河合 その子(かわい そのこ/1965年6月20日~)は、日本の元歌手、元アイドル。

 

 

 

1965年6月20日に生まれる。「その子」という名前は「花園のように美しい子になって欲しい」という両親の希望で名付けられた。

愛知県知多郡横須賀町(現:東海市)出身。

東海市立加木屋中学校卒業。

 

1983年、日本福祉大学付属高等学校在籍中、CBS・ソニー主催オーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で準優勝、ソニーに所属し芸能界入りのきっかけを作る。この時の優勝者は、当時中学1年の沢田玉恵。同コンテストは楽器演奏を条件としていて、川島みき(後の「川島だりあ」)や宮原学等も参加していた。第2回の優勝者が谷村有美ということからも、アイドル系オーディションとは趣向が異なることがわかる。

 

1984年に新春恒例になっていた特別番組『新春レコード会社8社対抗オールスター大運動会』にソニー代表の一人として呼ばれて出演した以外は何の音沙汰もなかった。

高校卒業後、コンピューター系専門学校に進学する。

 

1985年3月、既に就職も内定していたが、4月からフジテレビで始まる新番組『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナーに出てほしいとの誘いを受け、「2日くらいで済むだろうから、帰りに原宿行ってショッピングでもしよう」と気軽な気持ちで承諾。

4月1日、番組内「ザ・スカウト アイドルを探せ!」の第1回に出場し、合格。140点獲得は、立見里歌の142点に次ぐ歴代2位の記録であった。同時に合格した内海和子、富川春美とともに、翌週から女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバー会員番号12番として活動を開始。同クラブ内では、渡辺プロでの後輩にあたるNo.19岩井由紀子(ゆうゆ)とともに、松田聖子の熱烈なファンで知られた。

6月の松田聖子と神田正輝との結婚式の時には、『夕やけニャンニャン』の時間帯に福永恵規とともにリポーターを務めている。

7月5日、おニャン子クラブのシングル“セーラー服を脱がさないで”(作詞:秋元康/作・編曲:佐藤準)をキャニオン・レコードから発売してレコード・デビュー。オリコン5位。ただし、本曲の発表時14人の編成となっていたおニャン子で、歌手志望で楽器演奏ができる河合や、『夕やけニャンニャン』のパイロット番組の美少女コーナーで優勝したNo.8国生さゆり、幼少の頃から民謡を習いプロにスカウトされたことのあるNo.17城之内早苗の3人は、フロントヴォーカルにアドバンテージがあると目されたが、3人ともレコード会社がソニー所属であったため、キャニオンからリリースされる本作ではコーラスに廻された。

 

7月11・18日放送のテレビドラマ『スケバン刑事』に悪役「宮原妙子」としてゲスト出演し、おニャン子メンバー初のソロ活動を開始。おニャン子クラブの活動中には各メンバーが様々なドラマに出演したが、悪役を演じたのはこの時の河合だけである。
9月1日、“涙の茉莉花LOVE”(作詞:T2/作・編曲:後藤次利)をCBSソニーから発売、おニャン子クラブ初のソロシングルデビューを果たす。同曲はオリコン週間チャートで初登場5位、翌週には1位を獲得。B面“恋のチャプターA to Z”は「河合その子 with おニャン子クラブ」名義。バックのメンバーは国生さゆり・名越美香・高井麻巳子・城之内早苗で、デビューイベント等にも随伴した。

 

 

10月、おニャン子クラブとして初の有料コンサートを開催。

11月21日、2ndソロシングル“落葉のクレッシェンド”(作詞:秋元康/作・編曲:後藤次利)を発売、オリコン2位。

 

12月4日、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』にレギュラー出演。

12月5日、1stソロアルバム『その子』を発売。オリコン4位をマークした。


12月28日、品川プリンスホテルゴールドホールで、1stソロコンサートを行う。

 

 

1986年2月21日、おニャン子クラブの3rdシングル“じゃあね”(作詞:秋元康/編曲:佐藤準/作曲:高橋研)が発売、グループ初のオリコン週間シングルランキング1位を獲得した。メインヴォーカルはNo.5中島美春で、実質ほぼソロ楽曲である。当初は「中島美春 with おニャン子クラブ」名義で発売予定だったが、本人の希望で「おニャン子クラブ」名義になったといわれる。中島とともにおニャン子を卒業した河合だったが、卒業後は専門学校に進み芸能界から離れる中島に対し、河合は芸能界に残って活動を続ける、との解釈で本楽曲は中島を送る曲とされ、この意図を伝えられた河合も了承したという。河合の姿はレコード・ジャケットにないが、発売告知ポスターは他のメンバー同様に河合もソロで載っている。中島の卒業後は全員で歌われるようになり、他メンバーの卒業・解散時にも歌われている。

