斉藤 京子(さいとう きょうこ/本名:齋藤京子/1936年6月19日~2022年1月2日)は、日本の民謡歌手、俳優、タレント。

 

 

 

1936年6月19日、齋藤京子は、秋田県北秋田郡栄村(現:北秋田市)太田にて、北海道の民謡“江差追分”の名人であった父:二代目大船繁三郎と、民謡歌手の母:函青白糸との間に生まれる。

生まれてから両親とともに巡業で各地を回る生活を送る。


4歳の時、函館で初舞台を踏む。

1953年、17歳の時、秋田の民謡“新タント節”、山形の“もみすり唄”(籾摺唄)で、コロムビア・レコードからデビュー。

 

 

 

1956年、20歳でキングレコードに移籍し、“おんな白虎隊”(作詞:高橋掬太郎/作曲: 細川潤一)、“あゝ川中島”(作詞:藤間哲郎/作曲:山口俊郎)などをヒットさせる。

 

 

同年、父の弟弟子でもあった三橋美智也(1930年11月10日-1996年1月8日)とデュエットした“お花ちゃん”(作詞:矢野亮/作曲:吉田矢健治・小町昭)がレコード売り上げ100万枚を超える大ヒットを記録。ユーモラスな東北弁の歌詞が全国で愛唱された。

 

 

斎藤は、“本荘追分”、“秋田大黒舞”、“久保田節”、“岡本新内”をはじめとする出身地の秋田や、青森の“八戸小唄”やといった東北の民謡を中心に、全国の民謡の名曲を手がけ、さらに端唄・小唄などの俗謡や、ご当地ソング・舞踊歌謡とレパートリーも幅広い。

 

 

 

 

 

 

 

 


1982年1月25日に公開された後藤俊夫監督の映画『マタギ』に、「ひさご女将」役で出演。

 

また、フジテレビ『ライオンのいただきます』に準レギュラー出演するなど、歌手活動以外にも活動の幅を広げた。

 

 

1990年、平成2年度文化庁演芸部門芸術祭賞(演芸部門)を受賞。

 

 

1991年2月、北秋田市出身のよしみから、大館能代空港建促進のための女性陳情団として同行、当時の村岡兼造運輸大臣に空港の必要性を訴えた。

 

 

2003年7月23日、『民謡いちばん 斉藤京子』を日本コロムビアから発売。

 

 

2005年、日本民謡協会名人位を受章。

 

 

2006年3月1日、編集アルバム『民謡名人 斉藤京子 民謡特選集』を日本コロムビアから発売。“伊勢音頭”、“伊那節”、“朝の出がけ”、“岡本新内”、“信濃追分”、“菊と桔梗(野も山節)”、“ソーラン節”、“関の五本松”、“博多節”、“豊後追分”、“ひえつき節(宮崎)”、“串木野さのさ”、“鹿児島三下り”、“鴨緑江節”の全14曲を収録。

※映像の音源は本CD収録のものとは異なる場合がある

 

 

 

 

2008年7月1日、CD2枚組のオムニバス・アルバム『決定盤 日本 民謡 全集』がユニバーサル・ミュージックから発売。三浦布美子や浅草〆香、金沢明子、原田直之らに交じり、斎藤は“ソーラン節” (北海道)、“真室川音頭” (山形)、“安来節” (島根)の3曲を収録。

 

 

2010年7月13日、NHK総合テレビ『NHK歌謡コンサート』に出演。

 

 

2011年10月、「民謡研究会」が「日本民謡プロ協会」に改名、これに伴い、会長に選任される。

10月5日、編集アルバム『民謡名人シリーズ 斉藤京子』がキングレコードから発売。

 

 

2016年2月10日、日本民謡プロ協会は、一般社団法人に法人化され、斎藤は会長(代表理事)に選任。その後、名誉会長に就任した。



2018年11月、脳卒中で倒れ闘病生活を送る。

 

 

2022年1月2日22時43分、廃用症候群のため東京都内の病院で死去。85歳没。

訃報は、日本歌手協会から発表された。

 

 

 

 

 

斎藤にとって最大のヒット曲となった“お花ちゃん”は、以下のようなオムニバス・アルバム、またはデュエット相手の三橋美智也の収録曲数が多いベスト・アルバムに収録されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「斉藤京子」

 

 

 

 

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