リチャード・クレイダーマン(Richard Clayderman/本名:Philippe Robert Louis Pagès/1953年12月28日~)は、フランスのピアニスト。

 

 

 

1953年12月28日、フィリップ・ロベール・ルイ・パジェスは、パリ郊外のロマンヴィル(Romainville)で生まれる。

幼少時よりアコーデオンの先生であった父親からピアノの手ほどきを受け、5歳で作曲を開始、学校の教科書よりも楽譜の方がよく読めたという。

6歳の時に流暢な指使いでピアノを弾き、聴衆を仰天させた。

12歳の時、パリ・コンセルヴァトワールに入学。これ以降、天才と呼ばれ、16歳でコンセルヴァトワールを首席で卒業する。

 

その後、最終的にポピュラー音楽の道を選び、初めはスタジオ・ミュージシャンや、ジョニー・アリディ、ティエリー・ル・ルロン、ミシェル・サルドゥーなどフランスの有名歌手のバック・オーケストラのピアニストを務めた。

フィリップの評判を聞きつけたプロデューサーからポール・ドゥ・センヌヴィル(Paul de Senneville)とオリヴィエ・トゥッサン(Olivier Toussaint)が行うオーディションの誘いを受ける。それは、音楽が過激に走っていく時代にあえてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴える新しいキャラクターによるピアニストを探しているというもので、芸名は「リチャード・クレイダーマン」(Richard Clayderman)、デビュー曲は“渚のアデリーヌ”(Ballade pour Adeline)と既に決まっていたという。そこで集まった約20人の中からピアノのテクニック、音楽性、そして容姿のいずれにおいて最も優れていたのがフィリップであった。

 

1976年、こうしてリチャード・クレイダーマンは、センヌヴィルが設立した新しいレコード会社「デルファン」から、“渚のアデリーヌ”でレコードデビューした。

 

デビューシングルは、フランスではそれほど注目されなかったが、その後、西ドイツのテレビドラマの主題曲に使われたことにより全西独シングル・ヒット・チャートの第1位に輝き、これを契機にスペインなど周辺の国々でもヒット、逆輸入の形で本国フランスでもヒットした。デビューシングルは38か国で2200万部を売り上げた。

この話を聞き、当時のビクター音楽産業がデルファン社とクレイダーマンに関する日本での独占販売契約を締結した(これは現在でも続いている)。

 

 

1978年、日本で初めて彼のレコードが発売されると、すぐに評判になった。なお、Richard Claydermanはフランス語では「リシャール・クレイデルマン」となるが、日本語メディアではもっぱら英語読みの「リチャード・クレイダーマン」で呼ばれる。

 

1980年には日本で初のコンサートを開き、「ニュー・イージーリスニング・ミュージック」として注目されるようになった。初訪日以来、毎年日本でコンサートを行うほか、全世界通して年300日はコンサートをしている。

 

 

1981年1月1日、アルバム(LP)『リチヤード・クレイダーマンのすべて』を発売。日本におけるアルバムには、オリジナル曲や、カバー曲を交えての構成が多く、ベスト・アルバム的要素をもつ。

 

1月12日、テレビ朝日系「月曜劇場」枠で放映されたテレビドラマ『午後の旅立ち』の主題歌“午後の旅立ち”(Triste cœur)を提供。

 

2月3日放送開始のTBS系列テレビドラマ『愛の滑走路'81』の主題歌に“秋のささやき”(A comme Amour)を提供。

 

同年、シーボン化粧品の広告で“愛のコンチェルト”(Concerto pour une jeune fille nommée "je t'aime")が流れた。この広告は当時頻繁に流れ、たとえ曲のタイトルを知らなくても曲を聴けば「あの化粧品の曲だ」とわかる程で、日本でクレイダーマンの認知を上げるのに貢献した。

 

 

1982年、“星のセレナーデ”(Coup de cœur)に岸田智史と下田逸郎が歌詞をのせ、“潮風のセレナード”のタイトルで岸田がカヴァーした。

 

 

1983年6月3日、放送開始のテレビドラマ『変身願望』の主題歌に“虹色の心”(Couleur tendresse)を提供。

 

 

