スティーヴ・ハリス(Steve Harris/本名:Stephen Percy Harris/1956年3月12日~)は、イングランド出身のミュージシャン。HMバンド「アイアン・メイデン」のベーシスト兼リーダー。

 

 

 

1956年3月12日、スティーブン・パーシー・ハリスは、当時はエセックスの一部であったレイトンストーンにあるホイップスクロス大学病院で生まれた。

ハリスは小さい頃からフットボール(サッカー)のプロ選手を目指して育った。ウォーリー・セント・ピアにスカウトされた彼は、ロンドン東部をホームとする名門クラブであるウェストハム・ユナイテッドの練習に参加する程将来を有望視されていた。

だが、10代前半にロック音楽に興味を持った後、彼はもはやプロとしてサッカーをしたくないことに気づいた。特に、彼はビートルズの影響を強く受けた。

ハリスはレイトン男子高校(現:レイトンシックスフォームカレッジ)に通い、そこで建築を学んだ。

 

17歳の時、フェンダーのプレジョン・ベースのコピーモデルを約40ポンドで手に入れ、独学でベースを学び始める。当初はドラムを演奏したかったのだが、自宅にドラムセットを置く場所がないため、ベースにしたという。後にフェンダーのプレシジョン・ベースを強烈に指弾きする独自のプレイスタイルを確立、メタル専門誌 『BURRN! 』のベスト・ベーシスト部門のチャンピオンに何度も輝くなど、ビリー・シーンと人気を二分する存在となる。

なお、最初のバンドは「ジプシーズ・キッス」(結成時のバンド名はインフルエンス)だった。その後、「スマイラー」に参加し、年上のメンバーに囲まれて音楽的センスを磨いていく。

 

1975年、自作曲の演奏を望み始たハリスは、これを実現するために自らのバンド「アイアン・メイデン」(Iron Maiden)をロンドンで結成。バンド名は、中世ヨーロッパの拷問器具「鉄の処女」(Iron Maiden)に由来する。

 

1978年、結成当初はリーダーのスティーヴ・ハリス (B)を除いて頻繁にメンバーチェンジを繰り返していたが、ポール・ディアノ (Vo) 、デイヴ・マーレイ (G) 、ドウグ・サンプソン (Dr) が加入することでラインナップが安定。このメンバーで、最初のデモテープを録音する。


1979年、二人目のギタリストとしてトニー・パーソンズを迎える。

12月、メジャーレーベルEMIと契約する。メジャー契約後すぐに、健康上の理由でドウグが脱退し、トニーも同時に脱退するも、クライヴ・バー (Dr) 、デニス・ストラットン (G) が加入する。
 

 

1980年2月8日、1stシングル“ランニング・フリー”(Running Free)をリリースしてデビュー。全英34位に達した。

 

4月14日、1stアルバム『鋼鉄の処女』(Iron Maiden)をリリース。全英4位。

 

5月23日、アルバムから"Sanctuary"をリカット、全英29位を記録。

 

その後、デニスに代わりエイドリアン・スミス (G) が加入。

1980年代初頭にイギリスで発生したヘヴィメタルの潮流「NWOBHM」(New Wave Of British Heavy Metal)の代表格として、ブームの一翼を担い地位を確立。

 

 

1981年2月2日、2ndアルバム『キラーズ』(Killers)発表、全英12位・全英78位。"Twilight Zone"が全英31位になった。

 

その後、ポール・ディアノが脱退、後任にHR/HMバンド「サムソン」(Samson)で活動していたブルース・ディッキンソン(Vo)を迎える。

 

 

1982年3月22日、ブルースが加入して初となる3rdアルバム『魔力の刻印』(The Number Of The Beast)をリリース、全英初の1位を獲得し、アメリカでも33位にチャートイン、30万枚を超える売上を果たす。アルバムからは、全英7位になった“誇り高き戦い”(Run To The Hills)、全英18位になったタイトルトラック"The Number of the Beast"がともに英国でシルバーディスクを獲得した。

