瀬川 瑛子(せがわ えいこ/本名:清水 瑛子/旧姓:瀬川/1947年7月6日~)は、日本の演歌歌手・女優。

 

 

 

1947年7月6日、瀬川瑛子は、股旅歌謡やマドロス歌謡で人気を博し紅白歌合戦出場歴もある歌手の父親:瀬川伸(せがわ しん/1916年10月24日-2004年3月14日)と、母親:たか子の間に、次女として生まれる。2歳上の姉がいる。東京都渋谷区出身。

町田学園高等学校(現:品川エトワール女子高等学校)卒業。

5歳の頃から、父の方針により流行歌手に育てるべく教育され、姉とともにレッスンを受けていた。
その後、父のステージの前座を経験。

 

 

1967年4月1日、19歳の時、芸名「瀬川 映子」で“涙の影法師”(作詞:宇山清太郎/作・編曲:新井利昌)を発売し、日本クラウンから歌手デビュー。

 

1970年3月1日、7枚目シングル“長崎の夜はむらさき”(作詞:古木花江/作・編曲:新井利昌)を発売すると、オリコン25位、50万枚のヒットを記録。第3回日本有線大賞・期待賞を受賞した。瀬川自身は東京都出身だが、この曲がヒットした時期より長崎県出身と公表していた。デビュー50年目の2016年に東京都出身を打ち明けている。

 

 

24歳の時、レコード会社の社員と結婚するが、後に離婚。

 

 

1976年9月25日、芸名を「瀬川瑛子」に改名して、21枚目シングル“酒のこころ”(作詞:伊藤アキラ/作曲:粟野圭一/編曲:馬場良)を発売。


その後、ご当地歌謡が続いたが、しばらく低迷。

 

 

1980年11月25日、エディ・土屋とのデュエット・シングル“二人だけの夜”(作詞:山田孝雄/作曲:サトウ進一/編曲:神保正明)を発売。

 

 

1981年1月25日、28枚目シングル“新潟ブルース”(作詞:山岸一二三/作曲:山岸英樹/編曲:小杉仁三)を発売。美川憲一のご当地ソングヒット曲のカヴァー。

 

 

1983年4月15日、作曲者の船村徹の好意で、“矢切の渡し”(作詞:石本美由起/作曲:船村徹/編曲:南郷達也)をレコーディングして33枚目のシングルとして発売、ちあきなおみや細川たかし、春日八郎&藤野とし恵、島倉千代子&船村徹、佐山友香などとの競作であったが、オリコン最高位44位を記録し、30万枚を売り上げる。

 

11月20日、34枚目シングル“わすれ宿”(作詞:中山大三郎/作曲:船村徹/編曲:南郷達也)を発売。

 


1986年3月21日、夫婦の情愛を描いた“命くれない”(作詞:吉岡治/作曲:北原じゅん/編曲:馬場良)を39枚目シングルとして発売すると、オリコンでシングル週間チャートでは最高位2位ながら徐々に売り上げを伸ばし、1987年度シングルチャート年間1位を記録、ミリオンセールスを達成する大ヒットになった。第20回日本有線大賞 大賞、第29回日本レコード大賞 金賞、第18回日本歌謡大賞 放送音楽賞、1987年度JASRAC賞 金賞、1988年度JASRAC賞 金賞を受賞し、自身の代名詞的な曲となる。

 

しかし、歌詞にある「一途に添い遂げる女」とは裏腹に、私生活では結婚生活が破綻し、夫と別居状態に陥っていた。この時に「この歌を歌う資格があるのか?」などと自問自答し、「歌を歌って初めて苦しいと感じた」と述べている。

 

 

1987年12月31日、『第38回NHK紅白歌合戦』に初出場、“命くれない”を歌唱した。

 

 

1988年2月5日、41枚目シングル“憂き世川”(作詞:吉岡治/作曲:北原じゅん/編曲:馬場良)を発売、“命くれない”の大ヒットの効果もあり、本曲はロングセラーとなった。オリコン14位。

 

同年12月31日、『第39回NHK紅白歌合戦』に2年連続2回目の出場を果たし、“憂き世川”を歌手した。

 

 

1990年3月21日、44枚目シングル“人生晴れたり曇ったり”(作詞:吉岡治/作曲:弦哲也/編曲:高田弘)を発売。

 

7月21日、45枚目シングル“涙は女の化粧水”(作詞:新本創子/作曲:幸耕平/編曲:南郷達也)を発売。

12月31日、『第41回NHK紅白歌合戦』に、2年ぶり3回目の出場を果たし、“人生晴れたり曇ったり”を歌唱した。

 

 

1991年10月5日、50枚目シングル“居酒屋『藤乃』”(作詞:里村龍一/作曲:中村典正/編曲:丸山雅仁)を発売。

 

 

1992年9月23日、54枚目シングル“人生つづら坂”(作詞:たきのえいじ/作曲:弦哲也/編曲:馬場良)を発売。

 

 