1984年2月11日、劇場公開アニメ『綿の国星』の主題曲に“綿の国星のテーマ”(un blanc jour d'un chaton)を提供。

 

同年、アメリカ映画『ペーパー・ファミリー』(Irreconcilable Differences)」の主題歌“ハーモニー”として、“星のセレナーデ”(Sérénade de l'étoile <coup de coeur>)がカヴァーされた。

 

 

1985年、ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団と共演した『ピアノ・ラプソディ』を発売。

 

 

1991年、ジェームス・ラスト・オーケストラとの共演を収録した『木漏れ日の詩』を発売。

 

 

1995年4月21日、レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラその演奏を収めた『郷愁の詩』 を発売。

 

 

1998年1月8日、テレビ番組『趣味悠々』にて『リチャード・クレイダーマンのピアノレッスン』と題し、司会・案内役に頼近美津子を迎え、毎回ピアニストを目指す生徒とともに、クレイダーマンが講師となって音楽やピアノのレッスンを行う内容の番組が放送された。

 

 

毎年5月前後に日本でコンサートを行うほか、世界各国で年300日はコンサートをしている。日本でのコンサートではデビュー曲の“渚のアデリーヌ”を始めとするオリジナルヒット曲や、映画音楽、世界を渡り歩いて出会った曲の数々、50年代ポップスから最新のポップス、そして日本の童謡、唱歌、歌謡曲など幅広いジャンルから選び抜き、電子楽器も多用した演奏活動を行っていた。  毎年世界各国で300日前後のコンサートをしていることを受け、ギネスブックに「世界で最も成功したピアニスト」として認定された。

 


2006年時点で、彼のレコード・CDなどの販売数は約7000万に達し、267枚のゴールドアルバムと70枚のプラチナアルバムを獲得している。

この頃からは、少人数のアンサンブル形式のバンドと合わせて演奏されている。また、4人組グループ「JULEPS」などアジア各国の音楽家とも、コンサートでゲスト競演している。

 

 

2007年5月9日、アルバム『千の風になって』を発売。

 

 

2010年で来日コンサート30回目を迎えることとなり、デビュー30周年記念アルバム『栄光の奇跡』と、来日30周年記念アルバム『母に捧げる歌』も発売した。


 

2012年、東日本大震災の被災地を訪問、その模様は『TOMORROW beyond 3.11』で放送された。

 

 

2017年4月19日、デビュー40周年を記念したベストアルバム『デビュー40周年記念ベスト◎リチャード・クレイダーマン』を発売。

 

他にもクレイダーマンの主な楽曲は数多くある。

 

“愛しのクリスティーヌ”(Souvenirs d'enfance)

 

“夢の中のウェディング”(Mariage d'amour)

 

“母への手紙”(Lettre à ma mère)

 

“ノスタルジー”(Nostalgy)

 

“パンドラの旅”(Voyage à Venise)

 

“ドランの微笑”(dorannes melody)

 

“子供のためのロンド”(Rondo pour un tout petit enfant)

 

“ほほえみのバネッサ”(Les premiers sourires de Vanessa)、多摩川競艇場締め切り前BGM

 

“鳥を夢みて”(Murmures) 静岡朝日テレビクロージング前天気予報BGM

 

“アナスターシャ最後の日々”(Les derniers jours d'Anastasia Kemsky)

 

“レディー・ディー”(Lady Di)元々はイギリスのダイアナ元皇太子妃をイメージして作曲されたもの(実際の英語の発音は「レディー・ダイ」)。江崎グリコのCMソング

 

“美しいままで”(Une folle envie d'aimer)

 

“エレアナの瞳”(Eleana)

 

“林の小路”(Promenade dans les bois)

 

“プリンス・オブ・ライジング・サン”(Prince Of The Rising Sun)日本の皇太子・徳仁親王(当時/現:天皇陛下)を主題とした曲

 

 

近年ではオリジナルヒット曲などのリメイクも話題になったり、新曲もコンスタントに発表するなど、現在もなお第一線で演奏活動を行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「リチャード・クレイダーマン」「Richard Clayderman」

公式サイト《英語》

http://www.clayderman.co.uk/