谷山 浩子(たにやま ひろこ/1956年8月29日~)は、日本の歌手、シンガーソングライター。

 

 

 

1956年8月29日、谷山浩子は東京都杉並区高円寺で生まれる。

その後、神奈川県横浜市で育つ。

 

1962年よりピアノを習い始める。

 

7歳で初めての楽曲“星の夜”を作詞・作曲する。

 

お茶の水女子大学附属中学校に入学。
中学校時代からキングレコードに曲の持ち込みを始める。

 

 

1970年11月20日に発売された、ベイビーブラザーズ(後の「フィンガー5」)のシングル“白い天使”のB面収録曲に“ぼくたちの秘密”が採用される(原題は「誰も知らない」)。当時は14歳であった。

 

中学生の頃に作品の持ち込みを始めた理由は、通っていたお茶の水女子大学附属中学校から走って30秒の所にキングレコードがあり、また知り合いの知り合いがキングレコードのディレクターだったため。
元々は作詞作曲家志望であり、自分で歌うことは想定していなかった谷山だったが、キングレコードの音楽ディレクターから「自分で歌ってみない?」と言われ、ピアノを弾きながら歌う弾き語りスタイルでレコーディングが行われた。

中学卒業後、お茶の水女子大学附属高等学校に進学。

1972年4月25日、1stアルバム『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』とシングル“銀河系はやっぱりまわってる”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:原田良一)をキングレコードからリリースし、最初のデビューを果たす。

 

10月1日、NHKの「ヤング101」のメンバーとなる。

 

 

1973年1月からNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に出演。番組終了までヤング101に在籍した。

10月20日、「ヤマハホール ハンドメイドコンサート10月」に、友人と結成した「オレンジ猫」という音楽デュオで参加、谷山がピアノと作曲を手掛け、友人がヴォーカルと作詞を担当し、楽曲“忘れもの”(作詞:佐々木雅世/作曲:谷山浩子)でポプコンの予選に出場、関東甲信越大会まで進出した。当時のコンテスト審査員に荒井由実がいた。出番終了後に「ユーミンがオレンジ猫を好評価していた」と伝え聞いたときのエピソードを後に谷山は回想している。オレンジ猫は健闘するも敗退したため、残りの日程は谷山がソロ名義でコンテスト参加を続行したという。
 

 

1974年2月16日、読売ホール 自作自演応募の部大会出場。
2月17日、読売ホール 譜面応募の部大会に、“スケッチブック”(編曲:萩田光雄)、“お早うございますの帽子屋さん”(編曲:松任谷正隆)の2曲出場、さらに関東甲信越大会まで出場。関東甲信越大会へは“お早うございますの帽子屋さん”が出場。
3月24日、中野サンプラザにて行われたポピュラーソングコンテスト予選の関東甲信越大会に、オレンジ猫“忘れもの”、谷山浩子“お早うございますの帽子屋さん”の2曲で出場。

3月31日、『ステージ101』最終回が放映され、同回に谷山本人は出演していないが、エンドクレジットには含まれた。
5月5日、第7回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会で“お早ようございますの帽子屋さん”が入賞。
第8回ポピュラーソングコンテストに“ネコの森には帰れない”(カタカナ表記)を応募するも、デビューが決まったため幻に。

 

 

1975年2月10日、“お早ようございますの帽子屋さん”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:萩田光雄)をキャニオン・レコードからシングル・リリースし、2度目のデビュー。

 

この頃、みなみらんぼうのバックでツアーをまわる。レコーディングでもピアノ・コーラスで参加。

 

 

1977年3月15日、3rdシングル“河のほとりに”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:クニ河内・戸塚修)をキャニオンレコードからリリースし、本格的にプロ・デビュー。オリコン29位を記録した。

 

5月25日、2ndアルバム『ねこの森には帰れない』をキャニオンレコードからリリース。以上の経緯から、谷山本人は「デビューが3回ある」と語っている。

10月10日、4thシングル“窓”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:小野崎孝輔)を発売、オリコン91位。

 

 

1978年9月21日、5thシングル“忘れられた部屋で”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:小野崎孝輔)を発売。オリコン72位。

 

 