1993年7月25日、56枚目シングル“夢仕度”(作詞:たきのえいじ/作曲:北原じゅん/編曲:池多孝春)を発売。

 

10月21日、57枚目シングル“ふたりが一番”(作詞:秋元康/作曲:深大郷/編曲:竜崎孝路)を発売、黄桜酒造「黄桜」CMソング。

 

 

1995年9月21日、62枚目シングル“笑いじわ”(作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童/編曲:竜崎孝路)を発売。

 

 

1996年12月31日、『第47回NHK紅白歌合戦』に通算4回目の出場を果たし、“笑いじわ”を歌唱した。

 

 

1997年1月22日、64枚目シングル“まさかの女”(作詞:秋元康/作・編曲:後藤次利)を発売。

 

 

1998年4月15日、66枚目シングル“雨、降りやまず”(作詞:たかたかし/作曲:浜圭介/編曲:川村栄二)を発売。

 

8月26日、俳優の古谷一行とのデュエット・シングル“地球最後の日”(作詞:なかにし礼/作曲:小林亜星/編曲:川村栄二)を発売。



1999年2月10日、67枚目シングル“煌めきたいの”(作詞:ちあき哲也/作曲:津村泰彦/編曲:竜崎孝路)を発売。

同年、51歳の時、バックバンドを務めていた6歳年下の清水武と再婚した。

 

 

2000年3月23日、71枚目シングル“あなたが命”(作詞:沢村友美也/作曲:原譲二/編曲:南郷達也)を発売。北島三郎が「原譲二」名義で作曲を担当した。

 

11月22日、72枚目シングル“懲りない私”(作詞:岡田冨美子/作曲:平尾昌晃/編曲:伊戸のりお)を発売。

 

 

2001年3月14日、73枚目シングル“連理の枝”(作詞:野村耕三/作曲:新井利昌/編曲:佐伯亮)を発売。

 

 

2004年4月1日、77枚目シングル“みんないい女”(作詞:かず翼/作曲:円広志/編曲:竜崎孝路)を発売。シンガーソングライターの円広志が瀬川に初の作曲提供。

 

同年、ノーベル製菓「のど黒飴」CMに出演、商品キャラクターの「トドクロちゃん」(声:伊藤えん魔)と共演し、瀬川の歌う「♪黒いトドだよトドクロちゃん」のフレーズが有名。

 

 

2008年9月3日、84枚目シングル“おしどり酒”(作詞:水木れいじ/作曲:中村典正/編曲:前田俊明)を発売。

 

 

2010年4月7日、87枚目シングル“GO!GO!侍ニッポン〜私も輝きます〜”(作詞:ペリー荻野/作・編曲:小杉保夫)を発売、時代劇専門チャンネル『時代劇体操』挿入歌。

 

6月2日、88枚目シングル“口紅水仙”(作詞:仁井谷俊也/作曲:徳久広司/編曲:石倉重信)を発売。

 

 

2012年6月6日、デビュー45周年記念シングルとして、通算91枚目シングル“男嫌い”(作詞:田久保真見/作曲:有賀十三/編曲:石倉重信)を発売。

 

10月3日、北川大介とのデュエット・シングル“もういくつ寝るとしあわせが”(作詞:荒木とよひさ/作曲:平尾昌晃/編曲:溝淵新一郎)を発売。

 

 

2018年5月2日、2枚組ベストアルバム『瀬川瑛子ツインパック』発売。

 

10月24日、98枚目シングル“相生の雨”(作詞:森坂とも/作曲:徳久広司/編曲:南郷達也)を発売。

 

 

2019年1月1日、自身の持ち歌の他、昭和の歌謡界を彩った名曲を歌い上げたコンピレーション・アルバム『瀬川瑛子 昭和歌謡を歌う ~オリジナルヒットを含む~』を発売。オリジナルは“命くれない”、“長崎の夜はむらさき”、“憂き世川”、“笑いじわ”の代表的な4曲を網羅。カヴァーは“おもいで酒”(オリジナル歌唱:小林幸子/以下同)、“雨の慕情”、“舟唄”(八代亜紀)、“漁歌”(北島三郎)、“愛燦燦”(美空ひばり)などを収録。

 

 

2020年5月13日、99枚目シングル“二人羽織”(作詞:遥北斗/作曲:山口正光/編曲:南郷達也)を発売。日本音楽著作家連合主催「第34回藤田まさと記念 新作歌謡コンクール」最優秀作品。カップリングは“父娘酒”(作詞:落合博章/作曲:藤田たかし/編曲:南郷達也)。

 

 

9月2日、ベストアルバム『瀬川瑛子全曲集~二人羽織・命くれない~』が発売。

 

 

2021年3月31日、100枚目シングル“いのちの人よ”(作詞・曲:伊藤薫/編曲:若草恵)を発売。

 

 

2022年9月28日、101枚目シングル“愛恋川”(作詞:かず翼/作曲:徳久広司/編曲:南郷達也)を発売。瀬川のデビュー55周年記念シングル作品としてリリースされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「瀬川瑛子」

 

 

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