 

3月21日、おニャン子在籍時最後の作品として発表した3rdソロシングル“青いスタスィオン”(作詞:秋元康/作・編曲:後藤次利)は、オリコン週間チャートで2週連続1位、年間シングルチャートでも10位に入る大ヒットとなり、河合の代表作となった。B面“さよならは言わないで”は、「河合その子 with おニャン子クラブ」名義。

 

 

3月31日放送『夕やけニャンニャン』第1回卒業式で、中島とともに番組を卒業。中島は“セーラー服を脱がさないで”のフロントヴォーカル4人のうちのひとりだったが前述通り専門学校に進学するため、河合はソロ活動に専念するための脱退であった。

4月1日、コンサートツアー最終日である日本武道館公演で河合と中島ふたりの「卒業式」が執り行われ、華々しく送り出されておニャン子本体からも卒業した。これが慣例となり、以後おニャン子クラブから脱退していく主要メンバーに対し、番組内とその同時期にあるコンサートツアー最終公演で「卒業式」が行われるようになっていく。なお、河合はこの卒業をもって本格的にソロ活動を開始する。
4月2日、初のソロコンサートツアー「MEN'S BRAND SONOKO」がスタート。

5月2日~9月19日、『夕やけニャンニャン』の姉妹番組として放送された『夕食ニャンニャン』では、吉田照美とともに司会役を務めた。

5月21日、2ndソロアルバム『Siesta』を発売、オリコン1位を獲得。

 

7月2日、4thソロシングル“再会のラビリンス”(作詞:秋元康/作・編曲:後藤次利)を発売、オリコン1位。

 

8~10月、2回目のコンサートツアー「風船旅行」を開催した。

10月1日、3rdソロアルバム『Mode de Sonoko』を発売、オリコン1位。

 

これらの音楽活動と並行して、おニャン子卒業後も『夕やけニャンニャン』にはコンスタントにゲスト出演していた他、この時期に主演作を含む3作のテレビドラマに出演している。

10月22日、5thソロシングル“悲しい夜を止めて”(作詞:秋元康/作・編曲:後藤次利)を発売、オリコン1位。

 

12月5日、当時おニャン子クラブ在籍メンバーであった国生さゆり・城之内早苗・渡辺美奈代・渡辺満里奈等とともに、クリスマス・アルバム『Merry X'mas For You』をリリース、オリコン3位を記録した。

 

 

1987年1月10日~2月7日、日本テレビ系列「土曜グランド劇場」で放送されたドラマ『オレの息子は元気印』に「佐伯千鶴」役でレギュラー出演。

2月26日、6thソロシングル“哀愁のカルナバル”(作詞:秋元康/作・編曲:後藤次利)を発売、オリコン3位。

 

3月、河合がおニャン子クラブ関連としては初めてTBS『ザ・ベストテン』に出場した。それまでおニャン子クラブおよびそのメンバーは、解散前もしくは卒業前・脱退前において、フジテレビ専属とされ、他局の番組や主催イベントに出ることは原則としてなかったため。

3~5月、コンサートツアー「SONOKO STYLE '87」を開催。

6月17日、7thソロシングル“JESSY”(作詞:川村真澄/作・編曲:後藤次利)を発売、オリコン3位。

 

7月22日、4thソロアルバム『Rouge et Bleu』を発売、オリコン6位。

8月5日、おニャン子クラブの解散記念アルバム『Circle』が発売、自ら作曲し歌唱した“プリズム”(作詞:芹沢類/編曲:後藤次利)が収録され、シンガーソングライター志向だった河合にとって初のオリジナル曲となった。なお、おニャン子クラブとその派生ユニット名義の作品では本作のみ「KIRIGIRISU」のレーベル表記がされており、おニャン子の各メンバーが所属するレコード会社4社(キャニオン、フォーライフ、EPIC・ソニー、CBS・ソニー)が共同で発売元となっている(販売元及び品番はキャニオンレコード)。

 

 

8月31日、『夕やけニャンニャン』が終了、9月から12月にかけてコンサートツアー「LIVE ACT 4 YOU」を開催した。
9月20日のコンサートでおニャン子クラブも解散した。

10月21日、8thソロシングル“夢から醒めた天使”(作詞:小林和子/作・編曲:和泉一弥)を発売、オリコン11位。

 

 

1988年1月1日、自身初のベストアルバム『Dedication』を発売、オリコン15位。

 

同年、テレビ出演拒否を宣言。おニャン子卒業後もアイドル扱いが続いたことへの反発という説もある。

4月21日、9thソロシングル“雨のメモランダム”(作詞:川村真澄/作曲:木戸やすひろ/編曲:大谷和夫)を発売、オリコン29位。アルバムからの先行発売だが、これを最後にシングル・リリースはなくなり、アルバムのみの活動となった。

