ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(James Dean Bradfield/1969年2月21日~)は、

英国ウェールズ出身のミュージシャン、シンガーソングライター。英国のロックバンド「マニック・ストリート・プリーチャーズ」のヴォーカリスト、ギタリストとして有名。

 

 

 

1969年、ウェールズの地方都市ポンティプール(Pontypool)に生まれる。ジェームスの従兄弟であり将来のバンドメイトであるショーン・ムーアの両親は離婚しており、ジェームスとショーンは幼い頃から同じ家で暮らし、二段ベッドを共有していた。

少年時代よりジェームスは陸上競技を始め、障害走の選手として活躍した。

10代前半からパンク・ロックに熱中、ザ・クラッシュが好きになり、ELOに影響を受けた。

その後、将来のバンドメイトであるニッキー・ワイアー、リッチー・エドワーズと仲良くなり、ショーンも交えた4人は好きな音楽について語り合うなど一緒につるむようになる。

 

1986年、ジェームスを中心に「マニック・ストリート・プリーチャーズ」(Manic Street Preachers)を自身が通っていたオークデール総合学校で結成。最初のラインナップは、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(リードG)、フリッカー(B)、ショーン・ムーア(Ds)、ニッキー・ワイヤー(リズムG)で結成された。短い間Jenny Watkins-Isnardiがシンガーとして参加していたが、彼女がバンドを辞めた後、ジェームスがシンガーとなった。

1988年、フリッカーがバンドを辞め3人になり、ニッキーはリズムギターからベースに転向。

最初のシングル“スーサイド・アレイ”(Suicide Alley)を自主制作で録音した。

 

その後間もなくリッチーが正式に加入。これによりラインナップは、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(Vo,G)、リッチー・エドワーズ(Richey Edwards/G)、ニッキー・ワイヤー(Nicky Wire/B)、ショーン・ムーア(Sean Anthony Moore/Ds,Perc)の4人となった。

 

1990年、彼らはパンクレーベル「Damaged Goods Records」と1枚のEPの契約を交わし、4曲入りのEP『ニュー・アート・ライオット』(New Art Riot E.P.)を6月22日に発表。

 

さらに「Hall Or Nothing」のマネージメントにより「Heavenly Records」と契約を結び、1991年1月21日にシングル“モータウン・ジャンク”(Motown Junk)を発表、全英94位になる。

 

同時に「30曲入りの2枚組のデビューアルバムを発表し、世界中でナンバーワンにした後、解散する」といった内容の解散宣言をする。
5月7日、次のシングル“ユー・ラブ・アス”(You Love Us[Heavenly version])を発表。

 

この頃、彼らの大げさな宣伝に軽蔑した態度をとった『NME』誌のインタビュアー(Steve Lamacq)に対してマニックスが本物であることを証明するために「4 REAL (本気だ)」とリッチーがカミソリの刃で自らの腕を切り刻み、17針の大怪我を負う。この事件は今では伝説となった。

その後まもなくレコードと契約を結び、1stアルバムの制作にとりかかった。

 

 

1992年2月10日、1枚組(レコードでは2枚組)のデビューアルバム『ジェネレーション・テロリスト』(Generation Terrorists)をコロムビアから発表。全英13位となったアルバムを引っ提げてバンドは世界中をツアーし、多くの国々で成功を収める。特に日本ではオリコン60位ながら、熱狂的なファンに迎えられた。アルバムから、シングル"Stay Beautiful"が全英40位、"Love's Sweet Exile"が全英26位、"You Love Us" (Re-recorded version)が全英16位、"Slash 'n' Burn"が全英20位、"Motorcycle Emptiness"が全英17位、"Little Baby Nothing"が全英29位を記録するヒットとなった。しかし、アメリカでは全く成功しなかった。

 

 

 

11月23日、オムニバスアルバム『Ruby Trax』に"Theme From M.A.S.H. (Suicide Is Painless)"で参加、同曲が全英7位になる。

 

その後、解散宣言を撤回。


1993年6月21日、2ndアルバム『ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル』(Gold Against the Soul)を発表。全英8位まで上昇した。アルバムからは、"From Despair to Where"が全英25位、"La Tristesse Durera (Scream to a Sigh)"が全英22位、"Roses in the Hospital"が全英15位に達した。



1994年8月30日、3rdアルバム『ホーリー・バイブル』(The Holy Bible)をエピックから発表。前作以上に彼らの批判精神を取り戻した本作は、全英6位に達した。アルバムからリカットした"Faster"が全英16位、"Revol"が全英22位、"She Is Suffering"が全英25位を記録した。

