プロフェッサー・ロングヘア(Professor Longhair/出生名:Henry Roeland Byrd/1918年12月19日~1980年1月30日)は、アメリカ合衆国のブルーズ・ピアニスト、シンガー。

 

 

 

1918年12月19日、ヘンリー・ローランド・バードは、アメリカ合衆国ルイジアナ州ボガルーサ(Bogalusa, Louisiana)で生まれた。

 

1930年代、音楽の道へ本格的に進む前、バードはニューオリンズの中心地フレンチ・クォーター(The French Quarter)を横切るバーボン・ストリート(Bourbon Street)でタップダンスをしてチップを稼いで過ごした。また、彼はボクサー、コック、プロのカード師などとしても活動した。

やがてバードはギターとピアノを覚え、民間植林治水隊(CCC)の隊員のためにピアノを弾き、金を稼ぐようになった。彼が音楽と真剣に向き合うようになったのはこの頃である。独特のピアノ演奏スタイルは、いくつかのキーが欠けている楽器で演奏を学んだことから身に付いたものだった。



1948年、ニューオリンズで音楽のキャリアをスタートさせたバードは、カレドニア・クラブ(the Caldonia Club)でデイヴ・バーソロミュー(Dave Bartholomew/ 1918年12月24日-2019年6月23日)のバンドが休憩を取っている間にピアノを弾いて喝采を浴びる。後にファッツ・ドミノ(Fats Domino/1928年2月26日-2017年10月24日)のバンドリーダーとして知られるようになるバーソロミューだが、この結果バンドをクビになってしまった。この時のバンドメンバー全員が長髪であったため、カルドニア・クラブのオーナーであるマイク・テシトーレによって、彼らは「プロフェッサー・ロングヘアとフォーヘアーズ」と呼ばれるようになった。これが彼の芸名「プロフェッサー・ロングヘア」(Professor Longhair)の由来である。また、「フェス」(Fess)の愛称でも知られている。




1949年、フェスは代表曲 "Mardi Gras in New Orleans"など4曲をスター・タレント・レーベルにレコーディングした。「プロフェッサー・ロングヘア&ザ・シャッフリング・ハンガリアンズ」(Professor Longhair & the Shuffling Hungarians)名義のこれらの曲が彼のレコーディング・デビューとなった。組合の問題によりリリースは見送られたが、同じ年にマーキュリー・レコードにアプローチした結果、リリースを勝ち取った。なお、"Mardi Gras In New Orleans"は今日でも、ニューオーリンズの祭典「マルディグラ」のテーマ曲として知られている。

 


1950年代、フェスはアトランティック、フェデラル、ロンなどのレーベルでレコーディングを実施。こうした中で、R&Bチャートに登場する全国的なヒットは唯一、「ロイ・バード&ヒズ・ブルーズ・ジャンパーズ」(Roy Byrd and His Blues Jumpers)名義で発表した"ボールド・ヘッド"(Bald Head)だけだったが、他にもいくつかの小ヒットを飛ばしている。


フェスは当時、様々な名前で活動していた。「ロイ・バード&ヒズ・ブルース・ジャンパーズ」の他にも、「ロイ・バード&ヒズ・ブルース・スカラーズ」、「ロイ“ボールド・ヘッド”バード」、「ローランド・バード」、「プロフェッサー・ロングヘア&ヒズ・ブルース・スカラーズ」、「プロフェッサー・ロングヘア&ザ・クリッパーズ」などが彼が用いた名義であった。このように多くの名前を使ったのは、レコード契約上の問題を避けるためであった。

彼はルンバ、マンボ、カリプソを織り交ぜた独特のピアノ・スタイルと感情表現に富んだ個性的なヴォーカルで独自の世界を作り上げた。フェスはまた「ロックンロール界のバッハ」などとも呼ばれている。

 

 

1957年、脳卒中を患った後、復帰し、“No Buts – No Maybes”を録音した。

 

 

 

1959年、“Go to the Mardi Gras”を再録音した。

 


1960年代に入ると彼の活動は、時代に取り残されたかのように、急激に減速する。

 

 

1964年、作曲家のアール・キングとともに初めて録音した"Big Chief"をウォッチ・レーベルからリリースしヒットとなったが、この頃これ以外は目立った活動はない。

 

この頃は半ば引退状態で、再びプロのカード師としてギャンブルの世界に戻り、挙句レコード店のゴミ清掃員までやるようになっていた。

 

 

