中川 敬(なかがわ たかし/1966年3月29日~)は、日本のミュージシャン。ソウル・フラワー・ユニオン、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットでヴォーカル、ギター、三線を担当。

 

 

 

1966年3月29日、中川敬は兵庫県西宮市に生まれる。

 

1981年、「コックサッカー・ブルース・バンド」を結成、翌年まで活動する。
 

1982年、バンド「レモン・スクイーザー」を結成。ローリング・ストーンズやザ・フー、村八分などのコピーからスタートする。


1984年、デザインの専門学校に入学するも、勝手に3カ月で「卒業」。

溜り場にしていた大阪ミナミにあるロック喫茶の先輩達がやっていた複数のバンドにギタリストとして参加し、東京ツアーを始める。


1985年、バンド「セクシャル」にギタリストとして参加。

同年、自らがギター&ヴォーカルを担当するミクスチャー・パンク・バンド「ザ・ニューエスト・モデル」を始動させる。

最初期は、ノーザン・ソウルやモッズ・ミュージック、60'sガレージ・バンドの影響下にあるザ・ジャムやストラングラーズのようなストレートなパンク・ロックを指向していた。だが、徐々にサイケデリック・ロック、セカンド・ライン、ザディコ、アイリッシュ・トラッド、ニュー・ソウル、ファンク、ヒップホップ、カリプソ、スワンプ・ロックなど広汎な世界音楽を取り入れ、日本のミクスチャー・ロック・バンドの先駆けとして支持を受けた。

また、大半が日本語に訳されたカヴァーの選曲は、ミーターズ“ヘイ・ポッキー・アウェイ”、ボブ・ディラン“嵐からの隠れ家”、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド“おもろのきわみ(リアル・グッド・タイム・トゥゲザー)”、ヴァン・モリソン“杉の木の宇宙(レッドウッド・トゥリー)”、スタイル・カウンシル“ストレングス・オブ・ユア・ネイチャー”、Pファンク“ゲット・オフ・ユア・アス・アンド・ジャム”、ビクトル・ハラ“平和に生きる権利”、ビートルズ“クライ・ベイビー・クライ”、そしてジャックス“堕天使ロック”などであり、その大半は作品化もされている。

 

 

1986年頃から、ガールズ・ガレージ・バンド「メスカリン・ドライヴ」とのコラボレーションが密になってゆく。

2月、3曲入りシングルカセット“爆弾じかけ”を発売。

8月、3曲入りソノシート“オモチャの兵隊”を発売。

 

 

1987年末、「年末ソウル・フラワー祭」を開催、以降も継続している。

 


1988年、自主レーベル「ソウル・フラワー・レーベル」を立ち上げ、ザ・ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴが所属する。

この頃から、反原発運動に参加。

1月、アルバム『センスレス・チャター・センスレス・フィスツ』をリリース。

4月20日、4曲入りEP『スタンディング・オン・ザ・ニュー・ファンデーション』を発売。

9月15日、アルバム『プリティ・ラジエーション』を発売。

 

 

1989年、キングレコードにソウル・フラワー・レーベル(ニューエスト・モデル&メスカリン・ドライヴ)ごと移籍。

6月21日、メジャー第一弾シングル“ソウルサバイバーの逆襲”を発売。

 

7月25日、ニューエスト・モデルのメジャー第一弾アルバム『ソウル・サバイバー』を発売。

10月21日、両A面シングル“エンプティ・ノーション/こたつ内紛争”を発売。

 

 

 

1990年1月21日、シングル“雑種天国”を発売。

 

4月21日、シングル“乳母車と棺桶”を発売。

 

5月21日、アルバム『クロスブリード・パーク』を発売。

9月21日、シングル“杓子定木”を発売。

 

 

1991年6月21日、シングル“もっともそうな二人の沸点”を発売。
9月21日、シングル“知識を得て、心を開き、自転車に乗れ!”を発売。

 

 

