ピーター・グリーン(Peter Green/出生名:Peter Allen Greenbaum/1946年10月29日~2020年7月25日)は、イングランドのミュージシャン、ギタリスト。ブルーズロックの分野で活動し、フリートウッド・マックの創設メンバーとしても知られる。

 

 

 

1946年10月29日、ピーター・アレン・グリーンバウムは、ジョーとアンのグリーンバウム夫妻のユダヤ人の家庭に、4人の子どもの末っ子として、ロンドンのベスナル・グリーンで生まれた。

 

10歳の頃、兄のマイケルから初めてコードを教えられてギターに興味を持ち、11歳になるまで独学で演奏を学んだ。

その後ハンク・マーヴィン、マディ・ウォーターズ、B.B.キング等に影響を受ける。

 

15歳の頃、グリーンはロンドン東部の複数の海運会社で働きながら、プロとしてプレーを始めた。

彼は「ボビー・デニス・アンド・ザ・ドミノズ」というバンドで初めてベースギターを演奏し、ポップチャートのカヴァーやシャドウズのカヴァーを含むロックンロールのスタンダードを演奏した。

彼は後に、ハンク・マーヴィンが自身のギター・ヒーローであると語った。り、1996年のトリビュート・アルバム『Twang』でシャドウズの曲“Midnight”を演奏したと述べた。

 

グリーンはリズム&ブルースのグループ「マスクラッツ」に参加した後、「トライデンツ」と呼ばれるバンドに参加し、ベースを演奏した。

 

1965年のクリスマス前、グリーンはピーター・バーデンス( Peter Bardens/後に「キャメル」を結成)のバンド「ピーター・Bズ・ルーナーズ」(Peter B's Looners)でリード・ギターを演奏しており、そこでドラマーのミック・フリートウッド(Mick Fleetwood)と出会った。このバンドでA面が“イフ・ユー・ワナ・ビー・ハッピー”(If You Wanna Be Happy)、B面に“ジョドレル・ブルース”(Jodrell Blues)を収録したシングルをリリース、レコード・デビューした。“イフ・ユー・ワナ・ビー・ハッピー”はジミー・ソウルの曲のインストゥルメンタル・カヴァーであった。

 

 

1966年、グリーンとピーター・Bズ・ルーナーズの他のメンバーは、ロッド・スチュワートも参加したモータウンスタイルのソウル・バンド「ショットガン・エクスプレス」(Shotgun Express)という別のグループを結成したが、グリーンは数か月後にグループを脱退した。

同年、ブルーズ・バンド「ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ」(John Mayall&the Bluesbreakers)にエリック・クラプトン(Eric Clapton)の後任として加入。クラプトンの後釜として期待以上の活躍を見せ、グリーンは名声を得る。

 

 

1967年、フレディ・キングの“The Stumble”のカヴァーを収録したアルバム『ジョン・メイオールとピーター・グリーン/ブルースの世界 』(A Hard Road)をリリース。グリーンの自作曲2曲、"The Same Way"、"The Supernatural"も収録され、ギターと一部ヴォーカルを担当した。全英10位を記録する。

 

 

 

 

同年、グループを脱退する。
同年、ピーター・グリーン(G)とミック・フリートウッド(Ds)を中心に、ボブ・ブラニング(B)、ジェレミー・スペンサー(G)の4人でバンドを結成、グリーンによるギブソン・レスポールの音を前面に出し、当時イギリスで勃興していたブルーズ・ロックのブームに乗って活動を開始した。グリーンは演奏と作曲面でも中心的存在を担った。なお、初期のバンド名は「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」(Peter Green's Fleetwood Mac)であった。

数回のギグの後、ブランニングに代わってジョン・マクヴィー(B)が加入。

 

 

1968年、マイク・ヴァーノンのブルー・ホライゾン・レーベルとレコーディング契約を締結した。

2月、1stアルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』(Fleetwood Mac)をCBSレコードからリリース、全英4位・全米198位・オランダ3位を記録する。

 

3月29日発表のシングル曲“ブラック・マジック・ウーマン”(Black Magic Woman)は、全英37位をマーク。後にサンタナ(Santana)の1970年のアルバム『天の守護神』(Abraxas)でカヴァーされた。

 

7月5日、シングル"Need Your Love So Bad"をリリース、全英31位。

 

8月23日、2ndアルバム『ミスター・ワンダフル』(Mr. Wonderful)をリリース、全英10位・オランダ8位に達した。後にゲイリー・ムーアやエアロスミスがカヴァーした“ストップ・メッシン・ラウンド”(Stop Messin' Round)を収録。

