セルジオ・メンデス(Sérgio Mendes/出生名:Sérgio Santos Mendes/1941年2月11日~)は、

ブラジル出身のミュージシャン。

 

 

 

1941年2月11日、セルジオ・サントス・メンデスは、ブラジル南部に位置するリオデジャネイロ州リオデジャネイロ市近郊のニテロイ(Niterói)で、医師の息子として生まれた。

幼少の頃からリオ市内の音楽学校でクラシック・ピアノを学ぶなど、恵まれた環境で音楽の基礎を身に着ける。しかし、その後はクラシックの道へと進まなかった。

 

1950年代に入り、ジャズへの関心が高まるにつれ、サンバにジャズを取り入れて派生したボサノヴァが登場した1950年代後半頃、彼はナイトクラブで演奏を始めた。そしてアントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos Jobim)やジョアン・ジルベルト(João Gilberto)の影響を受けボサノヴァに移行し、彼らを誘って国内外で活躍するようになる。

 

1961年、「ヴォサ・リオ・セクステット」を結成、アルバム『Dance Moderno』をPhilipsからリリースしてデビュー。

 

 

1962年11月21日、カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われ、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ等とともに出演。

 

 

1963年、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツ(Stan Getz)と共演したボサノヴァ・アルバム『ゲッツ/ジルベルト』がアメリカで大ヒット。特にジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った“イパネマの娘”(The Girl from Ipanema/ポルトガル語: Garota de Ipanema)が爆発的に売れ、アメリカの大衆に「ボサノヴァ」が浸透するきっかけとなった。

 

 

1964年、ブラジルで軍事クーデターが発生し、カステロ・ブランコによる軍事独裁政権が誕生すると、メンデスはアメリカに活動の場を移し、ジョビンやジルベルトとともに、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった世界的なボサノヴァ・ブームの推進役となった。



1966年、ビートルズの"All My Loving"をカヴァーしてシングルリリース。

同年、Sergio Mendes & Brasil '66名義で初のアルバム『Sergio Mendes & Brasil '66』をA&Mレーベルから発表、米誌『ビルボード』の総合アルバムチャート「US Billboard 200」(以下「全米」)7位、同誌「US Top Jazz Albums」(以下「ジャズ」)2位の大ヒットとなった。さらにボサロック調の収録曲“Mas Que Nada”(マシュ・ケ・ナダ)も全米47位・AC4位になるなどヒットし、日本を含む世界の多くの国で有名になった。原曲は1963年ジョルジ・ベンがブラジルでシングル発売した楽曲。「Mas Que Nada」とは当時のサンパウロのスラングで「まさか」「なんてこった」「やなこった」等の意。スペイン語の「Más Que Nada」(「最高」の意)とよく混同される。

 

 

同年、アルバムからはさらにビートルズのカヴァー"Day Tripper"をリカットした。

 

 

1967年、アルバム『 Equinox』をリリース。アルバムから"For Me"が全米98位・AC16位、"Night and Day"が全米82位・AC8位を記録した。

 

 

 

7月、アルバム『Look Around』をリリース。リカットされたタイトルトラック“Look Around”が全米4位・AC2位を記録する大ヒットとなった。"The Frog"は全米126位・AC21位に達した。

 

 

 

同年、続くアルバム『Fool on the Hill』からカットされた、ビートルズのカヴァーとなるタイトルトラック"The Fool on the Hill" が全米6位・AC1位、サイモン&ガーファンクルのカヴァー"Scarborough Fair"も全米16位・AC2位のヒットとなった。

 

 

 

 

1969、アルバム『Crystal Illusions』をリリース。"Pretty World"が全米62位・AC4位、マーヴィンゲイの名曲のカヴァー"(Sittin' On) The Dock of the Bay"が全米66位・AC12位のヒットになった。

 

 

 

1970年、アルバム『Stillness』をリリース、アルバムから"For What It's Worth"が全米101位・AC10位、"Chelsea Morning"がAC21位になった。

 

 

 

同年には、大阪万国博覧会のステージを務めるなど、来日公演の経験も多数ある。

 

 

1971年、バンド名を「Sergio Mendes & The New Brasil '77」に変更。



1973年、アルバム『Love Music』をBellからリリース、タイトルトラック“Love Music”が全米113位・AC24位、"Where Is the Love"がAC36位になった。

 

 

 

1977年、バンド名と同名アルバム『Sergio Mendes & The New Brasil '77』(セルジオ・メンデス&ザ・ニューブラジル’77)をリリース、スティービー・ワンダーやマイケル・センベロら豪華ゲストが参加。同年シングル発売した“ザ・リアル・シング”(The Real Thing)を採録しアルバムからリカット、AC50位に達し、クラブ系の定番ナンバーとなった。

 

 

1983年、アルバム『愛をもう一度』(原題:Sérgio Mendes)をリリース、“愛をもう一度”(Never Gonna Let You Go)をシングルカットすると全米4位・AC1位・全英45位まで上昇するカムバック・ヒットとなった。また、アルバムからは他に"Rainbow's End"全米52位・AC6位に達した。

 

 

 

 

1984年、アルバム『Confetti 』をA&Mからリリース、"Olympia"が全米58位・AC18位、"Alibis"が全米29位・AC5位、"Real Life"がAC17位になった。

 

 

 

 

1986年、アルバム『Brasil '86』をリリース、"Take This Love"をリカットしAC14位、"What Do We Mean to Each Other"がAC19位になった。

 

 

 

1993年、アルバム『Brasileiro』で、1992年度グラミー賞「最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞」を受賞。

 

 

 

2006年2月13日、アルバム『Timeless』をリリース、スティーヴィー・ワンダーやブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アム、ジル・スコットら別のジャンルの大御所とのコラボレーションを実現し、世界的なヒットで話題を呼んだ。

 

 

 

同年、来日公演を行う。

 

 

2008年、来日公演。

 

 

2009年、アルバム『Bom Tempo』をConcordからリリース、2010年に「Latin Grammy Awards」で「Best Brazilian Contemporary Pop Album」を受賞、2011年にはグラミー賞の「Best Contemporary World Music Album」にノミネートされた。

 

 

 

 

2015年、セルジオ・メンデスの“マシュ・ケ・ナダ”がトヨタ自動車のコンパクトミニバン「シエンタ」のCMソングに使用された。

 

 

2016年3月、福島復興支援コンサートに参加。

9月、改めて来日し、東京JAZZに出演している。

 

 

2020年、アルバム『In the Key of Joy』をConcordからリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「セルジオ・メンデス」