1992年2月21日、アルバム『ユニバーサル・インベーダー』を発売。

5月2日、プロモーション・ビデオ集『ソウル・フラワー・クリーク 1988-1992』をVHS/DVDで発売。

 

 

1993年、ニューエスト・モデルが解散。

9月、中川は、ニューエスト・モデルと同時期に解散したレーベルの盟友メスカリン・ドライヴと統合する形で「ソウル・フラワー・ユニオン」を結成。ニューエスト・モデルからは、中川敬(唄,G,三線など)、奥野真哉(Key)、河村博司(G,B)が参加、メスカリン・ドライヴからは、伊丹英子(ブズーキ,チンドン太鼓,チャンゴ,三板など)、永野かおり(B)、高木太郎(Ds)、内海洋子(Vo)が参加した。中川はバンドの大半の作詞、作曲、編曲、プロデュース、デザイン・ワーク等を手がける。

11月1日、メスカリン・ドライヴの4枚目アルバムとして制作を開始していたアイヌ民族抵抗史をテーマに据えたアルバム『カムイ・イピリマ』をキューン・ソニー・レコード(現:キューン・レコード)から発売して、アルバム・デビュー。オリコン週間アルバムチャート29位をマークした。

 

 

12月1日、1stシングル“世界市民はすべての旗を降ろす”をリカット。中川と伊丹英子のデュエット・ナンバー。

 

 

1994年10月1日、2ndアルバム『ワタツミ・ヤマツミ』をリリース。「物の怪解放」をテーマに据えた新曲と、後期ニューエスト・モデルのライヴ・レパートリーとが混在する。オリコン46位。

 

 

以降、日本列島周辺に住む民族の民謡(ヤマト、琉球、朝鮮、アイヌ等)や大衆歌謡(壮士演歌、労働歌、革命歌等)、アイリッシュ・トラッドやロマ音楽などのマージナル・ミュージックをロックンロール、リズム・アンド・ブルース、スウィング・ジャズ、サイケデリック・ロック、カントリー、レゲエ、パンク・ロックなどと融合させた音楽を展開する。

 

 

1995年2月、阪神・淡路大震災の直後に伊丹英子の発案で、震災被災者を励ますため、「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」名義による「出前慰問ライヴ」を開始。被災地特有の諸般の理由からアコースティックな楽器を用いることにし、エレキ・ギターを沖縄の三線に、ドラムをチンドン太鼓やチャンゴ(朝鮮太鼓)に持ち替え、他のメンバーは各々アコーディオンやクラリネット等を持ち、震災初期はマイクの替わりにメガホンや拡声器を使い、避難所や仮設住宅などで演奏活動を行った(震災当初、如何なる場所でも演奏出来る、ということが主眼に置かれた故の「非電化」であった)。震災被災者の中でも、特に年配のために、戦前戦後の流行り唄や壮士演歌、ヤマト民謡・沖縄民謡・朝鮮民謡・アイヌ民謡などをレパートリーにし、チンドン・アレンジで演奏し、彼らを力付けた。

同時期に伊丹英子が「ソウル・フラワー震災基金」を立ち上げ、長期にわたり震災被災者の支援を積極的に行っている。
10月1日、中川が震災の一ヶ月後に書き下ろした“満月の夕”(作詞:中川敬/作曲:中川敬・山口洋)を2ndシングルとして発売、被災地の惨状や、復興への厳しい現実、そして、それらに向き合う人々のひたむきな姿が歌い込まれ、大きな反響を得た。なお、主旋律の一部は山口洋との共作。本楽曲は後年においても、ガガガSPや沢知恵、平安隆、酒井俊、BRAHMAN、J-Min、大竹しのぶ、アン・サリーなど、様々なジャンルの多くのアーティストによりカヴァーされている。

 

12月9日、幾多の出逢いを生んだ被災地での活動が、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット名義の1stアルバム『アジール・チンドン』として結実。


 

1996年7月21日、3rdシングル“向い風”を発売。

 

