芹 洋子 (せり ようこ/本名:伊東 洋子/出生名:善利 洋子/1951年3月10日~)は、日本の歌手。

 

 

 

1951年3月10日、善利洋子が生まれる。大阪府東大阪市出身。

八尾市立清友高等学校(後の大阪府立清友高等学校、2010年3月閉校)卒業。

小学4年の頃からテレビに出演。

小学6年生の時、ポリドール歌謡コンクールに出場。

中学3年生の時、NTV『ホイホイミュージックスクール』で好成績を残した。


1969年10月5日、シングル“野に咲くバラのように”(作詞:山上路夫/作曲:高橋宏明)でビクターより歌手デビュー。

 

 

1970年から、NHKテレビ『歌はともだち』に登場。

6月5日、2ndシングル“樹氷のように飾れたら”(作詞:佐伯孝夫/作曲:鈴木庸一/編曲:小谷充)を発売。

 

 

1972年、キングレコードに移籍。

5月、通算4枚目、移籍後1枚目となるシングル“牧歌〜その夏〜”(作詞:木庭しげる/作・編曲:寺島尚彦)で芹は再デビューした。

 

 

1973年12月、5thシングル“初恋の風車”(作詞:ちあき哲也/作曲:筒美京平/編曲:矢野誠)を発売。

 

 

1974年8月、6thシングル“初恋のデッサン”(作詞:ちあき哲也/作曲:筒美京平/編曲:矢野誠)を発売。

 

11月、北海道の広尾線(現在は廃線)の愛国駅から幸福駅の区間にちなんだご当地ソング“愛の国から幸福へ”(作詞:岡田冨美子/作・編曲:高橋五郎)を7thシングル発売しヒット。

 

 

1975年、LP(アルバム)『四季の抒情』を発売。“ちいさい秋みつけた”や“夏の思い出”など、季節折々の情景を感じさせる歌を集めた一枚。“四季の歌”初出。「蔵出し 名盤復刻シリーズ」として  2021年11月17日にキングレコードから再販。

 

 

 

 

1976年8月21日、シングル“四季の歌” (作詞・作曲:荒木とよひさ/編曲:青木望)を発売。レコード会社6社が競作として相次いでレコード化した“四季の歌”は、芹が歌ったヴァージョンが公称売上枚数80万枚とも200万枚ともいわれ、ミリオンセラーを記録。オリコンでは週間ランキング最高位8位ながら、発売翌年の1977年オリコン年間シングルチャート48位を記録した。芹は元々、前年の1975年後期にアルバム『四季の抒情』で“四季の歌”(編曲:青木望)を歌っている。また、芹は5番を「ラララ」で歌った筆頭として知られている。

 

同年、アルバム『四季の歌/ベスト・アルバム』を発売。

 

 

1977年1月21日、シングル“赤い花白い花”(作詞・曲:中林三恵/編曲:青木望)を発売。銅版画家の中林三恵(なかばやし みえ)が作詞・作曲した楽曲で、フォークグループ「赤い鳥」をはじめ、多くのアーティストにより歌われて世に広まり、フォークソングの名曲として愛唱されている。

 

7月21日、13thシングル“秋黄昏”(作詞:さとう愛/作・編曲:山口順一郎)を発売。

 

 

1978年1月21日、14thシングル“旅にでたい”(作詞:中里綴/作曲:田山雅充/編曲:青木望)を発売。

 

6月21日、16thシングル“坊がつる讃歌”(作詞:神尾明正・松本征夫/作曲:竹山仙史/編曲:青木望)を発売。“坊がつる讃歌”は広島高等師範学校(現:広島大学)山岳部の部歌であった歌が九州の山岳愛好家の間に広がったもので、芹は阿蘇山麓の野外コンサートに出演した際この曲を教えられて大変気に入りレコード化、『みんなのうた』で同年6・7月に歌った。

 

12月31日、『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場、“坊がつる讃歌”を歌唱した。

 

1979年5月5日、ゴールデンウィーク期間中最大級の集客がある「ひろしまフラワーフェスティバル」(FF)のテーマ曲“花ぐるま”(作詞:滝田常晴/作曲:小椋佳/編曲:高田弘)を20thシングルとして発売。「花ぐるま」とは、FFのパレード用の山車のこと。この歌も今日に至るまで多くの人に親しまれている。

 

10月21日、23rdシングル“みんなのふるさと”(作詞:国兼由美子/作曲:田村洋/編曲:河野土洋)を発売、新しい山口県民の歌として作られたこの曲も、40年以上にわたり歌い継がれている。

 

同年、憲法及び地方自治法の施行30周年を記念して制作された“国分寺市の歌”(作詞:渡辺登/補詞:山本和夫/作曲:笠原勤/編曲:管野光亮)の歌唱を担当。

 


芹はまた「コマーシャルソング女王」としても知られ、今日まで歌ってきたコマーシャルソングは曲は600曲以上。「ハウスプリン」、デンターライオン、歯磨き粉「ホワイト&ホワイト」等、初代のコマーシャルソングを担当したものも多い。

 

 

 

 