1979年、デビュー後は音楽活動と並行して著述活動も続けていた谷山が、初の童話集『谷山浩子童話館』を刊行。

2月21日、6thシングル"あやつり人形"(作詞・曲:谷山浩子/編曲:ジーノ・メスコリ)を発売、オリコン96位。

 

4月21日に発売された石川ひとみのシングル“ひとりぼっちのサーカス”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:大村雅朗)を曲提供、オリコン85位。

 

8月5日、宮崎駿監督のアニメ映画『未来少年コナン・劇場版』の主題歌として提供した“愛をもう一度 / なつかしい朝”(歌:研ナオコ)が、7インチシングル盤として発売された。

 

 

同年に発売された初代PC-8001の時代から「マイコン」に触れているというパソコンマニアとしても知られており、『Oh!FM』→『Oh!FM TOWNS』(日本ソフトバンク)、『PCfan』(毎日コミュニケーションズ)など複数のパソコン雑誌でエッセイを長期にわたり連載していた。

 

 

1980年3月21日、8thシングル“カントリーガール”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:山川恵津子)を発売。オリコン55位。9thシングル“夕暮れの街角で”(作詞:泉明子/作曲:谷山浩子/編曲:ジャン・ムージィ)を同時発売。

 

 

11月21日、6thアルバム『ここは春の国』を発売、オリコン63位。

 

 

1981年11月25日、7thアルバム『時の少女』を発売、本作から3作にわたり橋本一子が主な編曲を担当し、そうした機運の中で出逢ったのが石井AQである。

 

 

1982年からはニッポン放送『オールナイトニッポン』木曜2部のレギュラーを担当し、ラジオパーソナリティとしても人気を博す。

4月21日、11thシングル“てんぷら☆さんらいず”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:鳴海寛・山川恵津子)を発売。自身が担当する『オールナイトニッポン』のオープニング曲としても使用された。

 

10月5日、12thシングル“サーカス”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:平野孝幸)を発売、オリコン83位。

 

 

1983年3月21日、13thシングル“たんぽぽ”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:倉田信雄)を発売、オリコン75位。

 

4月21日、8thアルバム『たんぽぽサラダ』を発売、オリコン27位。

 

9月21日、14thシングル“風になれ -みどりのために-”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:鷺巣詩郎)を発売、エーザイの胃腸薬「サクロン」CMソング。オリコン69位。

 

同年、八曜社から初のエッセイ集『悪魔祓いの浩子さん』を刊行した。

 

 

1984年5月21日、9thアルバム『水の中のライオン』を発売、オリコン23位。

 

11月21日、16thシングル“DESERT MOON(英語版)”(作詞・曲:Dennis De Young/ 日本語詞:谷山浩子/編曲:鷺巣詩郎)を発売。当時「スティクス」(Stix)のメンバーであったデニス・デ・ヤング(Dennis Young)のソロデビュー曲の日本語カヴァー。オリコン55位。

 

 

1985年2・3月、“恋するニワトリ”がNHK『みんなのうた』2月・3月期の放送曲に選ばれた。

 

6月5日、10thアルバム『眠れない夜のために』を石井AQがプロデュース、オリコン27位。以降現在に至るまで石井は大部分のアルバムのプロデュースや編曲、コンサートやライヴのサポートを務める共同作業者として活動をともにしている。

8・9月、“まっくら森の歌”がNHK『みんなのうた』8月・9月期 放送曲に選ばれた。

 

10月5日、11thアルバム『空飛ぶ日曜日』を発売、オリコン27位。

 

 

1986年5月21日、斉藤由貴の6thシングル“土曜日のタマネギ”(作曲:亀井登志夫/編曲:武部聡志)を作詞提供。富士フイルム「AXIAテープ」CMソング。 斉藤にとって唯一のアカペラ曲。オリコン6位。

 

8・9月、“しっぽのきもち”がNHK『みんなのうた』8月・9月期 放送曲に選出。

 

10月21日、12thアルバム『水玉時間』を発売、オリコン34位。

11月19日、斉藤由貴の8thシングル“MAY”(作曲:MAYUMI/編曲:武部聡志)を再び作詞提供。東宝映画『恋する女たち』主題歌。オリコン2位。

 

