原 由子(はら ゆうこ/1956〈昭和31〉年12月11日~)は、

日本のミュージシャン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家。

 

 

 

神奈川県横浜市出身。

横浜市立横浜吉田中学校を卒業後、高校の入学と同時にフェリス女学院高等学校へ編入した。在学中に、友人とフォークデュオ「ジェロニモ」を組んでヴォーカルとギターを担当し活動。大学入学後もジェロニモは続けていた。ジェロニモの名前の由来は、「男らしくて力強い名前」であり、原は「ジェロニモを結成してから、私の高校生活は明るいものになっていった」と当時を述懐している。中学、高校とコミュニケーションをとるのが苦手であったが、音楽に助けられていたという。

 

1975年、青山学院大学文学部英米文学科入後、桑田佳祐、関口和之らが所属していた音楽サークル「BETTER DAYS」(ベター・デイス)に入り、桑田らのバンドにピアノの技術を買われて参加した。原が桑田に抱いた第一印象は「なんとなくいじめっ子っぽかった」だという。しかし、桑田がクリームやディープ・パープルを歌うのに原は聞き惚れた。一方、桑田は、原がピアノでエリック・クラプトンの“いとしのレイラ”を演奏する腕前に心底驚いた。

桑田のバンドは、メンバーの入れ替わりや名称の変更が幾度もあったが、バンド名は「サザンオールスターズ」に落ち着いた。

 

1977年3月、「サザンオールスターズ」でヤマハ主催の音楽コンテスト「EastWest」に申し込んだ。しかし、予選のテープ審査の時期に一人脱退し、入れ替わりで関口が加入。桑田佳祐(Vo,G)、大森隆志(G)、原由子(Key)、松田弘(Ds)、関口和之(B)で臨んだ本選では入賞を果たし、桑田がベストボーカル賞を獲得した。この直後に大森がバイト先で知り合ったセミプロの野沢秀行(Perc)が大森の勧誘を受ける形でなし崩し的に加入、デビュー時のラインナップが揃った。 

 

レコード会社はビクター音楽産業(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)に決まったものの、芸能事務所がなかなか決まらなかった。そんな時、サザンに興味を持って練習スタジオを訪れたのが、当時は新興事務所のアミューズ社長・大里洋吉だった。この時に“勝手にシンドバッド”を披露したサザンとの契約を大里が決意。アミューズは原田真二の個人事務所的存在として1977年に設立された会社だったが、大里が解散直前のキャンディーズのプロデュースに専念し事務所の仕事から離れていた時期に、ロック志向を強めていた原田がテレビ的な売り出し方を嫌い移籍してしまった。サザンとの出会いはこの事件の2週間後であり、もし原田が移籍してなかったらサザンオールスターズを担当する余裕はなかったという。

 

 

1978年6月25日、サザンオールスターズとして“勝手にシンドバッド”(作詞・曲:桑田佳祐/編曲:斉藤ノブ & サザンオールスターズ/管編曲:Horn Spectrum ※以下、特記が無い限り作詞・作曲は桑田佳祐)をリリースしてデビュー。オリコン3位。

 

 

1980年3月21日、サザン3枚目のオリジナル・アルバム『タイニイ・バブルス』を発売、バンド初のオリコンアルバムチャート1位を獲得した本作に、原が初めてメインヴォーカルを担当した“私はピアノ”を収録。以降ほとんどのサザンのアルバムで原がヴォーカルを担当する楽曲が収録されるようになる。

 

 

 

1981年4月21日、桑田プロデュースによる“I Love Youはひとりごと”でソロデビューを果たした。オリコン35位。しかし、歌詞の内容が過激と受け取られ放送禁止になってしまい、対抗してゲリラ・ライヴを行うも、警察まで駆けつける騒動となった。また、同時発売としてこちらも桑田プロデュースで1stソロアルバム『はらゆうこが語るひととき』をリリース、オリコン6位を記録した。

 

 

7月21日、アルバムからのリカットで2枚目ソロシングル“うさぎの唄”を発売。オリコン63位。

 

 

1982年に桑田と結婚。原曰く「こんなにわかりやすい人と結婚するとは、夢にも思わなかった」とのこと。後に2児が生まれた。

3月21日、結婚後に3枚目ソロシングル“誕生日の夜”を発売。オリコン81位。

7月21日、サザンの5thアルバム『NUDE MAN』が発売、原がリードヴォーカルを担当した“流れる雲を追いかけて”を収録。

同年、伊藤つかさにシングル曲“夢見るSeason”を作詞・作曲提供、また、“GOOD NIGHT”を作曲提供し、作家としての活動も開始。

 

1983年7月5日、サザンの6thアルバム『綺麗』が発売。原が歌唱した“そんなヒロシに騙されて”を収録。アルバムは第25回日本レコード大賞 ベスト・アルバム賞を受賞、オリコン1位。

 

 

8月21日に発売した4枚目ソロシングル“恋は、ご多忙申し上げます”がオリコン5位と、原のソロシングルとして初のヒットを記録し、ソロアーティストとしての原が高く評価された。

 

11月5日、5枚目ソロシングル“横浜 Lady Blues”を発売、オリコン44位。

 

11月21日、2ndソロアルバム『Miss YOKOHAMADULT YUKO HARA 2nd』を発売、オリコン4位。

 

 

1984年7月7日、サザンの7thアルバム『人気者で行こう』を発売。原が歌唱した“シャボン”を収録。アルバムはオリコン1位。

 

 

 

