ベット・ミドラー(Bette Midler/別名:The Divine Miss M/1945年12月1日~)は、

アメリカ合衆国出身の歌手、俳優。

 

 

 

1945年12月1日、ベット・ミドラーは、画家・塗装工であった父親フレッド・ミドラーと、仕立て屋だった母親のルース(旧姓シンデル)の間に、合衆国ハワイ州ホノルルで誕生した。両親はともにニュージャージー生まれでホノルルに移住したユダヤ系。

 

彼女はアイエアで育ち、ホノルルのラドフォード高校に通った。

1961年の学校のホス選挙で「最もおしゃべり」に選ばれ、彼女の4年生(1963年のクラス)で「最も劇的」に選ばれた。

 

ミッドラーはハワイ大学マノア校で演劇を専攻したが、3学期後に中退。

映画『ハワイ』(1966年公開)にエキストラとして初出演、クレジットのない船酔いの乗客であるミス・デビッド・バフを演じた。

 

1965年夏、『ハワイ』の出演料を手に、舞台女優を目指してニューヨークに出る。

そこで彼女はユタ・ヘーゲンの下、HBスタジオで演劇を学ぶ。

同年、トム・アイアンのオフ・オフ・ブロードウェイ演劇『Miss Nefertiti Regrets』と『Cinderella Revisited』でプロとして初舞台を踏んだ彼女は、昼は子ども向けの演劇、夜は大人向けのショーでステージに上がる生活を送る。

 

1966年から1969年まで、彼女はブロードウェイのミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』に「ツァイテル」役で出演。

 

1970年夏、彼女はアンソニア・ホテルのゲイ浴場である「コンチネンタル・バス」で歌い始めた。

この間、彼女は後に1stアルバム『The Divine Miss M』をプロデュースしたピアノ伴奏者のバリー・マニロウと親しくなった。彼女がコアフォロワーを築いたのは、コンチネンタル・バスにいる間だった。1990年代後半、アルバム『バスハウス・ベティ』のリリースに際し、ミッドラーはそこでの演奏について、「ゲイ解放運動の最前線で、私はそれが前進するのを助けるために自分の役割を果たしたことを願っています。それで、私は誇りを持って[バスハウスベティ]のラベルを着ています。」と語っている

 

1971年、ミッドラーはリチャード・パールマン監督の下、シアトル・オペラにて、ザ・フーのロックオペラ『トミー』の初演に出演した。

この頃、『ザ・トゥナイト・ショー』に初出演した。

 

 

1972年11月、バリー・マニロウの協力を得て制作されたデビュー・アルバム『アメリカが生んだ最後のシンガー / ベット・ミドラー・デビュー』をアトランティック・レコードからリリース、米誌『ビルボード』の総合アルバムチャート「Billboard 200」(以下「全米」)で9位を記録、さらにプラチナディスクに輝いた。

 

デビュー・シングルの“踊ろよベイビー”(Do You Want to Dance?)は、1962年のクリフ・リチャードの曲で、1965年にビーチ・ボーイズがカヴァーして大ヒットしたことで知られる。ミドラーのバージョンは『ビルボード』誌の総合シングルチャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)17位を記録した。また、1941年のヒット曲をカヴァーした“ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ”(Boogie Woogie Bugle Boy)は同誌「イージーリスニング・チャート」(現:「アダルト・コンテンポラリー」、以下「AC」)の1位、全米でも8位を記録した。さらに"Friends"が全米40位・AC9になった。

ミドラーは本作品により、1974年3月開催の第16回グラミー賞にて新人賞を受賞。彼女はこの時を含めて3度グラミー賞を受賞している。

 

 

 

 

1973年11月16日、原題ではセルフ・タイトルとなった2ndアルバム『II』(Bette Midler)をリリース、再びマニロウによって共同制作された本作は、ビルボードの6位と前作に続き全米トップ10に到達し、最終的には米国だけで100万部近く売れた。アルバムからのシングルは、"In the Mood"が全米51位にチャートインした。

 

 

 

