仲野 茂(なかの しげる/1960年1月2日~)は、日本のミュージシャン。

パンク・ロック・バンド「アナーキー」(亜無亜危異)のヴォーカリストとして知られる。

 

 

 

1978年、埼玉県和光市の団地育ちのメンバーを中心にパンクロック・バンド「ANARCHY」(アナーキー)を結成。バンド名の由来は、セックス・ピストルズの著名な楽曲“アナーキー・イン・ザ・UK”Anarchy in the U.K.)から命名された。ラインナップは、仲野茂(通称:シゲル/Vo)、逸見泰成(へんみ やすなり/通称:マリ/~2017年6月4日/G)、藤沼伸一(ふじぬま しんいち/通称:シンイチ/1959年11月7日~/G)、寺岡信芳(てらおか のぶよし/通称:テラオカ/1959年12月29日~/B)、小林高夫(こばやし たかお/通称:コバン/Ds)。辺見以外は東京都出身、また、5人のうち4人が埼玉県立和光高等学校、1人が埼玉県立浦和工業高校出身。

1979年、ヤマハ主催のアマチュア音楽コンテスト「EastWest」で優秀バンド賞および最優秀ボーカリスト賞を獲得。

 

1980年、シングル“ノット・サティスファイド”、アルバム『アナーキー』でビクターインビテーションよりメジャーデビューを果たす。『アナーキー』はオリジナル曲と、ザ・クラッシュ、チャック・ベリー、スティッフ・リトル・フィンガーズ、イーター等の曲に日本語のオリジナル歌詞を乗せたカヴァー曲を収録し、10万枚以上の売り上げを記録、一躍人気バンドとなる。

 

 

 

 

デビュー当時は全員国鉄の作業服(ナッパ服)を着用し、髪を逆立てたスタイルだった。ザ・クラッシュ、セックス・ピストルズのような性急なリズムと反抗的な歌詞の音楽は、当時の中高生を中心に人気を誇った。しかし、デビューアルバムに収録したザ・クラッシュ“ロンドンは燃えている!” (London's Burning) のカヴァー“東京イズバーニング”が、ザ・クラッシュの「王室批判」に准えて日本の皇室を揶揄する歌詞であったため、レコード会社が右翼系の政治団体から抗議を受け、回収措置を取るに至った。後にこの曲を削除して『アナーキー』は再発されている。

 

7月シングル“シティーサーファー/3・3・3”を発売。

 

同年、アルバム『80維新』を発売。

 

 

 

 

1981年、アルバム『亜無亜危異都市(アナーキーシティ)』を発売。

 

 

 

同年、アルバム『READY STEADY GO』を発売。

 

 

 

1982年、アルバム『ANARCHY LIVE』を発売。

同年、アルバム『ANARCHISM』を発売。

 

 

 

同年公開の石井聰亙(後の石井岳龍)監督によるSFアクション映画『爆裂都市 BURST CITY』に、自分たちではなく他のパンク・ロック・バンド「スターリン」が起用さたことに不満を募らせ、新宿ロフトで行われた映画の打ち上げに仲野と逸見が殴り込むまでに至った。

 

 

1983年、アルバム『REBEL YELL』を発売。

 

 

 

1984年、アルバム『デラシネ』を発売。

 

 

 

1985年、アルバム『BEAT UP GENERATION』を発売。

 


1986年、ギターのマリが元妻(PERSONZのJILL)を刺し逮捕されたため、バンドは「THE ROCK BAND」と改名し、活動を維持する。

同年、THE ROCK BAND名儀によるアルバム『アナーキー』を発売。 

同年、THE ROCK BANDのアルバム『四月の海賊たち』を発売。

 

 

1989年、ベストアルバム『亜無亜危異 Vol.1』、『アナーキー Vol.2』を発売。

 

 

1990年前後、メンバーのソロ活動が活発になるなどの事情により、活動休止状態になる。

 

 

1991年頃から仲野茂は、シーナ&ザ・ロケッツやRUBYにギター・キーボードで参加していた野島健太郎と一緒になって音楽活動を再開した。

 

 

1992年頃から、元サンハウスの奈良敏博(B)、小野島ナオト(Ds)を加えて、西新宿ロフトを中心に「仲野茂BAND」として音楽活動を本格化させた。シンプルかつ重厚でオーソドックスなロックですらある楽曲と仲野茂の歌唱力、そして仲野茂による歌詞の持つ魅力に惹かれるロックファンに支持を受け一二ヶ月に一回ほぼ定期的なライヴ活動を西新宿ロフトで展開しつづけ、観客動員も徐々に増えて行った。