1985年6月に出産によって、活動休止期間に入った。

9月14日、サザンの8thアルバム『KAMAKURA』を発売。産休中のため自宅でレコーディングをしたという“鎌倉物語”を歌唱。アルバムはオリコン1位。

 

 

 

1987年8月21日、6枚目シングル“あじさいのうた”でソロ活動を再開、オリコン22位。

 

その後は精力的にシングルの発売を行った。

 

 

1988年4月21日、7thソロシングル“ガール (GIRL) ”を発売、オリコン17位。

 

 

1989年4月26日、8thソロシングル“かいじゅうのうた”を発売、フジテレビ系子供番組『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌。オリコン90位。

 

5月21日、9thソロシングル“ためいきのベルが鳴るとき”を発売、フジテレビ系ドラマ『いまどき銀座物語ぼんぼん』主題歌。オリコン35位。

 

 

1990年9月21日、10thソロシングル“愛して愛して愛しちゃったのよ”(作詞・曲:浜口庫之助/編曲:桑田佳祐 & 小林武史)を発売、和田弘とマヒナスターズ、松平直樹&田代美代子の楽曲のカヴァーで、「原由子&稲村オーケストラ」の楽曲として、「SOUTHERN ALL STARS and ALL STARS」名義で発売されたアルバム『稲村ジェーン』からシングルカット。原出演の三起商行発行の育児雑誌『マンスリー・ミキハウス』CMソング。オリコン49位。

 

 

 

1991年3月27日、11thソロシングル“ハートせつなく”を発売、原自身が出演したカゴメ CMソング。オリコン16位。

 

5月29日、12thソロシングル“じんじん”を発売、ホンダ「ビート」CMソング。オリコン24位。

 

6月1日、2枚組となった3rdアルバム『MOTHER』を発売、復帰後のシングルを収録した他、東海旅客鉄道 CMソングおよびコカ・コーラ「まろ茶」CMソングになった“花咲く旅路”等を収録。第33回日本レコード大賞 優秀アルバム賞を受賞し、オリコン4位を記録した。

 

 

アルバムリリース直後には大阪、名古屋、東京・日本武道館でソロツアー「花咲く旅路」を開催。

11月1日、13thソロシングル“負けるな女の子! ”を発売、テレビアニメ『YAWARA! a fashionable judo girl!』三代目オープニングソング。オリコン16位。

 

12月31日、『第42回NHK紅白歌合戦』への単独出場を果たし、“花咲く旅路”を歌唱した。

 

 

1997年10月29日、香取慎吾とコラボし、桑田が作詞作曲を行ったシングル“みんないい子”を発売、オリコン13位に達した。

11月27日、14thソロシングル“涙の天使に微笑みを”を発売、NHK連続テレビ小説『甘辛しゃん』の主題歌に起用された。オリコン16位。

 

 

1998年2月、ソロ名義の作品だけを収録した、自身初のベスト・アルバム『Loving You』を発売。オリコン3位。

 

 

2002年3月、斎藤誠と片山敦夫がプロデュースしたカヴァー・アルバム『東京タムレ』を発売。アルバムは桑田による発案で、女性シンガーの楽曲をカヴァ―した作品となった。オリコン4位。

 

 

2007年11月7日、音楽グループの風味堂からのリクエストで実現したユニット「ハラフウミ」の名義でシングル“夢を誓った木の下で”を発売。オリコン26位。

 

 

2009年8月19日、15枚目ソロシングル“夢をアリガトウ”が発売され、制作過程が桑田の冠番組である『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ系列)で放送された。ソロとして自身最高タイとなるオリコン5位を記録。

 

 

2010年4月25日付の朝日新聞の広告に原と桑田の会話が掲載された。「毛が生えてきた」という桑田に対し、原が「その毛を剃ると私、歌わない」を連呼する謎めいたものであった。

5月、原とファンの団結を強めるため「Y団」(YUKO応援団)を結成、広告やイベントも実施した。

6月、原にとって2枚目となるベスト・アルバム『ハラッド』を発売。ソロ名義の楽曲に加え、自身がヴォーカルを務めたサザンのナンバーも収録した。オリコン3位。

 

7月、19年ぶりのソロワンマンライヴを開催。全18曲を歌い、アンコールには桑田も登場してデュエットを披露した。

 

 

2011年5月25日、事務所の所属タレント・アーティストが集結したユニット「チーム・アミューズ!!」にサザンの一員として参加、“Let's try again”をリリースした。桑田が作詞・作曲を担当し、曲中にサザンの“希望の轍”をはじめ、“LOVE AFFAIR 〜秘密のデート”、“ポリリズム”等がサンプリング挿入されている。オリコン2位。

 

 

2012年4月4日、自身初となる配信ソロシングル“ウルワシマホロバ〜美しき場所〜”(作詞・曲:原由子/編曲:曽我淳一&原由子)と“ヘヴン”(作詞・曲:原由子)を着うたで発売。これらはそれぞれ、映画『ももへの手紙』と、映画『人生、いろどり』主題歌および大同生命 CMソングに起用された。

 

 

2014年1月、自身の母校である横浜市立横浜吉田中学校から校歌の制作を依頼され、作詞・作曲して完成させた。

 

 

2016年12月にソロ名義および「ハラフウミ(原由子×風味堂)」名義の楽曲延べ136曲のダウンロード配信が開始された。

 

 

2019年12月にサザンも含めて自身の楽曲全てがサブスクリプション型サービスでのストリーミング配信が解禁された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(参照)

Wikipedia「原由子」「サザンオールスターズ」