1980年1月10日、24thシングル“古都の旅”(作詞:木下龍太郎/作曲:平尾昌晃/編曲:高田弘)を発売。

同年、アルバム『山は心のふるさと』を発売。

 

 

 

1981年には 日中文化交流音楽大使として日本人の歌手では初めて北京公演を行い、 “四季の歌”を歌唱すると中国で大ヒット、中国語の“四季の歌”が歌われるようになった。中国におけるヒットには、NHKが中国向け国際放送で“四季の歌”を流し、学生が中心となって熱心にリクエストをしたことが寄与している。そこへ中国政府が動いた。芹によると、「北京大学の学生さん達の運動がきっかけで北京コンサートが実現しました」ということである。以降、芹の中国公演は12回に及ぶ。

同年、所属プロダクション社長の伊東佳男と結婚した。

10月21日、28thシングル“ハートは大騒ぎ”(作詞:中里綴/作・編曲:小森昭宏)を発売。

 


1982年、長女を出産。

9月5日、30thシングル“北国湖愁”(作詞:水島哲/作曲:風見一平/編曲:森岡賢一郎)を発売。


1983年3月21日、31stシングル“おもいでのアルバム”(作詞:増子とし/作曲:本多鉄麿/編曲:高田弘)を発売、NHK『みんなのうた』でも登場した。なお、“おもいでのアルバム”は元々1959年に『増子とし全集』(フレーベル館)で発表された楽曲であり、芹洋子の歌によるものはリメイク版で、保育園等の卒園ソングとしてヒットした。B面は“今日の日はさようなら”(作詞・曲:金子詔一/編曲:吉村浩二)を収録。

 

 

同年、大阪市営地下鉄開業50周年記念ソング“地底のランナー”(作詞:島田洋子/作曲:キダ・タロー)を発表。

 

同年、日野市制施行20周年を記念して制作された日野市歌“緑のまち”(作詞・曲:日野市中学校教育研究会音楽部会/編曲:佐藤亘弘)の歌唱を担当。

10月21日、32ndシングル“旅する人々に”(作詞・曲:荒木一郎/編曲:青木望)を発売。ドラマ『妻の定年』主題歌。

 


1984年、川崎市制施行60周年を記念して制作された川崎市民の歌“好きです かわさき 愛の街”(作詞:肥後義子、作曲:山本直純)の歌唱を担当。

 

5月21日、33rdシングル“夢こそ人生”(作詞:岩谷時子/作・編曲:山本直純)を発売。

10月21日、34thシングル“北航路”(作詞:吉田弘/作曲:よしむらくにお/編曲:青木望)を発売。

 

 

1985年11月21日、35thシングル“しあわせのうた”(作詞:木下龍太郎/作曲:高井達雄/編曲:矢野立美)を発売。1984年12月21日に発売された榊原郁恵の35枚目のシングルのカヴァー。

 

 

1986年12月21日、36thシングル“出逢いを求めて-十和田湖へ-”(作詞:木下龍太郎/作曲:伊藤薫/編曲:槌田靖識)を発売。

 


1992年、交通事故により外傷性クモ膜下出血となり、意識は回復したものの逆行性健忘を生じ自身が歌手であったことや持ち歌すべての記憶を失う。しかし懸命のリハビリによって歌手として復帰。

 

 

2008年5月、胡錦濤国家主席来日時、公にこそされていないが胡主席、芹洋子、所属事務所代表伊東佳男、長女・伊東亜美との対談が実現。なお、長女の亜美は現在、芹のマネージメントを担当。2015年にマネージメント業の傍ら役者活動も行なっていたが、現在は芹のマネージャー業に専念し、芹のスケジュールや日常等をアメーバブログ及びTwitter、Facebook、Instagramで発信している。


 

2011年よりニッピコラーゲン100のCMに起用され、2012年は現在新バージョンもOA。


2017年8月14日、夫であり、長年芹の所属事務所社長だった伊東佳男が肝臓癌のため他界。享年83。
同年、所属事務所をサンミュージックプロダクションに移籍。

 

 

2018年6月6日、ベスト・アルバム『究極盤 芹洋子 ~スーパーベスト~』をキングレコード「究極盤シリーズ」の一枚として発売。芹オリジナルのヒット曲の数々と、代表的な抒情歌や童謡のカヴァーを網羅した、澄んだ芹の歌声と日本の抒情歌を堪能できる全45曲収録のCD3枚組。

 

 

 

2023年4月5日、ベスト・アルバム『芹洋子ベストセレクション 芹 洋子』を発売、全26曲収録のCD2枚組。



現在、スカイツリーの見えるホテルとして人気の「東武ホテルレバント東京」(東京都墨田区錦糸)で定期的に、「うたごえ喫茶〜芹洋子と歌おう」を開催。

また、歌手活動の他、テレビ・ラジオ番組への出演を積極的に行っている。

テレビ番組出演の際にはスチームパンクファッションで登場し、自身も新たに参入したハンドメイドアクセサリー部門で活動している作家達のアクセサリーを身に着けるというイメージチェンジに挑戦。スチームパンカーやハンドメイドアクセサリー界隈から支持を受けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「芹洋子」

 

 

 

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