 

 

1993年10月?にホーン隊を加えたアルバム『遠くで火事を見ていた』をバンドのプライベートレーベルであるドレッドノートレーベルからリリース、その後西新宿ロフトでの観客動員も爆発的に増えていった。

 

 

1995年2月、8cmシングル“大東亜のいびき”を日本晴レコードからリリース。正確な事情は不明だが、1stアルバムの表題曲“遠くで火事を見ていた”は1stではなく、このシングルに収録されている。“遠くで火事を見ていた”の原曲はザ・ロックバンドの末期に藤沼伸一によって作曲・仲野茂によって作詞され、ビクターから発売予定だった3rdアルバムに収録されるはずの曲であったが3rdアルバム自体が発売されずになってお蔵入りしていた曲であり、それがこの収録の遅延に影響しているようである。

 

 

5月、アルバム『窮鼠』を日本晴レコードよりリリース。当時起こり社会に多大な影響を及ぼした事件である阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などによる不安定な時勢を反映してか、前期アナーキーのような怒りや憤りよりも、後期アナーキーのような抽象さに時代へのリアルタイムな危機感と日本社会の衰退の始まりへの危機感を反映させた、メッセージ色が強い歌詞がより多くなった。  しかし、詞を書いていた仲野茂が「やっと、今まで恥ずかしくて書けなかったラブソングを書くことが出来た」(『DOLL』誌1995年6月?号での仲野茂インタビューより趣旨を引用)ためか、バンド自体の活動が停滞、1995年末頃にバンド自体が解散した。

 

 

1996年、仲野・藤沼・寺岡が、新メンバーとして当時WRENCH(レンチ)のドラムスだった名越藤丸を加えてアナーキーが活動を再開。逸見と小林は参加しなかった。名越はレンチと並行で活動していたが、2003年にレンチを脱退。当時人気のあったデジロック色を強めたバンドに生まれ変わった。

 

 

1997年、アルバム『ディンゴ』を発売。

 

同年、ベストアルバム『THE BLAST OF 亜無亜危異』を発売。 

 

 

1998年、ライヴアルバム『ANARCHY SYNDROME [LIVE]』を発売。 

 

 

1999年、アルバム『PARADOX』を発売。

 

 

2000年、アルバム『FREAKSNEGOTI』を発売。

 

 

2001年、アナーキーが再び活動休止となる。

 

 

2006年、アナーキー初のコンプリートCD-BOXとなるCD13枚+DVD3枚+BOOK1冊の『内祝』を発売。

 

 

11月10日、野島健太郎以外のもう一人のギターとしてシーナ&ザ・ロケッツの渡辺信之を迎え、ベースとドラムスはサポートメンバーという組合せで、事実上の「仲野茂BAND」再結成ライヴが高円寺のライヴハウス「Show Boat」で行われた。

 

 

2008年には太田達也監督によるドキュメンタリー映画『アナーキー』が全国各地で公開された。

 


2013年、オリジナルメンバーでアナーキーの新曲発表とライヴを行う。

 

 

2017年6月4日、アナーキーのオリジナルメンバー、マリこと逸見泰成(G)が死去。

7月2日、残された仲野らオリジナルメンバー4人でイベントライヴに出演。

 

 

2018年、オリジナルメンバー4人でアナーキー改め「亜無亜危異」名義で活動を再開。

 

 

2018年9月5日、亜無亜危異のアルバム『パンクロックの奴隷』(CD+DVD)を発売。

 

 

 

2020年1月2日、新宿LOFTにて、「仲野茂生誕60周年スペシャル」ライヴを実施、90年代に活動していた頃の「ANARCHY」が、仲野茂・藤沼伸一・寺岡信芳・名越藤丸のラインナップで一夜限りの復活を遂げる。この他、怒髪天、コバンセッション(仲野茂・内藤幸也・クモン・岡本雅彦・小林高夫)、OLEDICKFOGGY、画鋲、THE TOKYO、LTD EXHAUST LX(仲野茂・越川和磨・佐々木亮介・西田代洋海・茂木左)が出演した。

5月27日、亜無亜危異のアルバム『パンク修理』(CD+DVD)を発売。

 

 

 

2021年1月6日、2枚組DVD『NEW LI(F)VESTYLE?(ニューライブスタイル?)』を発売。

また、仲野はLTD EXHAUST Ⅱ(仲野茂Vo./越川和磨G/丸山康太G/西田代洋海B/茂木左D)としても活動している。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「アナーキー」「仲野茂BAND」