1974年には『Clams on the Half Shell Revue』でトニー賞の特別賞を受賞。

 

 

1976年、アルバム『III』(Songs for the New Depression)をリリース、全米27位。"夜のストレンジャー"(Strangers in the Night)と"Old Cape Cod"がACチャートに入った。

 

 

 

1977年、アルバム『Broken Blossom』をリリース、全米51位。"Storybook Children (Daybreak)"が全米57位・AC37位にチャートインした。

 

同年、自身最初のライヴアルバム『Live at Last』をリリース。オハイオ州クリーブランドでのコンサートパフォーマンスを収録したこの2枚組アルバムは、全米49位を記録した。アルバムからは"You're Movin' Out Today"が全米42位・AC11位を記録した。

 

 

1979年の主演映画『ローズ』(The Rose)では、ジャニス・ジョプリンをモデルにした主人公を演じてアカデミー賞にノミネートされた。また、全米3位になった同作の主題歌“ローズ”(The Rose)でグラミー賞を受賞。パーシー・スレッジの代表曲をカヴァーし全米35位に達した"When a Man Loves a Woman"も収録した映画のサウンドトラック・アルバムは、全米12位に到達した。

 

 

 

 

1984年に結婚し、娘が一人いる。

 

 

1988年の映画『フォーエヴァー・フレンズ』(Beaches)で主演、主題歌“愛は翼にのって”(Wind Beneath My Wings)を歌い、グラミー賞の最優秀レコード賞を受賞した。この曲は彼女にとって初の全米シングルチャートでの1位をもたらした。ドリフターズのカヴァー"Under the Boardwalk"も収録した同作品のサウンドトラックは全米2位になった。

 

 

 

1990年、“フロム・ディスタンス”(From a Distance)が全米2位を記録する大ヒットとなった。

 

9月4日、“フロム・ディスタンス”を収録したアルバム『サム・ピープルズ・ライヴス』(Some People's Lives)も、全米6位・全英5位と大ヒット。

 

 

1992年には『The Tonight Show』でエミー賞を受賞。

 

 

1995年、アルバム『ベット・オブ・ローゼス』(Bette of Roses)をリリース、全米45位。これがアトランタからリリースした最後のスタジオ・アルバムとなった。

 

 

1998年9月15日、ワーナー移籍第一弾アルバム『バスハウス・ベティ』(Bathhouse Betty)をリリース。全米32位、ゴールド認定。アルバムからは"My One True Friend"がAC16位になった。

 

 

 

2000年、アルバム『ベット』(Bette)をリリース。全米69位。

 

 

2003年、コロムビアに移籍し、第一弾アルバム『ローズマリー・クルーニー・ソングブック』(Bette Midler Sings the Rosemary Clooney Songbook)をリリース。全米14位に達するヒットとなり、ゴールド認定も受けた。アルバムから"White Christmas"をシングル・リリース、AC15位になった。

 

 

2005年、アルバム『Bette Midler Sings the Peggy Lee Songbook』をリリース、全米10位・全英41位のヒットとなった。

 

 

 

2006年、ホリデー・アルバム『Cool Yule』をリリース。これがコロムビアからのスタジオ・アルバム最後のリリースとなった。全米33位。

 

 

2008年2月20日に、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスのシーザーズ・パレスで長期公演を行った。日本では一度も来日公演が行われておらず、未だ来日していない大物アーティストの一人である。

 

 

2014年11月4日、移籍したWarner/Rhinoからアルバム『It's the Girls!』をリリース、ザ・ロネッツによる1963年のヒット曲をカヴァーした“Be My Baby”等を収録し、全米3位・全英6位の大ヒットとなった。アメリカではゴールド認定も受けた。

 

 

 

2017年3月、ブロードウェイ・ミュージカル『ハロー・ドーリー!』(Hello, Dolly!)で主演し、初日の売り上げがブロードウェイ記録を樹立。ミドラーは1964年の同名ミュージカルの再演となるこの作品でトニー賞 ミュージカル主演女優賞を受賞した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ベット・ミドラー」「Bette Midler」