ジョーイ・ジョーディソン(Joey Jordison/出生名:Nathan Jonas Jordison/1975年4月26日~2021年7月26日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン。スリップノットのオリジナルメンバーの一人。

 


 

1975年4月26日、ネイサン・ジョナス・ジョーディソンは、アイオワ州デモインにて、スティーブとジャッキー・ジョーディソンの間に誕生。後に2人の妹が生まれる。

彼はウォーキー郊外の田舎で育ち、家の前の通りでバスケットボールをしていた。

彼は幼い頃から両親の影響で音楽に親しんで、「彼らはいつもテレビではなくラジオの前に座っていました。」という。

ジョーイ・ジョーディソンは最初ギターを弾いていたが、8歳の時に両親からドラムキットをプレゼントされ、ドラムに転向。

小学校​​の時に最初のバンドを始めた。

ジョーイ・ジョーディソンの両親は彼が若い時に離婚した。子どもたちは母親と一緒にいた。彼の母親は再婚し、ジョーイソンが時折手伝う葬儀場を設立した。ジョーイ・ジョーディソンは、家の人になるという突然の責任を感じたと述べた。この間、彼はドラムを演奏するバンド「Modifidious」を結成した。彼は後にそれらを「トータルスピードメタルスラッシュ」と表現した。バンドはジョーイ・ジョーディソンが新境地を開拓するのを助け、ジム・ルートをフィーチャーしたアトミック・オペラやショーン・クラハンをフィーチャーしたヘッズ・オン・ザ・ウォールなどの地元バンドのサポートとしてライヴで演奏した。彼はまた、彼の家族が所有するボウリングセンターで、「Bowl-O-Rama」と呼ばれる夜に演奏した。後にスリップノットでも一緒になるクレイグ・ジョーンズとジョシュ・ブレイナードを含む多数のラインナップの変更の後、バンドは1993年に2つのデモ、『Visceral』と『MudFuchia』を制作した。

 


学校を卒業した後、ジョーイ・ジョーディソンはミュージックランドと呼ばれる地元の楽器店で働き始めた。

 

1994年3月、彼はアーバンデールのシンクレアガレージに転職した。ジョーイ・ジョーディソンは夜勤で働いたが、週末は自由になり、仕事をしながら友達と時間を過ごしたり、音楽を聴いたりすることができたので、彼にとって都合がよかった。

 

1995年初め、米国でスラッシュメタルからデスメタルへと流行が移り、Modifidiousは解散した。そして、ジョーイ・ジョーディソンは「リジェクト」(The Rejects)という地元のバンドにギタリストとして参加した。

ジョーイは、ポール・グレイとヴォーカリストのドン・デッカーとともに、「アナル・ブラスト」という名前のバンドにも関わっていた。

9月、アイオワ州デモインで、ショーン・クラハン(Per)と、ポール・グレイ(B)により、「ペール・ワンズ」(The Pale Ones)のバンド名で結成。他のメンバーは、地元の音楽活動を通して知り合った、アンダース・コルセフニ(Vo)やドニー・スティール(G)で構成されていた。

11月28日、ジョーイ・ジョーディソンに声をかけ、ペール・ワンズに誘った。興味をそそられたジョーイは、アンダース・コルセフニの地下室でのリハーサルに参加し、すぐにこの新しいバンドの一員になりたいと思った。こうしてジョーイ・ジョーディソン(Ds)と、もう一人ジョシュ・ブレイナード(G)が加入。メンバーは6人となった。最終的な9人のメンバーのうち、ジョーイはバンドに参加した3番目のメンバーとなった。

12月4日、初めての有料ライブを開催した。

同年末、“Slipknot”を作曲し、ジョーイの提案でこの曲名がバンド名「Slipknot」(スリップノット)となる。初期の楽曲制作は、ほとんどをジョーイとポールがメインで作り、それを他メンバーで編曲させる形式を取っていた。なお、バンドロゴ(「S」のアート)はジョーイが担当した。また、スリップノットでは各メンバーには番号が付けられているが、ジョーイには「#1」が割り当てられた。


1996年2月、ドニーが脱退。その代役として、クレイグ・ジョーンズ(G)が加入した。しかしアルバム制作の過程で、バンドはサンプリングの専任が必要だと気づき、クレイグがサンプラーとなり、代わりにミック・トムソン(G)が加入する。
10月31日、自主制作アルバム『Mate. Feed. Kill. Repeat.』を発表。

 