 

 

11月22日にリリースしたシングル“アルバトロス (あほうどり)”(Albatross)が翌年、全英1位・オランダでも首位を獲得する大ヒット。2008年にはギター・アンビエント・ミュージックとして再評価されている。

 

 

1969年4月3日、シングル"Man of the World"をリリース、全英2位を記録。

 

9月19日、3rdアルバム『ゼン・プレイ・オン』(Then Play On)をリリース、全英6位・全米109位・オランダ8位。アルバムのタイトル「Then Play On」は、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『十二夜』冒頭の一節「音楽が愛の糧なら、続けて」(If music be the food of love, play on)から取られている。

 

9月26日、シングル"Oh Well"をリリース、全英2位・オランダ1位。

 

12月、LP2枚組のアルバム『ブルーズ・ジャム・イン・シカゴ』(Fleetwood Mac in Chicago)をリリース、全米118位。同年初頭にシカゴのチェス・レコードで行ったセッションを収録。本作がグリーン在籍時にフリートウッド・マックがリリースした最後のスタジオ・アルバムとなった。

 

 

1970年5月15日、シングルEP“グリーン・マナリシ”(The Green Manalishi [With the Two Prong Crown])を発表、全英10位。グリーンはギター、ヴォーカル、6弦ベースを演奏、これがフリートウッド・マック在籍時の最後のリリースとなった。本曲は後にジューダス・プリースト『殺人機械』(Killing Machine)でカヴァーされた。

 

同年、グリーンはドラッグの使用がもとで、自らが創設したフリートウッド・マックを脱退せざるを得なくなる。

12月、全曲即興的なインストゥルメンタルである1stソロ・アルバム『エンド・オブ・ザ・ゲーム』(The End of the Game/旧邦題:ジニアス)をリリース。

 

 

この後、暫くシーンの一線から退くことになる。

この頃に愛用していたギブソン・レスポールをゲイリー・ムーアに無料同然の値段で譲り渡した。

 

 

1970年代の大半をLSDの後遺症による統合失調症や幻覚が原因で活動を停滞させる。

 

 

1970年代後半、PVK Recordsとレコーディング契約。

 

 

1978年1月、グリーンはジェーン・サミュエルズと結婚。この年、二人の間に娘ローズバッドが生まれた。

同年、元バンド・メイトであるミック・フリートウッドのソロ・アルバム『ビジター』への客演をきっかけにして、ギタリストのスノウィー・ホワイトのサポートを受けてソロ活動を再開、アルバム制作に取り組む。

 

 

1979年5月、2ndソロ・アルバム『虚空のギター』(In the Skies)をリリース。

 

同年、夫婦は1年余りで離婚した。

 

 

1970年代から1980年代にかけて、精神疾患と極貧の時期に耐えたグリーンは、兄のレンとレンの妻グロリア、母親とともにグレート・ヤーマス近くのゴーレストンの家に移り住み、そこで回復の過程が始まった。

 

 

1980年4月、3rdソロ・アルバム『夢幻のギター』(Little Dreamer)をリリース。

 

 

1981年3月、4thソロ・アルバム『自由へのギター・ロード』(Whatcha Gonna Do?)をリリース。

 

同年、グリーンはミック・フリートウッドのソロ・アルバム『ザ・ビジター』の「ガラガラヘビ・シェイク」と「スーパー・ブレインズ」に参加した。

 

 

1982年6月、5thソロ・アルバム『無垢のギター』(White Sky)をリリース。

 

 

1983年、6thソロ・アルバム『彩りのギター』(Kolors)をリリース。

 

同年、ブルーズ・バンド「Katmandu」を結成。

 

 

1984年、Katmandu名義でアルバム『A Case For The Blues』をリリース。ジャケットデザインは3種類程あるようだ。

 

 

 

1985年、Katmanduが解散。

 

 

1986年、ピーターと弟ミッキーのグリーン兄弟は、ローリー・'ザ・レイヴン'・ゲインズ(Lawrie 'The Raven' Gaines)のアルバム『ア・タッチ・オブ・サンバーン』(A Touch of Sunburn)に参加、グループ名は「ジ・エネミー・ウィズイン」(The Enemy Within)という。このアルバムは、『ポスト・モダン・ブルース』や『ピーター・グリーンとミック・グリーン – ツー・グリーンズ・メイク・ア・ブルーズ』などのタイトルで何度も再発売されており、パイレーツのギタリスト、ミック・グリーンのクレジットが多く記載されている。