10月21日、ソウル・フラワー・ユニオンの3rdアルバム『エレクトロ・アジール・バップ』を発売。

11月21日、マキシ・シングル“エエジャナイカ”を発売。カップリングは“ジャングル・ブギ”。

 

 

 

1997年、伊丹英子の耳の持病(音響性外傷)が悪化し、ソウル・フラワー・ユニオンとしての活動を一時停止。

活動停止期間中は、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとしての活動(ドヤ街、障害者イベント、ベトナム、フィリピン、香港など)と、中川のソロ・プロジェクト「ソウルシャリスト・エスケイプ」の活動を行っていた。

この中川のソロ活動により、ドーナル・ラニー、シャロン・シャノン、アルタン、キーラらアイリッシュ・トラッド界の歴々たるアーティストとの交流、レコーディング・セッションが始まり(『ロスト・ホームランド』『マージナル・ムーン』『ウィンズ・フェアグラウンド』『スクリューボール・コメディ 』など)、大衆歌謡とトラッド、ロックをミクスチャーした独自の音楽世界を確立してゆく。

7月8日、「ソウル・フラワー・ウィズ・ドーナル・ラニー・バンド」名義のミニ・アルバム『マージナル・ムーン』を発売。

10月26日、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのアルバム『レヴェラーズ・チンドン』が発売。震災から本作までの作品群の隅々に、初期のピークを指し示している。

12月から、三ヶ月に一度(3、6、9、12月)、「東(名)阪ツアー」を開催。以降も休むことなく続ける。

12月12日、ソウルシャリスト・エスケイプのシングル“短距離走者の孤独”を発売。

 

同年年末、ソウル・フラワー・ユニオンの活動を再開。

 

 

1998年2月21日、ソウルシャリスト・エスケイプのアルバム『ロスト・ホームランド』を発売。

 

 

1999年、大手レーベルを離れ、自主レーベルからのリリースを行う。

12月8日、ライヴアルバム『ハイ・タイド・アンド・ムーンライト・バッシュ』をリスペクト・レコードから発売。

同年、韓国でライヴを行う。

 

 

2000年5月23日、映画『アンチェイン』(2001年公開)のサウンドトラックを発売。

 

 

2001年7月25日、5thアルバム『スクリューボール・コメディ』を発売。インディーに戻った彼らが「全曲シングルにすることが可能なアルバム」というコンセプトで作った、ソウル・フラワー史上最もロックに接近したポップな作品である。実際、“サヴァイヴァーズ・バンケット”、“殺人狂ルーレット”、“荒れ地にて”、“世紀のセレナーデ”など、後のライヴ・ツアーに欠かせない楽曲が多く収録されている。

 

 

同年、中川は、活動停止期間中であったヒートウェイヴの山口洋と、シンプルな4ピースのロックンロール・バンド「ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション」を結成。

 

 

2002年5月20日、東ティモール独立式典でのライヴに参加。

5月22日、ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションのアルバム『アザディ!?』(AZADI !?)を発売。現時点で同バンド唯一のリリース作品。

 

 

8月23日、“フリー・バルーン”など非戦の立場を鮮明に打ち出したアルバム『ラヴ・プラスマイナス・ゼロ』をBM-tunesから発売。ヴァン・モリソンの“クレイジー・ラヴ”やニューエスト・モデル時代からカヴァーしてきたボブ・ディランの“嵐からの隠れ家”等を収録した半カヴァー曲の企画盤。

 

 

同年、三度に亘るフランス・ツアーを行う。

 

 

2003年7月25日、“うたは自由をめざす! ”、“そら (この空はあの空につながっている)”、“リキサからの贈り物”など前作以上に非戦の立場を前面に打ち出した半ライヴ音源の企画盤『シャローム・サラーム』を発売。前作『ラヴ・プラスマイナス・ゼロ』と本作で「非戦2部作」、これに『アザディ!?』も加えて「非戦3部作」と称される。

同年、国後島でライヴを行う。

 

