ブラッキー・ローレス(Blackie Lawless/本名:Steven Edward Duren/1956年9月4日~)は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャン。

 

 

 

1956年9月4日、スティーブン・エドワード・デューレンは、アメリカ合衆国ニューヨーク州スタテン島で生まれる。彼はアイルランド、フランス、ネイティブ・アメリカンの祖先を持っており、彼の母親はブラックフット族のクォーターである。彼はメジャー・リーグ・ベースボールで投手として活躍したライン・デュレンの甥である。ローレス自身は、プロ野球のキャリアを追求することを検討していたが、彼は兄からギターを教わったこともあり、結局は音楽の道を選んだ。

彼は原理主義的なバプテストの教育を受けたが、ユダヤ人の祖先も主張している。

若い頃は教会で「非常に活発」で、11歳で生まれ変わったと彼は言っている。

10代後半に教会から離れ、オカルトに興味を持つようになった。彼がオカルティズムにハマっていたのは短期間だったが、近年キリスト教信仰に戻るまでオカルティズムのテーマを使い続けた。

 

ローレスは、「Black Rabbit」や「Orfax Rainbow」などのバンドで演奏することで音楽のキャリアをスタートした。

 

1975年、グラム・ロック・バンド「ニューヨーク・ドールズ」(NewYork Dolls)のギタリスト、ジョニー・サンダースがフロリダ・ツアーの途中で脱退したため、バンドは穴埋めのためオーディションを行った。これに参加したローレスは合格し、バンドに入ったが、在籍したのはツアーの残りの期間だけだった。

ニューヨーク・ドールズのツアーが終わると、ローレスはベーシストのアーサー・ケインとともにカリフォルニアに行き、「キラー・ケイン」(Killer Kane)の結成に参加。キラー・ケインは1枚だけEPをリリースしたが、その裏に記載されているように、当時のローレンスのステージ・ネームは「Blackie Goozeman」であった。

 

約1年後、ケインはニューヨーク市に戻ったが、ローレスはロサンゼルス西部にとどまることにした。

 

 

1976年、ローレスはロサンゼルスで新たなヘヴィメタル・バンド「シスター」(Sister)を結成、自身はヴォーカルとリズム・ギターを担当した。ここには将来W.A.S.P.のメンバーとなるギタリストのランディ・パイパーも参加した。

 

 

1978年頃、ニッキー・シックス(B)、リジー・グレイ(G)を含む新しいラインナップが組み立てられた。その後、クリス・ホルムズ(G)が参加したが、シスターはおよそ2年で活動を停止した。 

 

 

1979年、ローレスは「サーカス・サーカス」(Circus Circus)と呼ばれるバンドを結成し、パイパーが再びラインナップに加わった。だが、この活動は失敗に終わった。

 

 

1981年、ローレスはリジー・グレイとニッキー・シックスが結成したヘヴィメタル・バンド「ロンドン」(London)にベーシストとして参加、そこで彼はいくつかのギグを行い、デモとして2曲を録音した。だが、ローレスの加入前にシックスはモトリー・クルーを結成するため既に脱退していた。 

 

 

1982年、ローレスは、ランディ・パイパー(G)とともにロサンゼルスにて「W.A.S.P.」を結成。すぐにクリス・ホームズ(リードG)とトニー・リチャーズ(Ds)が加わり、ラインナップが完成した。

 


1984年4月、シングル“Animal(Fuck Like A Beast)”でデビュー。タイトルと歌詞が過激なため、所属レコード会社のキャピトル・レコードから発売が許可されず、インディーズのミュージック・フォー・ネイションズから発表され、同年6月には全英シングルチャートで83位に達し、英国ロックチャート(以下「英ロック」)でも2位に入った。

 

同年8月17日、キャピトル・レコードからデビュー・アルバム『W.A.S.P.』発表、全米74位・全英51位にチャートインした。問題の“Animal”の収録は見送られたが、後年リリースのリマスター盤CDに収録された。本アルバムからは、シングル"I Wanna Be Somebody"が全英77位・英ロック2位、また、"School Daze"が全英81位・英ロック3位になった。

 

 

 

9月には早くもドラムのトニー・リチャーズが脱退。後任にスティーヴン・ライリーが加入した。
 

 

1985年11月9日、2ndアルバム『The Last Command』発表、全米49位・全英48位に達した。シングルは、"Running Wild in the Streets"が全英77位・英ロック6位、"Wild Child"が全英71位・英ロック5位に入った。

 

 

 

 

1986年7月、ランディ・パイパーが脱退したため、後任にジョニー・ロッド(元キング・コブラ/B)を迎え、ローレスがベースからリズム・ギターに転向。

10月リリースの3rdアルバム『Inside The Electric Circus』以降、このラインナップで活動してゆく。アルバムは全米60位・全英53位にチャートイン、シングルは"9.5. – N.A.S.T.Y."が全英70位・英ロック5位に達した。

 

 

1987年8月、イギリスで毎年開催されるロック・フェスティバル「モンスターズ・オブ・ロック」(Monsters of Rock)に出演。

11月27日、ライヴアルバム『Live...In the Raw』をリリース、全米77位・全英23位にチャートインした。ここからカットした"Scream Until You Like It"が全英32位・英ロック1位、"I Don't Need No Doctor"が全英31位・英ロック2位に達した。