 

 

アルバム発表時、イギリスの音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演した際にジェームスがバラクラバ帽(目出し帽)を被り歌ったため視聴者が激怒、TV局にセックス・ピストルズの「ビル・グランディ事件」を超える程記録破りの抗議が殺到した。ビル・グランディ事件とは1976年12月1日、クイーンの代役で急遽テムズ・テレビの番組『Today』にピストルズが出演した際、番組司会者のビル・グランディとの短いやり取りの中で、バンドは繰り返し放送禁止用語を使用し大衆が激怒、それを受けてメディアからのバッシングも過熱した出来事のこと。

程なくしてリッチーが精神病を患い精神病院に入院、その後退院し一時はバンド活動に復帰するも、アメリカ・ツアー前夜の1995年2月1日、リッチーはジェームスと泊まっていたロンドンのベイズウォーターにあるエンバシー・ホテルから忽然と姿を消してしまう。

ギタリストであり作詞を担当していたリッチーは精神的支柱でもあり、彼が欠けたバンドは6ヶ月間活動を休止したが、リッチーの家族の願いもあり活動を再開した。

 

 

1996年5月20日、リッチーが行方不明になってからの最初のアルバム『エヴリシング・マスト・ゴー』(Everything Must Go)を発売、リッチーが単独または共同で書いた曲を収録し、全英2位を記録、バンド初のプラチナディスクを獲得し、レビューも概ね好意的だった。全英2位になったシングル“デザイン・フォー・ライフ”(A Design for Life)は労働者階級のアンセムとなり、日本の深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』でもUKシングルチャートNo.1を獲得した。アルバムは同年「マーキュリー賞」の最終選考リストに載り、タイトルトラック“エヴリシング・マスト・ゴー” (Everything Must Go)が全英5位、“オーストラリア”(Australia)が全英7位、“ケビン・カーター”(Kevin Carter)が全英9位になるなどヒット曲を生んだ。

 

 

 

 

 


1998年9月14日、5thアルバム『ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ』(This Is My Truth Tell Me Yours)を発売するとバンド最大の成功を収め、同アルバムで念願の全英1位を獲得。また、シングル“輝ける世代のために”(If You Tolerate This Your Children Will Be Next)」はバンドに初のナンバー1ヒットをもたらした。スペイン内戦について書かれた同曲は、ジョージ・オーウェルの“カタロニア賛歌”、ザ・クラッシュの“スペイン戦争”にインスパイアされて作られた。

アルバムからは他に"You Stole the Sun from My Heart"が全英5位、"The Everlasting" と "Tsunami" がともに全英11位になった。

 

 

 

 


2000年1月10日、シングル“ザ・マッシズ・アゲインスト・ザ・クラッシズ”(The Masses Against the Classes)を限定発表。これは19世紀の英国首相ウィリアム・グラッドストンの「All the world over, I will back the masses against the classes」の言葉から名付けられた。プロモーションをほとんどしなかったにも関わらず、全英1位を記録した。

 


2001年、カール・マルクス劇場でライヴを行い、キューバで初めて演奏した西側のロックバンドとなった。フィデル・カストロにライヴ前に面会した際、「大音量のライヴになる」と伝えたところ、カストロが「戦争よりも大音量にはならないだろう」と言われたことがきっかけで、ライヴDVDのタイトルには『Louder Than War』が選ばれた。ライヴにはカストロも訪れている。

3月19日、6thアルバム『ノウ・ユア・エネミー』(Know Your Enemy)を発表、全英2位を記録。アルバムからは、"So Why So Sad"が全英8位、"Found That Soul"が全英9位となった。

 

 

 

 

2002年10月28日、コンピレーション・アルバム『フォーエヴァー・ディレイド』(Forever Delayed)をリリース、全英4位。ここから"There by the Grace of God"がカットされ、全英6位になった。

 


2004年11月1日、7thアルバム『ライフブラッド』(Lifeblood)を発表。ニュー・ウェイヴに接近、アルバムは全英13位にとどまるも、シングル2曲、"The Love of Richard Nixon"と"Empty Souls"が全英2位を記録。

 

 

 

2005年から2年間、バンドは活動休止期間に入る。


2006年7月24日、ジェームスがソロアルバム『ザ・グレート・ウエスタン』(The Great Western)をリリースしてソロデビュー。全英22位。アルバムからリカットされた"That's No Way to Tell a Lie"が全英18位、"An English Gentleman"が全英31位を記録した。

