルル公演にゲスト出演した。サーフィンを趣味としており、「一年中いつでもサーフィンを楽しみたいから」という理由でロサンゼルスの邸宅を引き払い、ハワイに移住しているハメットは、メタリカの“Enter Sandman”やHSAS(ニール・ショーンのプロジェクト)の“My Hometown”を織り交ぜた特別アレンジの“Wheel In The Sky”をジャーニーのメンバーとともに披露した。

 

 

 

 

 

音楽に情熱を傾けたが、ホラー好きは相変わらずのハメット。古いホラー映画とアニメ、特撮が好きで、自宅には何千冊ものマンガがあり、グッズもかなりの数を所有している。『ウルトラマン』や『仮面ライダー』、『鉄腕アトム』、『ゲゲゲの鬼太郎』などの日本のアニメも好み、特に『デビルマン』のファン。来日公演の際、ファンから『北斗の拳』のフィギュアを貰い、大喜びしている映像がある。

彼が使用するESP製のメインギター群の中にも「MUMMY」と呼ばれる古いホラー映画『ミイラ再生』(原題:The Mummy/主演:ボリス・カーロフ/1932年作品)のペイントを施されたギターなど、彼の趣味嗜好が反映されたカスタムギターが複数存在し、実際にライヴやレコーディングで使用している。
そんなハメットの一面が知れる映像が、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「カーク・ハメット」「Kirk Hammett」「メタリカ」「Metallica」

 

 

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