 

 

 

アルバム発表後にクライヴ・バーが脱退し、ニコ・マクブレイン(Dr) が加入。
 

 

1983年5月16日、4thアルバム『頭脳改革』(Piece Of Mind)をリリース。全英3位・全米14位。アルバムからは"Flight of Icarus"が全英11位、“明日なき戦い”(The Trooper)が全英12位に達してシルバーディスクを獲得した。

 

 

 

 

1984年9月3日、5thアルバム『パワー・スレイヴ』(PowerSlave)をリリースし、全英2位・全米12位を記録。世界的なメタルバンドとして名を馳せることとなる。本作からのシングルは、"2 Minutes to Midnight"が全英11位、"Aces High"が全英20位になった。

 

 

 

1985年10月14日、バンド初のライヴアルバム『死霊復活』(Live After Death)をリリース。全英2位・全米19位。

 

 

1986年9月29日、6thアルバム『サムホエア・イン・タイム』(Somewhere In Time)リリース、全英2位・全米11位。アルバムからは、"Wasted Years"が全英18位、"Stranger in a Strange Land"が全英22位に達した。

 

 

 

1988年4月11日、7thアルバム『第七の予言』(Seventh Son Of A Seventh Son)リリース、“キャン・アイ・プレイ・ウィズ・マッドネス”(Can I Play with Madness)が全英3位、“ジ・イーヴル・ザット・メン・ドゥ”(The Evil That Men Do)が全英5位、“透視能力者”(The Clairvoyant)が全英6位などシングルヒットを輩出した。アルバムも全英1位・全米12位と大ヒットした。

 

 

 

 

同年、イギリス・ドニントンで行われた『モンスターズ・オブ・ロック』にメイン・アクトとして出演。
 

 

1990年、エイドリアン・スミスが脱退、後任にイアン・ギランやブルース・ディッキンソン等と活動していたヤニック・ガーズ(G)が加入。

10月1日、8thアルバム『ノー・プレイヤー・フォー・ザ・ダイイング』(No Prayer For The Dying)をリリース、全英2位・全米17位。アルバムからのシングル"Holy Smoke"が全英3位になった。

 

 

1991年、8thアルバムからのリカットシングル“ブリング・ユア・ドーター・トゥ・ザ・スローター”(Bring Your Daughter... to the Slaughter)が初の全英チャート1位の大ヒットとなった。


 

1992年5月11日、9thアルバム『フィア・オブ・ザ・ダーク』(Fear Of The Dark)をリリース、全英1位・全米12位。アルバムからは、"Be Quick or Be Dead"が全英2位になった他、"From Here to Eternity"が全英21位に達した。

 

 

 

同年、ドニントンでのモンスターズ・オブ・ロックに再びメイン・アクトとして出演。

 

 

1993年、音楽的な衝突によりブルース・ディッキンソンが脱退、後任としてブレイズ・ベイリー(Vo)が加入した。


 

1995年10月2日、10thアルバム『X ファクター』(The X Factor)をリリース。制作当時はハリスがプログレッシヴ・ロックに傾倒していた影響で、複雑な展開や長尺でドラマチックさを強調した楽曲が多い。本国ではトップ10入りとなる全英8位に達したが、アメリカでは147位と惨敗した。本作からのシングルは、"Man on the Edge"が全英10位に達した。

 

 

1998年3月23日、11thアルバム『ヴァーチャル・イレヴン』(Virtual XI)をリリース。全英16位・全米124位。ここからシングル"The Angel and the Gambler"が全英18位になった。

 

その後、ヘヴィメタル停滞という時代の流れなどにより、バンドの活動はスケールダウンした。

 

 

1999年、ソロ活動に行き詰まっていたブルース・ディッキンソン、エイドリアン・スミスにオファーをし、再加入。それに従ってブレイズ・ベイリーが脱退、マネジメントはサンクチュアリで残った。これにより、バンドはトリプル・ギターの全6人編成になる。