 

 

 

同年、ニッキーもソロアルバム『アイ・キルド・ザ・ザイトガイスト』を発表した。


2007年5月7日、バンドの活動再開後、8thアルバム『センド・アウェイ・ザ・タイガーズ』(Send Away The Tigers)を発表、全英2位に達した。シングル“ユア・ラブ・アローン・イズ・ノット・イナフ”(Your Love Alone Is Not Enough)ではカーディガンズのヴォーカリスト、ニーナ・パーションとデュエットして全英2位になっている。また、"Autumnsong"が全英10位になった。

 

 

 

 

2008年11月23日、英国の裁判所がリッチーの死亡宣告を発した。だがメンバーとリッチーの家族はリッチーの死亡に関して一切否定している。リッチーは今でもメンバー扱いとなっており、彼の分の印税はリッチーの家族に等分されている。

 


2009年5月18日、9thアルバム『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』(Journal for Plague Lovers)を発表。全曲リッチーが残していた歌詞を元に制作し、ジャケットの絵は3rdアルバム『ホーリー・バイブル』と同じジェニー・サヴィルによるものであり、本作は『ホーリー・バイブル』の続編として位置づけられている。プロデューサーにニルヴァーナの『イン・ユーテロ』などを手がけたスティーブ・アルビニを起用している。イギリスの大手スーパーマーケットチェーンはアルバム・カヴァーの絵を問題視し、無地のスリップケースに入れた上で販売された。全英3位。

 


2010年9月20日、前作からわずか1年4か月で10thアルバム『ポストカーズ・フロム・ア・ヤングマン』(Postcards from a Young Man)を発表。ジャケットのビデオカメラを持つ人物は俳優のティム・ロス。全英3位を記録。"(It's Not War) Just the End of Love"が全英28位、"Some Kind of Nothingness"が全英44位、"Postcards from a Young Man"が全英54位に達した。

 

 


2011年10月31日、2枚組ベスト・アルバム『ナショナル・トレジャーズ』(National Treasures – The Complete Singles)を発表、全英10位を記録した。デラックスエディションにはMVを収録したDVDを付属。日本盤にはボーナストラック“ロックンロール・ジーニアス”(Rock'n Roll Genius)を収録。

 


2012年、リリース20周年を記念して1stアルバム『ジェネレーション・テロリスト』をリマスターしてリイシュー。初回限定盤にはドキュメンタリー映像やライヴ映像、MVを収録したDVDを付属。


2013年9月16日、前作から3年振りとなる11枚目のアルバム『リワインド・ザ・フィルム』(Rewind the Film)を発表。今までと異なるアコースティックなサウンドを展開した。全英4位。アルバムからのシングルは、"Show Me the Wonder"が全英77位、"Anthem for a Lost Cause"が全英200位になった。

 


2014年7月7日、前作から1年足らずで12thアルバム『フューチャロロジー』(Futurology)を発表、8thアルバム以来となる全英2位を記録した。"Walk Me to the Bridge"とタイトルトラック"Futurology"をリカットした。

 

 

 

2017年3月10日、2016年公開映画のサウンドトラック盤『The Chamber: Original Motion Picture Soundtrack』 を制作。

 

 

2018年4月13日、13thアルバム『Resistance Is Futile』を発売、全英2位。"International Blue"、 "Distant Colours"、"People Give In"がスコットランドでシングルチャートに入った。

 

 

 

 

 

2020年8月14日、3rdソロアルバム『Even in Exile』を発売、全英6位。

 

 

 

 

 

2021年9月10日、14thアルバム『The Ultra Vivid Lament』を発売、1998年の『ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ』以来23年ぶり2度目の全英1位を獲得した。本作からは"Orwellian"と "The Secret He Had Missed"がリカットされた。

 

 

 

 


活動の序盤で、いよいよこれからブレークという時に精神的な支柱を失ったバンドは一時解散も検討されたというが、3人体制となって活動を継続。立て続けに傑作アルバムを発表したことにより、90年代イギリスを代表するロックバンドとして認知されるようになった。一時的な休止期間はあったものの今日まで活動を続けており、近年、第二のピークとも言える盛り上がりを見せているマニックスの今後に期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド」「James Dean Bradfield」「マニック・ストリート・プリーチャーズ」「Manic Street Preachers」