ダン・フォーゲルバーグ(Dan Fogelberg/出生名:Daniel Grayling Fogelberg / 1951年8月13日~2007年12月16日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。
1951年8月13日、ダニエル・グレイリング・フォーゲルバーグは、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア(Peoria)で3人兄弟の末っ子として誕生。母親はクラッシックのピアニストで、父は高校でバンド・ディレクターをしていた。
少年時代からクラシックピアノを習う傍ら、スライドギターも独習する。
高校時代はビートルズのコピーバンドも組んでいた。ピオリア市の母校ウッドラフ高では父親が音楽活動の傍ら教師を務めていた。この高校と代表曲“懐かしき恋人の歌” (Same Old Lang Syne)に登場する食料品店とを結ぶ通りが後に「フォーゲルバーグ・パークウェイ」と改名された。
高校卒業後、大学で美術を学びながら、地元のコーヒー・ハウスなどで音楽活動を開始。ここで後に名マネージャーとして知られることになるアーヴィン・エイゾフと知り合い、彼とともにカリフォルニア州、次いでテネシー州ナッシュビルへと移る。同地でスタジオ・ミュージシャンとして、イーグルスなど同世代の数多くのミュージシャンと共演したことが、その後の彼の音楽性に大きな影響を与えることになる。
1972年、最初のアルバム『ホーム・フリー』(Home Free)を発表したが、シングル"To the Morning"ともども、セールスは振るわなかった。
1974年10月、イーグルスのギタリスト、ジョー・ウォルシュ(Joe Walsh/1947年11月20日-)のプロデュースによって発表した2ndアルバム『アメリカの想い出』(Souvenirs)が全米17位に到達、ここからのシングル"Part of the Plan"が米音楽誌『ビルボード』の総合シングルチャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)31位・「Adult Contemporary」チャート(以下「AC」)22位に達するヒットになり、ミュージシャンとしての地歩を固める。
1975年9月、セルフ・プロデュースの3rdアルバム『囚われの天使』(Captured Angel )をリリース、全米23位に達した。
1977年、4thアルバム『ネザー・ランド』(Nether Lands)をリリース、全米13位。ここからは、"Love Gone By"がシングルカットされた。
1978年、ティム・ワイズバーグ(Tim Weisberg)と連名のアルバム『ツイン・サンズ・オブ・ディファレント・マザーズ』(Twin Sons Of Different Mothers)をリリース、全米8位。ここからのシングル"The Power of Gold"は全米24位になった。
1979年11月、5thアルバム『フェニックス』(Phoenix)をリリース、自己最高となる全米3位に到達した。ここからリカットした"ロンガー"(Longer)が全米2位・AC1位と大ヒット、"Heart Hotels"も全米21位・AC3位になった。
1980年11月、シングル“懐かしき恋人の歌”(Same Old Lang Syne)をリリース、クリスマスに合わせたリリースだが年が明けても売れ続け1981年2月に全米でトップ10入りとなる全米9位にランクイン。ACでも8位に入った。同年秋発表のアルバム『イノセント・エイジ』にも収録。
1981年8月、6thアルバム『イノセント・エイジ』(The Innocent Age)をリリース、全米6位に達した。ここからは、"懐かしき恋人の歌"の他、"Hard to Say"が全米7位・AC2位、"Leader of the Band"が全米9位・AC1位、"Run for the Roses"が全米18位・AC3位と、シングルヒットを多数出した。
1982年10月、ベストアルバム『Greatest Hits』をリリース、全米15位を記録した。ここから、"Missing You"が全米23位・AC6位、"Make Love Stay"が全米29位・AC1位に入った。
ここまでアルバムを中心に商業的な成功を収めるとともに、その音楽的完成度の高さも注目を集めた。ジェイムス・テイラーなどの1960年代フォークを基盤としながらも、ギター、キーボード、コーラスなど全て一人でこなし、それらを多重録音によって表現するスタイルは、「一人CSN&Y」とも呼ばれた。
1984年5月22日、社会的テーマを扱った7thアルバム『ウィンドウズ・アンド・ウォールズ』( Windows And Walls )をリリース。全米15位になった本作は、"The Language of Love"が全米13位・AC14位、"Believe in Me"が全米48位・AC1位、"Sweet Magnolia (And the Travelling Salesman)"がAC36位とヒット曲も出したが、アリゾナで起こった実際の事件を取り扱った“Tucson Arizona”が含まれるなど、難しい社会問題を作品にした曲も数多く作曲し収録している。
1985年、ブルーグラスの影響を感じさせる8thアルバム『遥かなる心は絆 - ハイ・カントリー・スノウズ』(High Country Snows)をリリース、全米30位に達した。ここからのシングルは、"Go Down Easy"が全米85位・AC6位になった。
この頃は大ヒットには恵まれなかったものの着実な活動を続けた。
1987年、9thアルバム『エグザイルズ』(Exiles)をリリース、全米48位。ここから、"She Don't Look Back"が全米84位、"Lonely in Love"がAC2位、"Seeing You Again"がAC15位などのシングルがヒットした。
1990年、10thアルバム『ワイルド・プレイセズ』(The Wild Places)をリリース、全米103位。ここからカットした"Rhythm of the Rain"がAC3位になった。
1993年9月28日、アルバム『リヴァー・オブ・ソウルズ』(River Of Souls)をリリース、全米164位。本作からは"Magic Every Moment"がカットされた。
1999年、アルバム『ザ・ファースト・クリスマス・モーニング』(The First Christmas Morning)をリリース。
2003年、アルバム『Full Circle』をリリース。
2004年5月 、フォーゲルバーグは進行性前立腺癌と診断された。 治療を受けた後、彼のがんは部分寛解になった。
2005年8月、フォーゲルバーグは癌治療に成功したことを発表した。
だが、彼の癌は再発した。
2007年12月16日、シンガーソングライターのダン・フォーゲルバーグとして知られたダニエル・グレイリング・フォーゲルバーグは、メイン州ディア アイル(Deer Isle, Maine)の自宅にて、前立腺癌により死去。56歳の若さだった。
2008年2月14日、ダンが2005年のバレンタインデーに愛する妻のために書き、レコーディングした楽曲“サムタイムズ・ア・ソング”(Sometimes a Song)を、未亡人となったジーン夫人がインターネットで販売、すべての収益を前立腺がん財団に寄付すると発表した。
2009年9月、フォーゲルバーグの未発表ナンバー11曲のコレクション『Love in Time』をリリース。“サムタイムズ・ア・ソング”を含むこのアルバムは、同年10月10 日に全米117 位になり、16年ぶりに全米チャート入りを果たした。
2015年、イリノイ州では、誕生日であった8月13日を「ダン・フォーゲルバーグ・デー」とすることが議会で決まった。
(参照)
Wikipedia「ダン・フォーゲルバーグ」「Dan Fogelberg」