このアルバムの楽曲は一部のラジオ局などで放送されたものの、大手レーベルの関心を取り付けるには至らず、バンドは新たな作品の制作に取り掛かる。

この頃にバンドは、よりメロディアスな歌唱力をもつヴォーカルの必要性を痛感し、結果としてデモインで活動していたバンド「ストーン・サワー」のコリィ・テイラーが新たにヴォーカリストとして加入し、アンダースはパーカッションに移る。

バンドを強烈に印象付ける特徴的なマスクは、コリィ・テイラーの提案だったという。その着想は、映画『ハロウィン』の殺人鬼ブギーマンにヒントを得たという。ジョーイ・ジョーディソンは一貫して、白塗り/コープス・メイクをイメージしたマスクを着用している。



1997年9月、アンダースが脱退。パーカッションの代役として、グレッグ・ウェルツが加入。


1998年初頭、バンドはデモ音源を送った大手レーベルから大きな関心を引き寄せることに成功。新たなアルバムの制作を前にプロデューサーとしてロス・ロビンソンが招かれ、地元デモインでリハーサルが始まる。この直後に、バンドがその演奏技術に感動したことで、ディスクジョッキーとしてシド・ウィルソンが9人目のメンバーとしてバンドに参加する。
その後、ロードランナー・レコードより50万ドルでのデビューアルバムの制作を提案され、バンドは6月8日に契約。この2日後にグレッグが脱退。


1999年、バンドはパーカッションの代役としてクリス・フェーンを迎え、デビューアルバムのレコーディングのためにカリフォルニア州マリブに移動する。
しかし、レコーディングの大半が完了した時期に、ジョシュが脱退し、バンドは一度デモインに戻る。レコーディングを遂行する為のギターリストとして、急遽ストーンサワーからジム・ルートがバンドに参加する。

6月29日、1stアルバム『Slipknot』を発表、全米51位・全英37位に達した。米国(RIAA)でダブル・プラチナ、英国(BPI)でプラチナ認定を受けたのをはじめ、この系統のジャンルでは記録的なセールスを樹立、デビューと同時に本国アメリカのみならず、日本においても爆発的な人気を獲得し、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーン、リンプ・ビズキット、マリリン・マンソンらに並ぶビッグネームにのし上がった。本アルバムからのシングルは、"Wait and Bleed"が『ビルボード』誌「メインストリームロックチャート」34位・全英27位・英国ロック1位でRIAAプラチナ、"Spit It Out"が全英28位・英国ロック1位となった。

 

 



2000年2月、初来日公演を行う。


2001年8月28日、2ndアルバム『Iowa』を発表。全米3位・全英1位、RIAAとBPIでともにプラチナ認定を受ける。"Left Behind"がメインストリーム30位・全英24位・英国ロック5位に到達した。

 

 

2002年にかけて「Iowa World Tour」と題された、バンド初のワールド・ツアーを果たす。この辺りからメンバー間の軋轢が表面化し、解散の噂も立ち起こった。

 

 

2002年に、ジョーイ・ジョーディソンは彼のバンド「リジェクト」を復活させ、名前を「マーダードールズ」(Murderdolls)に変更した。ジョーイは自身のサイドプロジェクトであるマーダードールズではギターを担当した。

同年、マーダードールズはロードランナーレコードと契約。『暴力を続ける権利』というタイトルのEPをリリースした。

8月、デビューアルバム『Beyond the Valley of the Murderdolls』をリリース、『13日の金曜日』や『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』などのホラー映画からインスピレーションを受けた歌詞を歌っている。全米102位・全英40位。"Dead in Hollywood"が全英54位、"White Wedding"が全英24位になった。

 

 

 

10月30日、マーダードールズはドーソンズクリークのエピソード「Living Dead Girl」に出演した。



2004年、3rdアルバム「Vol. 3: (The Subliminal Verses)」を発表。全米2位・全英5位、RIAAとBPIでプラチナ認定。"Duality"が『ビルボード』誌「オルタナティブロックチャート」6位・エクストリーム5位・全英15位・英国ロック1位、"Vermilion"がオルタナ17位・エクストリーム14位・全英31位・英国ロック2位、"Before I Forget"がオルタナ32位・エクストリーム11位・全英35位・英国ロック3位に達した。

 

 

 

 

2005年にかけて「The Subliminal Verses World Tour」と題されたワールドツアーを果たす。この時には以前見られた不和は解消されている。