 

5月21日、5thアルバム『Colors』を発表したが、プロモーション活動はラジオに数回出演した程度で、唯一のテレビ出演は『オールナイトフジ』でのミニライヴであった。また、『Colors』には河合本人がプロデューサーとして参加、マスコミへの露出や売上と反比例するかのように、本人の意向を押し出して、おニャン子時代から楽曲を手がけてきた秋元康、後藤次利以外のライターも多く起用された。


12月、ライヴ「'88〜'89 Nouvelle Collection」を東京・大阪で行うが、『Colors』制作の流れをくみ未発表曲やカバー曲が多くを占める構成となった。

 

 

1989年3月21日発売の6thソロアルバム『Dancin' In The Light』では4曲を自身で作曲し、曲調もラテン風のものが多くみられるようになる。オリコン38位を記録。

 

3~5月、アルバム発売に伴いコンサートツアー「1989 Nouvelle Collection」を開催。これが全国規模のコンサートツアーとしては最後となった。
同年、約1年間近畿日本ツーリストのキャンペーンキャラクターを務める。

 

 

1990年、雑誌『TYO』にて1990年1月号からエッセイ『銀色タペストリー』が掲載開始、翌1991年1月号まで連載された。
4月21日、全曲の作曲を自ら手掛けた7thソロアルバム『Replica』を発売、オリコン50位。

 

5月、ライヴ「Replica Live '90」を東京・大阪・名古屋で行ったが、終了後にファンクラブを解散し休養を宣言。

 

 

1994年4月に作曲家の後藤次利と結婚し、既に引退していることが報じられた。

 

 

2000年5月に放送されたドラマ『多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還』(WOWOW)に一瞬のカットのみ出演し、6年ぶりにテレビ出演を果たした。引退後は長らくメディアに姿を見せていなかったが、夫の後藤次利が同番組の担当した縁で出演が決定。その際には「龍妃」という芸名を用いている。但しあくまで特別出演であり、芸能界復帰ではなかった。

 

 

2002年におニャン子クラブが再結成した際にも不参加だった他、過去に数回あった同窓会企画にも一度も参加していない。

11月20日、CD2枚組ベストアルバム『GOLDEN☆BEST 河合その子』が、廉価版ベストアルバムシリーズ『ゴールデン☆ベスト』シリーズから発売。“青いスタスィオン”をはじめとしたシングル曲はもちろん、自ら作曲した“プリズム”(作詞:芹沢類/作曲:河合その子)や“空を見上げて”(作詞:谷穂ちろる/作曲:河合その子/編曲:安藤高弘)なども網羅した全37曲を収録。

 

 

 

 

2003年、在籍時に仲が良かった城之内早苗がフジテレビ『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際には花を贈っている。
その一方で、リリースしたCDが引退後相次いで廃盤となったことから、所属レコード会社だったソニー・ミュージックに、復刻を求める要望がファンから集まった。これを受けてソニー・ミュージックと河合との間で交渉が行われた際、本人の話から未発表曲の存在が明らかになった。その後、お蔵入りしていた6曲の音源が発見された。
 

 

2009年9月30日、復刻盤CD-BOX『河合その子プレミアム』を発売。これを機に、「昔一緒に仕事をしていたスタッフと再会した瞬間、私は〈後藤その子〉ではなく、〈河合その子〉に戻っていました。それもごく自然に…」「同じ時間を過ごした皆さんと共有できる思い出があるという素晴らしさに気が付きました」「懐かしい〈記憶〉が鮮やかな〈記録〉となったことに心から感謝します」とのコメントを、『サンケイスポーツ』宛てに寄せた。

 

 

2010年3月、資生堂の新化粧品ブランド「IN&ON」のコマーシャル出演を発表、4月からオンエアされた。「限定」とされているものの、約20年ぶり(2000年に『多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還』に出演して以来10年ぶり)の本格的な芸能活動となった。CMでは、荻野目洋子、薬丸(旧姓:石川)秀美、伊藤つかさと共演した。なお、この時の会見で、夫の後藤との間に子どもが一人いることを明らかにしている。

 

4月28日、おニャン子クラブ活動時、CBS・ソニー(渡辺満里奈のみEPIC・ソニー)に在籍していたメンバーのソロ楽曲を収録したベストアルバム『GOLDEN☆BEST 河合その子・国生さゆり・城之内早苗・渡辺美奈代・渡辺満里奈』が、廉価版ベストアルバムシリーズ『ゴールデン☆ベスト』シリーズから発売された。全19曲中、河合の楽曲は、“涙の茉莉花LOVE”、“落葉のクレッシェンド”、“青いスタスィオン”、“さよならは言わないで”の4曲を収録している。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「河合その子」「おニャン子クラブ」

 

 

(関連記事)