11月19日、19thシングルとして“MAY”(編曲:大村雅朗)のセルフ・カヴァーをリリース、オリコン85位。

同年よりアスキー実験ネットなどでパソコン通信を初体験。パソコン通信で「谷山浩子」のハンドルネームを用いて発言していたところ「谷山のファンが谷山の名前を名乗っている」と勘違いされ、「うちは実名主義ですから、ニックネームを使うのはやめてください」と警告されたことがあるという。

若い頃、歌手活動で最も苦手だったのは観客の前で唄うライヴやコンサートであったが、30歳を超えてから次第に慣れていき、ライヴが楽しく、観客を楽しませる余裕もできたと述べている。

 

 

1987年6・7月、“おはようクレヨン”がNHK『みんなのうた』6月・7月期 放送曲に選出された。

9月5日、13thアルバム『透明なサーカス』を発売、オリコン41位。

 

同年から、一般の個人・団体が主催者となる「101人コンサート」を開始する。第1回開催は東村山市中央公民館であった。

 


1988年5月21日、14thアルバム『しっぽのきもち』を発売、オリコン42位。

同年からは「101人コンサートスペシャル」を青山円形劇場にて開催。青山円形劇場では毎年秋(1994-2001年は隔年)にスペシャル公演を開催した。101人コンサートは、収容人数が100人から300人程度の会場で「電気と屋根がある場所ならどこでも」というコンセプトで、石井AQ(シンセサイザー)と2人で2001年まで全国各地で開催し、14年間で公演開催数が300以上(青山円形劇場でのスペシャル公演を含む)に達した。

 

 

1989年1月21日、15thアルバム『お昼寝宮・お散歩宮』を発売、オリコン48位。

同年、『コンプティーク・ソーサリアンシナリオコンテスト』の審査員を務めた。

 

 

1990年2月21日、16thアルバム『冷たい水の中をきみと歩いていく』を発売、オリコン35位。

11月14日、ベスト・アルバム『カントリーガール』を発売、オリコン58位。

 

 

1991年5月21日、17thアルバム『ボクハ・キミガ・スキ』を発売、オリコン34位。

 

 

1992年6月3日、18thアルバム『歪んだ王国』を発売、オリコン29位。

 

9月2日、21stシングル“ひとみの永遠”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:斎藤ネコ)を発売、オリコン94位。

 

同年、『パソコンアート・コンテスト』(主催:日本電気)の審査員を務めた。また、PC-9801用のアドベンチャーゲーム『TADL』にも関わっている。

同年、NECの商用パソコン通信ネットワーク「PC-VAN」で、日本初となるパソコン通信での小説連載を開始した。インターネットの普及以降も、ブログや動画サイト、Twitterなどを音楽活動と趣味に積極的に活用している。

 

 

1993年5月21日、19thアルバム『天空歌集』を発売、オリコン37位。

 

 

1994年7月21日、20thアルバム『銀の記憶』を発売、オリコン55位。

同年から、青山円形劇場にて、2001年までは隔年、それ以降は名とし、スペシャル公演を開催した。「101人コンサート」は、収容人数が100人から300人程度の会場で「電気と屋根がある場所ならどこでも」というコンセプトで、石井AQ(シンセサイザー)と2人で2001年まで全国各地で開催し、14年間で公演開催数が300以上に達した(青山円形劇場でのスペシャル公演を含む)。

 

 

1995年9月21日、21stアルバム『漂流楽団』を発売、オリコン59位。

 

 

1996年に結婚した。

11月4日、22ndアルバム『しまうま』を発売、オリコン70位。

 

 

1997年4月から約2年間、ヤマハ音楽振興会の関連会社でファンクラブの運営や物販事業など営利事業を行っていた株式会社常磐を所属事務所としていた。
同年、デビュー25周年を迎え、第300回「101人コンサート」をBunkamuraオーチャードホールで開催した。

 

 

1998年には初のCD-ROM『それゆけ!マル廃ゲーマーズ』を発表した。

 


2000年、ヤマハによって「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」が設立された際、中島みゆきらとともに同社へ移籍する。