 

 

同年、音楽ジャーナリストの花房浩一らと「非戦音楽人会議」を立ち上げる。

 

 

2004年、台湾でライヴを行う。

同年、ソウル・フラワー・ユニオンの身軽な地方巡業用アコースティック・ユニットとして「ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン」がスタート。

 

 

2005年、韓国、ヨルダン・パレスチナ難民キャンプでライヴを行う。

7月20日、それまでの国際的な活動が作品として実を結んだ大作アルバム『ロロサエ・モナムール』を発表。



2006年から日本全国を回る為のアコースティック・ユニット、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンを結成し、中川敬、奥野真哉(時に高木克)、リクオ(時にJIGEN)の三人での地方巡業ツアーも活動の合間に行なっている。

6月7日、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのアルバム『デラシネ・チンドン』を発売。


2007年2月、新たな米軍基地建設計画で揺れる沖縄・辺野古のビーチ(在日米軍海兵隊基地キャンプ・シュワブそば)で「PEACE MUSIC FESTA!」を主催。その模様はDVD作品『ライヴ辺野古』、シングル“辺野古節”、“海へゆく”に結実。また、非戦音楽人会議の主宰などを通じて、積極的に現場とのコミットを続けている。

3月、「闇鍋音楽祭」を開催、以降、毎年開催している。

11月28日、シングル“寝顔を見せて”を発売。

 

 

2008年3月5日、「PEACE MUSIC FESTA!」の模様を収めたライヴDVD『ライヴ辺野古』を発売。マキシ・シングル“辺野古節”をカップリング。

 

6月18日、マキシ・シングル“海へゆく”を発売。

 

9月、3年ぶりのフル・アルバム『カンテ・ディアスポラ』(73分の大作)をリリース。

 

 

2009年3月25日、ニューエスト・モデルのキングレコード時代のシングル・コレクション『アーリー・ソウル・フラワー・シングルズ』を発売。

 

7月2日、脱退した河村博司に代わり新加入した高木克が参加したマキシ・シングル“ルーシーの子どもたち”を発売。

 

10月7日、ライヴ・アルバム『エグザイル・オン・メイン・ビーチ』を発売。紙ジャケ特別仕様盤にインスト集“インストゥルメンタル・オン・メイン・ビーチ”をカップリング。

 


2010年1月1日、マキシ・シングル“アクア・ヴィテ”を発売。

 

6月30日、マキシ・シングル“死ぬまで生きろ!”を発売。

 

12月、2年ぶりのフル・アルバム『キャンプ・パンゲア』をリリース。

 

 

2011年3月11日に起こった東日本大震災の被災地支援のため、「ソウルフラワー震災基金2011」を立ち上げ、「ソウルフラワーみちのく旅団」名義で、石巻、女川、南三陸、登米、気仙沼、陸前高田、大船渡、南相馬などの避難所や仮設住宅で出前ライヴを行なっている。

6月22日、個人名義では初になるソロ・アルバム『街道筋の着地しないブルース』をSOUL FLOWER RECORDS (BM tunes)から発売。オリコン196位。

 

同年、「ソウルフラワーみちのく旅団」名義で、東北各地の避難所出前ライヴを行う。
12月21日、被災地となった東北での出逢いの結晶ともいえるミニ・アルバム『キセキの渚』をリリース。

 

 

2012年6月27日、配信限定ソロシングル“世界はお前を待っている”をリリース。

11月28日、2ndソロ・アルバム『銀河のほとり、路上の花』をリリース、オリコン160位。

東北の避難所や仮設住宅で慰問ライヴをする。TwitNoNukesなどのデモに参加。毎秋リクオと開催する「うたのありか」ツアーを開始。


2013年、台湾でライヴを行う。

6月26日、反原発運動、反レイシズム運動と連動したミニ・アルバム『踊れ!踊らされる前に』を発売。

9月25日、ベストPV集『ゴースト・キネマ 1993- 2013 〜20TH ANNIVERSARY MUSIC VIDEO COLLECTION』を発売。

12月25日、レーベル枠を超えた結成20周年記念のベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ・ソウル・フラワー・ユニオン 1993-2013』を発売。初回限定特典ダブ・ディスクとして“ザ・ダブ・オブ・ソウル・フラワー・ユニオン”を制作。