 

 

 

 

1988年、シングル"Live Animal (F**k Like a Beast)"をリリース、全英61位・英ロック2位に入った。

 

 

1989年4月に4thアルバム『The Headless Children』をリリース、全米48位・全英8位になり、イギリスで初のトップ10入りを果たす。カットしたシングルも、"Mean Man"が全英21位・英ロック1位。"The Real Me"が全英23位・英ロック1位、"Forever Free"が全英25位・英ロック3位とヒットした。

 

 

 

9月、オリジナル・メンバーだったクリス・ホルムスが脱退。デビュー当時からのメンバーがローレスだけとなり、バンドはほぼ解散状態となる。

 

 

1992年6月、ローレスがソロ・アルバムとして制作した『クリムゾン・アイドル』(The Crimson Idol)を、レコード会社のアドバイスによりW.A.S.P.名義の5thアルバムとして発表。今作品はザ・フーの『トミー』に影響を受けたコンセプト・アルバムで全英21位になった。カットした"Chainsaw Charlie (Murders in the New Morgue)"が全英17位・英ロック2位・フィンランド3位、"The Idol"が全英41位、"Hold On to My Heart"が全英56位にそれぞれチャートイン。

 

 

 

 

ツアーにはダグ・ブレアー(G)が参加している。

8月に「モンスターズ・オブ・ロック」に再び出演。

 

 

1993年7月1日0コンピレーション・アルバム『First Blood Last Cuts』をリリース、全英69位を記録した。ここから"Sunset & Babylon"をカット、全英38位になった。

 

 

 

1995年6月10日リリースの6thアルバム『Still Not Black Enough』もローレスのソロ・プロジェクト的な意味合いの強い作品となった。アルバムは全英52位にチャートインし、カットした"Black Forever"/"Goodbye America"が全英88位・英ロック4位に入った。

 

 

 

 

1997年3月5日の7thアルバム『KILL FUCK DIE』(略称「K.F.D.」)で、クリス・ホルムズ復帰。全英94位。

 

『K.F.D.』時のメンバーにより制作されたアルバム、1999年『Helldorado』が全英111位に入り、2001年には『Unholy Terror』が発表される。

 

 

2001年、クリスが再び脱退。『Unholy Terror』のツアーにはダグ・ブレアー(G)が参加している。
 

 

2002年6月11日、ダレル・ロバーツ(G)を加え『Dying For The World』を発表。湾岸戦争に参加した兵士からもらったファンレターにブラッキーは激しく感動し「彼らに新しいものを提供せねばならない」と述べていた。ファンレターの内容は、兵士が戦車で突撃する際に、“Animal”や“Wild Child”を大音響で戦車のスピーカーから流したというものだった。

 

 

2004年、2枚のコンセプトアルバムをリリースした。

4月6日、『The Neon God: Part 1 - The Rise』を発表、全英150位と久々にチャートインを果たす。

9月28日、『The Neon God, Part 2 - The Demise』を発表。

ツアー後、ダレル・ロバーツとステット・ホーランドが脱退。

 

 

2007年、ダグ・ブレアー(G)が復帰し、マイク・デュプキー(Ds)が加入。

4月16日、アルバム『Dominator』発表、欧州のいくつかの国でチャート入り。
2007年から2008年にかけて、「クリムゾン・アイドル15周年アニバーサリーツアー」を実施。スクリーンにクリムゾンアイドルの映像を上映しつつ、アルバム10曲を忠実に再現するステージだった。
 

 

2009年10月12日、アルバム『Babylon』を発表。“Babylon's burning”のプロモビデオが作成された。アルバムは全英135位にチャートインした。

 

 

2015年10月9日、マイク・デュプキーの脱退を経て6年ぶりの新作『Golgotha』をリリース、全米93位を記録して、26年ぶりにアメリカでトップ100入りを果たし、ヨーロッパでも全英50位・スウェーデン6位などと各国でチャート入りを果たした。

 

 

 

2018年、5thアルバム『クリムゾン・アイドル』の発売25周年を記念したリレコーディング作品『Re-Idolized (The Soundtrack To The Crimson Idol)』を発表。

 

 

2020年春、元W.A.S.P.のボブ・クリックが死去。

8月20日、元W.A.S.P.ドラマーのフランキー・バナリは膵臓癌で死去、クリムゾン・アイドル時代のラインナップで2番目に亡くなったメンバーとなった。

 

 

2021年10月下旬、W.A.S.P.はバンド結成40周年を記念して、2022年にワールドツアーに乗り出すことを発表。しかし、ヨーロッパツアーは延期され、5月のロシアでのショーを含め、ヨーロッパで進行中の新型コロナ(COVID-19)パンデミック状況により、2023年春に再スケジュールされた。

しかし10年以上ぶりとなった北米では、アーマード・セイントのサポートと、一部日程ではマイケル・シェンカーも参加し、10月から12月までツアーを続けた。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ブラッキー・ローレス」「Blackie Lawless」「W.A.S.P.」「W.A.S.P. (band)」