2006年、第48回グラミー賞にて、シングル“Before I Forget”が「Best Metal Performance」賞を受賞。

その後一時的に活動を停止、各々サイドプロジェクトなどに勤しんだ。


2008年8月26日、4thアルバム『All Hope Is Gone』を発表。全米1位・全英2位に達し、RIAAプラチナ、BPIゴールドを獲得した。本作からは、"Psychosocial"がオルタナ20位・エクストリーム7位・全英67位・英国ロック17位、"Dead Memories"がオルタナ19位・エクストリーム3位・英国ロック37位、"Snuff"がオルタナ12位・エクストリーム2位になった。

 

 

 

 

8月、ジョーイは足首を骨折し、スリップノットは英国ツアーの日程の一部キャンセルを余儀なくされた。

 

 

2009年8月22日、ジョーイ・ジョーディソンは、グラスコンサートでワシントンのKISWのオーバーンの舞台に立つも1時間も経たないうちに虫垂炎の痛みに耐えかね緊急治療室に運ばれた。その結果、スリップノットはジョーイが回復するまで、8月と9月のショーの予定をキャンセルした。



2010年5月24日、ポールが急逝。急遽会見が開かれた。ちなみに会見は、全メンバーがマスクを外した姿で行われた。

同年、マーダードールが再始動、ジョーイ・ジョーディソンとウェンズデイ13だけが元のラインナップから残った。

8月31日、マーダードールの2ndアルバム『Women&Children Last』をリリース、全米43位・全英33位に達し、"My Dark Place Alone"などがカットされた。バンドは、ガンズ・アンド・ローゼズなどの多くの注目すべきアクトと一緒にショーを行い、ワールドツアーに乗り出した。しかしツアーは、多くのショーのキャンセルや、特にフランスのボルドー(極端な耳鳴りに起因)と西オーストラリアのパースでのジョーディソンのステージ外での繰り返しの事件を含む多くの問題に悩まされていた。

 

 

ツアーは2011年4月24日に終了した。



2011年、スリップノットはスペインの「Sonisphere Festival」に出演。ポールの代役として、元ギタリストのドニー・スティールが一時的に加入した。


2012年8月、自ら主催の「ノットフェス」を開催。

 


2013年3月のインタビューでウエンズデイ13の脱退が確認されたため、マーダードールは実質的に解散した。

4月、ジョーイ・ジョーディソン、ジェド・サイモン、クリス・ノリスをフィーチャーした新しいバンドの詳細が明らかになった。ジョーイがこのプロジェクトでほとんどの楽器を演奏し、クリス・ヴレナがキーボード、さらに未知のヴォーカリストを迎えることを除いて、他にはほとんどリリースされなかった。

6月21日、バンドは「Scar the Martyr」と命名され、ヴォーカリストは「Henry Derek」と名付けられた。

10月1日、1stアルバム『Scar the Martyr」をリリース。

 

 

12月12日、スリップノットは公式ウェブサイトを通じて、ジョーイ・ジョーディソンがバンドを去ったことを発表した。彼の離脱には個人的な理由を挙げた。それに応えて、ジョーイ・ジョーディソンは彼が実際にバンドから解雇されたと主張する声明を発表し、スリップノットは自身にとって「過去18年間私の人生であり、私はそれや私のファンを決して捨てないだろう」と述べた。

 

 

2016年5月5日、ジョーイ・ジョーディソンは「Scar the Martyr」の解散を発表した。

合わせてジョーイはシリウスXMのインタビューで、「ヴィミック」(Vimic)という新バンドを立ち上げたと発表した。

5月20日、ジョーイ・ジョーディソンは、新しいエクストリーム・メタルバンド「Sinsaenum」を発表した。バンドには、ドラムのジョーイ・ジョーディソン、ギターのドラゴンフォースのベーシスト、フレデリク・ルクレール、ギターのラウドブラストのステファン・ブリエズ、ベースのバンド・セスのハイモスも含まれていた。

6月、ジョーイ・ジョーディソンは、2013年の脱退以後、スリップノットを離れた理由について沈黙を守っていたが、横断性脊髄炎に苦しんでいることを明らかにした。

7月29日、Sinsaenumはデビューアルバム『Echoesofthe Tortured』のリリース予定を発表し、earMUSICのYouTubeチャンネルで最初のシングル“Army Of Chaos”をリリースした。

 

 

 

2018年のウォールオブサウンドとのインタビューで、ジョーイはヴィミックは「まだ100%アクティブ」であると説明した。

8月10日、Sinsaenumの2ndアルバム『リパルション・フォー・ヒューマニティ』(Repulsion for Humanity )がリリースされた。

 

 

 

2021年7月28日、ジョーイ・ジョーディソンが睡眠中に亡くなったと報道された。享年46。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Joey Jordison」「スリップノット」「Slipknot (band)」「Murderdolls」「Scar the Martyr」「Sinsaenum」