ドリス・デイ(Doris Day/本名:Doris Mary Ann Kappelhoff/1922年4月3日~2019年5月13日)は、

アメリカ合衆国の女優・歌手。

 

 

 

1922年4月3日、ドリス・メアリー・アン・フォン・カッペルホフは、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティで、主婦のアルマ・ソフィア(旧姓ウェルツ; 1895–1976)と音楽教師で合唱指揮者でもあったウィリアム・ジョセフ・カッペルホフ(1892–1967)の間に3人兄弟の末っ子として生まれた。両親は二人ともドイツ系だった。彼女には2人の兄がおり、リチャードはドリスが生まれる前に亡くなり、もう一人の兄ポールは2〜3歳年上だった。ドリスの名はサイレント映画女優のドリス・ケニヨン(Doris Kenyon)から名付けられた。

 

幼い頃から歌や踊りが好きで、バレリーナを目指していた。

10歳の時、父の浮気が原因で両親が離婚。

15歳の時、列車事故に遭い、激しい踊りができなくなり、バレリーナになる夢を断念。しかし歌の練習は続けた。

怪我の療養中に歌のレッスンを受けていた8か月間、カッペルホフは、WLWラジオ番組『Carlin's Carnival』と地元のレストラン「Charlie Yee's Shanghai Inn」で、プロ歌手としての初仕事をした。

 

ラジオで演奏中、女性ヴォーカリストを探していたバーニー・ラップ(Barney Rapp)の耳に止まったカッペルホフは、彼のオーディションを受け、約200人の中から選ばれた。

 

1939年、カッペルホフという名が長すぎると考えたラップは、彼女が歌った“デイ・アフター・デイ”(Day After Day)が良かったことから、「デイ」(Day)をステージ・ネームとして提案、彼女もそれに同意した。

ラップとの仕事の後、デイはバンドリーダーのジミー・ジェームス、ボブ・クロスビー、レス・ブラウンと仕事をした。

 

 

18歳の時、ジャズバンドのレス・ブラウン楽団(Les Brown Band)に専属歌手として参加する。

バンドメンバーのアル・ジョーダンと結婚し、息子テリーを出産。テリーは後にレコード・プロデューサーとなる。

 

1942年、20歳の時に離婚。

 

1945年、バンドのリーダーだったレスター・ブラウンの提供した“センチメンタル・ジャーニー”(Sentimental Journey) を歌い、全米1位の大ヒットになる。

 

同年、同じく全米1位になった"My Dreams Are Getting Better All the Time"をはじめ、10位になった"'Tain't Me"、全米3位になった"Till the End of Time"と、ブラウンの曲を歌ってトップ10ヒットを連発した。

 

 

 


1946年、"You Won't Be Satisfied (Until You Break My Heart)"が全米4位、"I Got the Sun in the Mornin' (and the Moon at Night)"が全米10位、"The Whole World Is Singing My Song"が全米6位とブラウンの曲でトップ10ヒットを3曲放った。

 

 

 

同年、24歳の時に2度目の結婚をするも、わずか8ヶ月で破局。

離婚直後にワーナー・ブラザースのオーディションを受け、同社と契約。ブラウンの元を離れ、ソロ・シンガーとして独立した。

 

 

1948年、ミュージカル・ロマンティック・コメディ映画『洋上のロマンス』 (Romance on the High Seas)で主役「ジョージア・ギャレット」役を演じ、映画デビューする。映画からは、"It's Magic"が全米2位、"Put 'em in a Box, Tie 'em with a Ribbon, and Throw 'em in the Deep Blue Sea"が全米27位になった。

 

 

同年、 Buddy Clarkとデュエットした"Love Somebody"が全米1位、"Confess"が全米16位になった他、"My Darling, My Darling"が全米7位とヒットを飛ばした。

 

 

 

 

1949年、映画『情熱の狂想曲』などに出演。

同年、"Again"をカヴァーし、全米2位に送り込んだ。

 

この年、1stソロ・アルバム『You're My Thrill』をリリースした。

 

 

1950年、デイが初めてトップに名を連ねて、、同名の主題歌もヒットした主演映画『二人でお茶を』(Tea for Two)など3本に出演。

 

また、"Bewitched, Bothered and Bewildered"が全米9位になった。

 

 

1951年には5本も出演するほどのど売れっ子女優になり、歌でも"Would I Love You (Love You, Love You)"が全米10位、"Shanghai"が全米7位になった。

 

 

同年、エージェントだったマーティン・メルチャーと再婚。

 