 

 

1990年代からゲイリー・ムーアやピート・ブラウンらによるピーター・グリーンの楽曲の再評価を受けて本格的な演奏の復帰期間に入る。

 

1990年代、ギタリストのナイジェル・ワトソン(Nigel Watson/G)、コージー・パウエル(Cozy Powell/Ds)やニール・マーレイ(Neil Murray/B)等とともに、ブルーズ・バンド「ピーター・グリーン・スプリンター・グループ」(the Peter Green Splinter Group)を結成。

 

 

1996年、自身のギター・ヒーローとして名を上げるハンク・マーヴィンのトリビュート・アルバム『Twang』でシャドウズの曲“Midnight”を演奏。

 

 

1997年5月12日、ピーター・グリーン・スプリンター・グループは初のアルバム『スプリンター・グループ』(Peter Green Splinter Group)をリリース。

 

 

 

1998年、フリートウッド・マックの他のメンバーとともに、グリーンは「ロックの殿堂」(the Rock and Roll Hall of Fame)入りを果たした。

4月5日未明、コージー・パウエルが英国ブリストル郊外の高速道路にて、酩酊下でシート・ベルトをせず、携帯電話で通話しながら車を運転中、時速167kmで中央分離帯に突っ込む衝突事故を起こし、51歳でこの世を去る。

その後、マーレイも脱退、バンドはメンバー・チェンジをせざるを得なくなる。

5月19日、2ndアルバム『The Robert Johnson Songbook』をリリース。ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)のカヴァー・アルバム。

 

 

1999年、グリーンにとって初となる日本公演も行うなど、ピーター・グリーン・スプリンター・グループは充実した活動を行う。

7月27日、3rdアルバム『デスティニー・ロード』(Destiny Road)をリリース。ブルーズ・ナンバーのカヴァーに加え、フリーとウッド・マック時代の楽曲"Hitch Hiking Woman”のセルフ・カヴァーも収録。

 

 

 

2000年4月17日、4thアルバム『ホット・フット・パウダー』(Hot Foot Powder)をリリース。オーティス・ラッシュやバディ・ガイ、Dr.ジョンなど豪華なゲストを迎えて制作した、ロバート・ジョンソンのカヴァーアルバム第二弾。

 

 

 

2001年10月9日、セルフ・プロデュースの6thアルバム『タイム・トレイダーズ』(Time Traders)をリリース。

 

同年、アルバム『Blues Don't Change』をコンサート会場および公式ウェブサイト限定で販売。

 

同年、『Me and the Devil』を限定3CDボックスで発売。1CDはロバート・ジョンソンの録音。

 

 

2003年、ブルーズ・バンド「ピーター・グリーン・スプリンター・グループとしては最後となるアルバム『リーチング・ザ・コールド 100』(Reaching the Cold 100)をリリース。

 

 

2004年初め、グリーンがバンドを脱退してスウェーデンに移住したため、ツアーはキャンセル、新しいスタジオ・アルバムのレコーディングも中止された。これにより実質的にピーター・グリーン・スプリンター・グループが解散。

その後間もなく、グリーンは翌年に予定されている「ブリティッシュ・ブルース・オールスターズ」とのツアーにサインした。

 

 

2008年、欧米で人気の音楽ゲーム『ギターヒーロー3 レジェンド オブ ロック』の発表の席に、ゲイリー・ムーアとともに参加。

 

 

2009年2月、グリーンは今度は「ピーター・グリーン・アンド・フレンズ」として活動を開始、翌2010年にかけて英国、ドイツおよび豪州ツアーを行った。

5月、グリーンはヘンリー・ハダウェイ製作のBBC Fourドキュメンタリー『ピーター・グリーン:マン・オブ・ザ・ワールド』の主題となった。

 

 

2020年2月25日、「ミック・フリートウッド&フレンズ・トリビュート・トゥ・ピーター・グリーン」と銘打たれたオールスターのトリビュート・コンサートがロンドン・パラディアムで行われた。『Guitar World』のレビューによると、グリーンは出席しておらず、おそらくイベントを知らなかったのではないかと述べた。

 

 

 

 

2020年7月25日、ブルーズ・ギタリストのピーター・グリーンとして知られたピーター・アレン・グリーンバウムは、居住していたエセックス州キャンベイ島にて、73歳で死去。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ピーター・グリーン (ミュージシャン)」「Peter Green (musician)」「ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ」「John Mayall & the Bluesbreakers」「フリートウッド・マック」「Fleetwood Mac」「Katmandu (band)」

 

 

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