2014年10月8日、4年ぶりのフル・アルバム『アンダーグラウンド・レイルロード』をリリース。アルバム初回限定特典4曲入りダブ・ディスクとして、“アンチファシスト・レイルロード”を「SOUL FLOWER UNION with C.R.A.C.」名義で制作。

 

 

2015年10月7日、中川の3rdソロ・アルバム『にじむ残響、バザールの夢』をBM tunesから発売、オリコン146位。本格的に中川が弾き語りツアーを開始。



2016年3・6・12月、「ニューエスト・モデル結成30周年記念ツアー」と称して、ニューエスト・モデルの楽曲中心のセットリストでツアーを展開。


2017年3月の「闇鍋音楽祭」ツアーから、新しいドラマーJah-Rahが加入し、コーラスにLIKKLE MAIを迎えた新体制で活動を展開。

10月4日、4thソロアルバム『豊穣なる闇のバラッド』を発売。

 


2018年12月19日、“この地上を愛で埋めろ”、“最果てのバスターミナル”、“シングルハンド・キャッチ”等を収録した4年ぶりのフル・アルバム『バタフライ・アフェクツ』をリリース。

 

 


2020年10月14日、配信シングル“ラン・ダイナモ・ラン”をリリース。

12月16日、“ラン・ダイナモ・ラン”、“ダンスは抵抗”、“団地のエコー”等を収録した2年ぶりのフル・アルバム『ハビタブル・ゾーン』をリリース。購入特典として、シングル“ダンスは抵抗 (Gospel Renegade Future Bugalu Mix)”を制作。

 

 

 

2022年11月3日、長らく廃盤になっていた非戦2部作『ラヴ・プラスマイナス・ゼロ』と『シャローム・サラーム』が、2in1となって再販。

 

 

 

 

中川敬率いるソウル・フラワー・ユニオン、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットトラッド、及びこれらの関連プロジェクトは、ソウル、ジャズ、パンク、レゲエ、ラテン、民謡、チンドン、ロックンロールなど、様々なジャンルを精力的に採り入れ融合させた音楽性、それを具現化する祝祭的ライヴにより、国内外で高い評価を得ている。

親交のあるアーティストは多く、同世代や若手世代以外にも、例えば、登川誠仁、田端義夫、加藤登紀子、大城美佐子、照屋政雄、柴山俊之(ex.サンハウス)、シーナ&ロケッツ、仲井戸麗市、パンタ(ex.頭脳警察)、ネーネーズ、大工哲弘、梅津和時、渋さ知らズ、有山じゅんじ、友部正人、遠藤ミチロウ、早川義夫、中川五郎、春日博文(ex.カルメン・マキ&OZ)、OKI、金子飛鳥、電気グルーヴ、非常階段、the 原爆オナニーズ、BO GUMBOS、アナーキー、ザ・ルースターズ、JAGATARA等とレコーディングやライヴでしばしば共演している。

活動範囲も幅広く、ベトナム、フィリピン(スモーキー・マウンテン)、香港、韓国、北朝鮮、台湾、フランス、東ティモール(独立式典)、ヨルダン(パレスチナ難民キャンプ)、北方領土(国後島)など世界中でライブを開催、アイルランド、イギリスなどでレコーディングも行っている。

 

アイリッシュ・トラッド界のミュージシャン達や、ビリー・ブラッグ、ミック・ジャガー、ザ・ポーグス、スピーチ(アレステッド・ディベロップメント)、3ムスタファズ3など、海外ミュージシャンらによる評価も高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「中川敬」「ニューエスト・モデル」「ソウル・フラワー・ユニオン」