1971年、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルの企画に携わっていたアリソン・マイナー、クイント・デイヴィスらが同年のフェスティバルに彼を出演させた。これをきっかけに、ロングヘアは再び活動を活発化させていった。

こうして復活したフェスは、1970年代にいくつかの名作を残している。

 

 

1972年、コンピレーションアルバム『New Orleans Piano』をリリース。彼のヒット曲“Ball The Wall”を収録した本作は『New Orleans Piano: Blues Originals, Vol. 2』とのタイトルでも知られている。

 

 


1973年、モントルー・ジャズ・フェスティバルでヘッドライナーを務めた。

 

 

1974年、アルバム『Rock 'n' Roll Gumbo』をリリース。彼のヒット曲"Tipitina"を収録。

 

 

 

1975年、ポール・マッカートニーが彼をクイーン・メアリー号船上のプライベート・パーティーに出演させている。

 

 

1976年、地元ニューオリンズのジャズフェスに参加。この時の演奏は、ライヴアルバム『New Orleans Jazz And Heritage Festival 1976』に2曲収録された。


1978年、アルバート・ゴールドマンは、ニューオーリンズの有名なクラブ「ティピティーナス」(Tipitinas)にてフェスの演奏をレコーディング。この音源は、1993年にアルバム『Rum And Coke』としてTomatoレーベルからリリースされる。なお、このクラブの店名は彼の曲“Tipitina”から名付けられた。

同年、アルバム『Live on the Queen Mary』をリリース。

 

 

 


1980年1月30日、プロフェッサー・ロングヘアーことヘンリー・ローランド・バードは、ドキュメンタリーの撮影中、そしてクライマックスとなる予定だったライヴコンサートの前、睡眠中に心臓発作で亡くなった。61歳没。

 

彼の葬式の映像はドキュメンタリー映画の一部として収録された。

彼はニューオーリンズのマウント・オリベット墓地に埋葬された。

 

 

1980年、亡くなる直前の1979年に録音されたアルバム『クロウフィッシュ・フィエスタ』(Crawfish Fiesta)がアリゲーター・レコードからリリース。ドクター・ジョン(Dr. John/1941年11月21日-2019年6月6日)がバンドのギタリストを務め、ドラムスにはジョニー・ヴィダコヴィッチ、トニー・ダグラディとアンディ・キャスロウがサックス、そして長年フェスのコンガ・プレイヤーを務めたアルフレッド“ユガンダ”ロバーツが参加した。レコーディングはニューオーリンズのシーセイント・スタジオで行われ、キャスロウと彼の妻アリソン、そしてブルース・イグロアがプロデューサーを務めた。本作は1980年の第1回W.C.ハンディ・アウォードにて、コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞。さらに、米高級紙『ニューヨーク・タイムズ』による「アルバム年間トップ10」の1枚に選出された。

 

 

 

 

1981年、プロフェッサー・ロングヘアーはブルーズの殿堂(the Blues Hall of Fame)入りを果たした。

 

 

1982年、ニューオリンズのブルーズ界を牽引してきた二人のピアニスト、アラン・トゥーサン (Allen Toussaint/1938年1月14日-2015年11月10日)、トゥッツ・ワシントン(Tuts Washington/1907年1月24日~1984年8月5日)とともに出演し、亡くなる直前まで撮影していたドキュメンタリー『Piano Players Rarely Ever Play Together』が公開。プロフェッサー・ロングヘアーとアラン・トゥーサン、トゥッツ・ワシントンとのピアノ3連弾シーンは圧巻。

 

同年、アルバム『The Last Mardi Gras』がリリース。

 

 

1987年、クイント・デイヴィスが1971年と1972年にハウス・パーティー・ニューオーリンズ・スタイルとしてリリースしたレコーディングのコレクション『House Party New Orleans Style: The Lost Sessions, 1971–1972』に対して、ロングヘアはグラミー賞を受賞した。

 

 

1992年、ロックの殿堂(the Rock and Roll Hall of Fame)入りを果たした。

 

 

1993年、アルバム『Rum And Coke』をTomatoレーベルからリリース。

 

 

 

2016年、ニューオーリンズのかつての自宅でルイジアナ音楽殿堂(the Louisiana Music Hall Of Fame)入りを果たした。

 

 

2018年、生誕100年にあたるこの年、1982年当時はVHSで発売されたドキュメンタリー『Piano Players Rarely Ever Play Together』 が2枚組DVDセット『Fess Up』の1枚として復刻された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「プロフェッサー・ロングヘア」「Professor Longhair」

 

 

 

 

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