 

1952年、"A Guy Is a Guy"が久しぶりに全米1位になったのをはじめ、"Sugarbush"が全米7位・全英8位、"My Love and Devotion"が全英10位になるなど、歌手としての存在感も示した。

 

 

 

 

1953年、西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』(Calamity Jane)の大ヒットで人気を不動のものとした。

同年、"Mister Tap Toe"が全米10位、"Let's Walk That-a-Way"が全英4位になった。

 

 


1954年、『ヤング・アット・ハート』(Young at Heart)に「ローリー・タトル」役で出演。

同年、"Secret Love"が全米1位・全英1位になった他、"The Black Hills of Dakota"が全英7位、"If I Give My Heart to You"が全米3位・全英4位、"Ready, Willing, and Able"が全英7位と国内外でヒットを放った。

 

 

 


 

1955年、歌手「ルース・エッティング」の半生を描いた映画『情欲の悪魔』(Love Me or Leave Me)で主演、第28回アカデミー賞(1956年)で原案賞を受賞した他、男優賞(ジェームズ・キャグニー)、脚色賞、作曲賞、音響録音賞、主題歌賞にノミネートされた。

"Love Me Or Leave Me"は全英20位になった。

 

 

1956年公開のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』(The Man Who Knew Too Much)の劇中で歌った主題歌“ケ・セラ・セラ”(Que Sera, Sera)が全米2位・全英1位と大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。「Que Será, Será」(Que Sera, Sera)はスペイン語だとされ、「なるようになる」(Whatever will be, will be)という意味。

 

同年、アルバム『デイ・バイ・デイ』(Day By Day)をリリース。

 

 

 

1957年、アルバム『デイ・バイ・ナイト』(Day by Night)をリリース。

 

 

 

1958年、"Everybody Loves a Lover"が全米6位・全英25位になった。

 

 

1959年の『夜を楽しく』(Pillow Talk)では、アカデミー主演女優賞とゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)でノミネートされた。

 

 

1964年、映画『女房は生きていた』(Move Over, Darling)に主演、全英8位になった主題歌"Move Over Darling"は、作詞・作曲がジョー・ルービン (Joe Lubin)、ハル・カンター(Hal Kanter)と、デイの第一子テリー・メルチャー(Terry Melcher)の共作。同曲はまた、1983年にトレイシー・ウルマンにカヴァーされ、奇しくもデイと同じ全英8位を記録した。

 

 

1967年、"Sorry"が『ビルボード』誌の「アダルト・コンテンポラリー」チャートで19位に達した。

 


1968年、夫が亡くなり映画界を引退、活躍の場をテレビに移し『ドリス・デイ・ショー』(1968年-1973年)を中心に活躍することになる。『ドリス・デイ・ショー』のオープニングでは、“ケ・セラ・セラ”の再レコーディング・バージョンが使われた。

 

 

1976年に4度目の結婚をするが、1981年には離婚。

 

その後は動物愛護に力を注ぎ、カリフォルニア州のカーメルに設立した「Doris Day Animal League」で、家庭内ペットの世話の方法などを指導していた。

 

 

1994年、アルバム『The Love Album』をリリース。シド・フェラーがオーケストラ・アレンジと指揮を執り、1967年にレコーディングを行ったものの長らく未発表だった作品をまとめたもの。2006年にボーナストラックを加えてCDで再発された。

 

 

 

2011年、アルバム『My Heart』をSonyからリリース。

 

 


2019年5月13日、ドリス・デイは肺炎のためカリフォルニア州の自宅で死去した。97歳没。

彼女の死はドリス・デイ動物財団によって公表された。デイの希望により、葬儀は行わず、墓標その他の公の記念碑は建立しないことが財団により発表された。

 

 

 

 

ドリス・デイのベスト・アルバムはいくつも発売されているが、“ケ・セラ・セラ”や“センチメンタル・ジャーニー”、“二人でお茶を”など代表的な14曲を収録したこれが一番コスパが良さそう。

 

 

もう少しお金を出してもいい、もっとドリス・デイの歌をたくさん聴きたい、という向きには、これ。

1949年のソロ・デビュー作『You're My Thrill』から1962年の『You'll Never Walk Alone』まで、オリジナル・アルバム(LP)22枚分に加え、“ケ・セラ・セラ”などのヒット曲16曲を網羅。著作権が切れたからなのか、BOXレベルのCD10枚組セットが、なんとこのお値段。聴き応え有り有り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ドリス・デイ」「Doris Day」