 

 

2000年5月8日、新生アイアン・メイデンとしての先行シングル"The Wicker Man"をリリース、全英9位のヒットとなる。

 

5月29日、12thアルバム『ブレイヴ・ニュー・ワールド』(Brave New World)をリリース、全英7位・全米39位。アルバムからは他に、"Out of the Silent Planet"が全英20位になった。

 

 

2003年9月8日、13thアルバム『死の舞踏』(Dance Of Death)をリリース。日本ではその他の国に先駆け同年9月2日に発売された。全英2位・全米18位。シングルは、"Wildest Dreams"が全英6位、"Rainmaker"が全英13位になった。

 

 

 

2006年8月25日、14thアルバム『ア・マター・オブ・ライフ・アンド・デス〜戦記』(A Matter Of Life And Death)をリリース。全英4位・全米9位。アルバムからのシングルは、"Different World"が全英3位を記録した。

 

 

2008年2月、パシフィコ横浜、幕張メッセで来日公演を開催、初期〜中期の曲を中心に演奏した。幕張メッセでのライヴは、バンドにとって日本では初のオールスタンディングライヴとなった。なお、スティーヴの長女ローレン・ハリスはロック歌手で、既にレコード・デビューも決まっており、バンドのワールドツアーにサポート・アクトとして同行、来日を果たしている。

 

 

2010年6月8日、バンドのアルバムからの先行シングル“El Dorado”リリース。

 

8月13日、15thアルバム『ファイナル・フロンティア』(The Final Frontier)をリリース。本国イギリスを含む世界28ヶ国で第1位を獲得、全米でも4位にチャートインした。

 

 

2011年3月12・13日、さいたまスーパーアリーナでの来日公演が予定されていたが、東日本大震災の影響により中止となった。

 


2012年、スティーヴ・ハリスはソロ・プロジェクト「Steve Harris' British Lion」を始動。

9月24日、Steve Harris' British Lionとして初のアルバム『英吉利の獅子』(原題"British Lion")をスティーヴのセルフ・プロデュースでリリース、チャート動向は全英39位・全米138位だった。

 

 

 

2015年8月14日、先行シングル"Speed of Light"リリース。

 

9月4日、5年ぶり2枚組の16thアルバム『魂の書〜ザ・ブック・オブ・ソウルズ〜』(The Book of Souls)を世界同時リリース。2連続での全英1位・全米4位に達し、日本ではオリコンの洋楽チャートとデイリーチャートで1位を記録した。

 

 

2016年4月16日、『魂の書』から2枚目のシングル"Empire of the Clouds"をリカット。

 

4月20・21日、東京両国国技館にて、2008年以来8年ぶりの来日公演開催が実現。オープニングアクトには、スティーヴの息子ジョージ・ハリスが在籍するバンド「THE RAVEN AGE」が出演した。

同年、日本の音響メーカー「ONKYO」とスティーヴが共同開発したモニターヘッドフォン「ED-PH0N3S(エド・フォンズ)」が発売された。

 


2018年、久しく疎遠だった楽曲のプレイを主体とするワールドツアー「Legacy Of The Beast」を開催。古くからのファンを大いに沸かせた。

 

 

2020年1月17日、British Lion名義で2ndアルバム『The Burning』をリリース。

 


2021年9月3日、日本の侍をモチーフにした6年ぶり2枚組の17thアルバム『戦術』(Senjutsu)を発表。本国イギリスでは2位、全米チャートでは歴代最高位となる3位を記録した。"The Writing on the Wall"がメインストリームロックチャートに入った。

 

 


21世紀も精力的に活動中である。メンバーチェンジの多いバンドとしても知られるが、ブルースとエイドリアンの復帰以降は10年以上同じメンバーで安定している。現在のメンバー構成での活動期間が、トータルでも連続でもアイアン・メイデン史上最も長い。



 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「スティーヴ・ハリス」「Steve Harris」「アイアン・メイデン」「Iron Maiden」

 

 

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