2001年1月24日、25thアルバム『心のすみか』を移籍したヤマハミュージックコミュニケーションズから発売。



2002年にはデビュー30周年を迎える。以降は、青山円形劇場公演に代わるものとして「猫森集会」が新宿の全労済ホールスペース・ゼロで開催され、同時に全国を回るピアノソロツアー「谷山浩子ソロライブ」も行われている。なお、従来ファンクラブのイベントの名称として「ねこ森集会」が使われていたが、こちらは「ねこ森集会 Limited」と改称している。

10・11月、“そっくりハウス”がNHK『みんなのうた』10月・11月期 放送曲に選出。

 

 

2003年2月19日、沢田聖子の31stシングル“ナンクルナイサ”のカップリング曲“星より遠い”(作詞・曲:谷山浩子)を楽曲提供。

 

 

2006年7月29日に東宝配給で劇場公開されたスタジオジブリ製作の長編アニメーション映画『ゲド戦記』に、劇中挿入歌“テルーの唄”(作詞:宮崎吾朗/作曲:谷山浩子/編曲:寺嶋民哉/歌:手嶌葵)を作曲提供。

 

9月13日、31stアルバム「テルーと猫とベートーヴェン」を発売、オリコン47位。

 

 

2007年11月7日、32ndアルバム「フィンランドはどこですか?」を発売、オリコン75位。

 

 

2011年7月16日に東宝系で公開されたスタジオジブリ製作の長編アニメーション映画『コクリコ坂から』に提供した、手嶌葵が歌う挿入歌、“朝ごはんの歌”(作詞:宮崎吾朗・谷山浩子/作曲:谷山浩子)、“初恋の頃”(作詞:宮崎吾朗・谷山浩子/作曲:谷山浩子)、“紺色のうねりが”(原案:宮沢賢治/作詞:宮崎駿・宮崎吾朗 / 作曲:谷山浩子/編曲:武部聡志)を手掛けた。

 

 

 

9月14日、33rdアルバム『夢みる力』を発売、オリコン66位。



2012年にはデビュー40周年を迎える。これを記念して、同年から翌2013年にかけてROLLYとのコラボ企画や、東京・東京国際フォーラムと大阪・サンケイホールブリーゼにて特別公演を開催、『谷山浩子40周年記念百科全書』の発売、オールナイトニッポンモバイルの開始、『オールナイトニッポン45周年記念45時間スペシャル』(2013年2月23日(土) 28:00-29:00)へ出演するなど、様々な企画が行われた。

9月12日、かねてからライヴのゲストとして出演することが多かったROLLYと結成したコラボ・ユニット「THE 卍(まんじ)」の1stアルバム『ROLLY&谷山浩子のからくり人形楽団』を発売、オリコン61位。

 

10月24日、23rdシングル“同じ月を見ている”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:石井AQ・谷山浩子)をヤマハミュージックコミュニケーションズから発売、オリコン95位。

 

 

2013年9月11日、THE 卍の2ndアルバム『暴虐のからくり人形楽団』を発売、オリコン57位。

 

 

2017年4月26日、コンピレーション・アルバム『谷山浩子 45th シングルコレクション』を発売、CD3枚組。オリコン26位。

 

9月13日、34thアルバム「月に聞いた11の物語」を発売、オリコン22位。

 

 

2019年に夫と死別。

4月2日、24thシングル“花さかニャンコ”(作詞・曲:谷山浩子/編曲:栗原正己)をデジタル配信でリリース。NHK『みんなのうた』4月・5月期で放送。

 

9月11日、35thアルバム『花さかニャンコ』を発売、オリコン35位。

 

 

2020年には乳がんと診断され、同年9月から治療を開始したため、2021年春頃までのコンサートの開催を見送った。
12月11日からYouTube公式チャンネルで「谷山浩子のSORAMIMIラジオ」の配信を開始した。

 

 

2021年11月17日、36thアルバム『浩子の宅録』を発売、オリコン28位。 

 

 

2022年4・5月、“きみがいるから”がNHK『みんなのうた』4月・5月期 放送曲に選ばれる。

 

4月27日、CD2枚組ベスト・アルバム『ネコとコバン』発売。オリコン34位。

 

 

2024年9月18日、37thアルバム『タニヤマヒロコノピアノアルバム』を発売予定。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「谷山浩子」

 

 

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