加川 良(かがわ りょう/本名:小斎 喜弘/1947[昭和22]年11月21日~2017年4月5日)は、日本のフォークシンガー。

 

 

 

滋賀県彦根市出身。

学生時代にグループサウンズのヴォーカリストとして活動。

卒業後、URCの版権管理会社である、アート音楽出版に入社。

 

URCとは、1961年1月に設立された「アングラ・レコード・クラブ」の頭文字「アングラ(U)・レコード(R)・クラブ(C)」を通称したもので、日本で最初のインディーズ・レーベルと言われることもある。URCには、加川と前後して、五つの赤い風船、岩井宏、遠藤賢司、岡林信康、斉藤哲夫、高石友也、高田渡、友部正人、中川五郎、はっぴいえんど、六文銭、三上寛、ザ・ディランIIなどが在籍、日本のフォーク創成期から興隆期にかけて数多くの歌と歌い手を世に送り出した。現在は、原盤権をシンコー・ミュージックが、販売権をポニーキャニオンが、それぞれ取得している。

 

アート音楽出版在職中には、岩井宏の部下として勤務し、高田渡のマネージャーを務めるなどした他、岡林信康、高石ともや等とも交流を持ち、その影響でフォーク・ソングを唄い始める。

 

 

1970(昭和45)年、「第2回中津川フォークジャンボリー」に飛び入りで参加し、“教訓I”を発表、一躍人気者になる。

なお、芸名の「加川良」は、加山雄三の「加」、長谷川一夫の「川」、池部良の「良」を組み合わせたものと言われる。

 

 

1971(昭和46)年6月、LP(アルバム)『教訓』でURCからデビュー。

 

 

 

7月20日、EP(シングル)“教訓I”(作詞:上野瞭・加川良/作曲:加川良)を発売。同曲の歌詞は、大阪・梅田の地下街で身障者のためにボランティア活動を続けている人が売っていたパンフレット(ガリ版刷りの文集)に載っていた詩を、加川が歌用にアレンジしたものだが、元々は作家の上野瞭が1967年に三一新書から発表した『ちょっとかわった人生論』の中の「戦争について」の「教訓ソノ一」がパンフレットに転載されていたのだという。同曲は話題を呼び、後に、なぎらけんいち(現:なぎら健壱)による「替え歌」“教訓II”(作詞:なぎらけんいち/作曲:加川良)や、三上寛“教訓110番”などパロディー作品も発表された。

 

 

1972(昭和47)年、“こがらしえれじい”、“偶成”、“下宿屋”を含む2ndアルバム『親愛なるQに捧ぐ』を発売。

 

 

 

 

同年7月21日、よしだたくろう(現:吉田拓郎)の代表的なアルバム『元気です。』が発売、加川が詞を提供した、その名も“加川良の手紙”(作詞:加川良/作曲・吉田拓郎)が収録され、話題になった。

 

 

1973(昭和48)年、中川イサトとのライヴアルバム『やぁ。』を発表。

 

 

 

1974(昭和49)年、アルバム『アウト・オブ・マインド』をベルウッドから発表。香川のアルバムの中でも評価の高い一枚。

 

 

 

 

1975(昭和50)年、アルバム『十月は黄昏の国』を「加川良と東京キッドブラザーズ」名義で発売。

 

 

同年、中川イサトの神戸市長田区でのオムニバスライヴ『鼻歌とお月さん』のレコーディングに、いとうたかお・大塚まさじ・金森幸介・シバ・西岡恭蔵・長田タコヤキ和承とともに参加。

 

 

1976(昭和51)年、シングル“高知”(作詞・曲:加川良)をブラック・レコードから発売。

 

同年、石田長生らをバックに従えた『南行きハイウェイ』を発売。

 

 

 

1978(昭和53)年、レイジー・ヒップと共演したアルバム『駒沢あたりで』をオレンジレコードから発表。収録曲“女の証”(作詞・曲:加川良)は7月8日にシングルとして発売された。

 

 

 

 

 

1981(昭和56)年3月、シングル“コスモス”(作詞・曲:加川良)をNewレコードから発売。    

同年、アルバム『プロポーズ』を発売。香川のオリジナル・アルバムでは最もCD化が遅れた作品。ジャケット・デザインはアート・ディレクターの副田高行によるもの。

 

 

10月、シングル“ゴスペル―嘘でもいいから―”を発売。B面は“誕生日”を収録。

 

 

1982(昭和57)年、アルバム『アーリー加川良』を発売。

 

 

1988年からはプライベート加川良として、ソロ活動を展開。1年間で全国を回るペースでライヴを継続。

 

 

1990(平成2)年11月7日、シングル“星屑の街”(作詞:東条寿三郎/作曲:安部芳明)をポニーキャニオンから発売、三橋美智也のヒット曲のカヴァーで、三井ホーム ’90 CMソング。

 

 

1991(平成3)年、アルバム『ONE』を発売。

 

 

 

 

1993(平成5)年、アルバム『2[tu’:]』を発売。細野晴臣、チト河内、有山じゅんじ、村上律、松下誠、KYON(ボ・ガンボス)等、錚々たるメンバーが参加した。

 

 

 

1996(平成8)年、アルバム『R.O.C.K』を発売。

 

 

 

2002(平成14)年、「加川良 with TE-CHILI」名義で、アルバム『USED』を発売。

 

 

2004(平成16)年、「加川良 with すぎの暢」名義で、アルバム『USED2』を発売。

 

 

2007(平成19)年、「加川良 with すぎの暢」名義で、アルバム『USED END』を発売。

 

 

2016(平成28)年、「加川良 with すぎの暢」名義で、アルバム『みらい mirai』を発売。

12月14日に入院し、翌15日に急性骨髄性白血病と診断され闘病中とFacebookで公表。 

 

 

2017(平成29)年4月5日午前9時39分、加川良こと小斎喜弘が、東京都港区の病院にて死去。69歳没。

長男はミュージシャンのgnkosai(本名・小斎元希)。

 

同年9月20日、URCアナログ復刻シリーズ12作品のひとつとして、加川のデビュー作『教訓』がLPおよびカセットで復刻リリースされた(PCJA.00069/PCTA.00284)。

 

 

岡林信康が一線から退いた後、吉田拓郎と並んで「どちらがBIGになるのか」といわれた時期があったが、加川が拓郎ほどの一般的名声を得ることはなかった。現在では、前述の拓郎の曲“加川良の手紙”で歌われた人物として知られている。拓郎がポップに変わっていくのとは正反対に、ストイックに自らの音楽に忠実に、お金にならない歌を歌い続けたのが理由ともいわれている。

 

代表曲“教訓Iについて加川は、発表から40年以上を経て発生した福島第一原子力発電所事故(2011年)や集団的自衛権の行使問題(2014年)に対してもあてはまると考えており、そのため「歌うたんびに新曲だと思えるんです」とも語っていた。

 

 

2020年4月14日、女優の杏が“教訓1”をカヴァーした動画をYouTubeに上げ、コロナ禍でステイ・ホームを続ける人々に向けたメッセージとして話題になった。

 

 

2021年11月21日、存命であれば、74歳を迎えていた、加川良の誕生日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「加川良」

公式ホームページ ※ただし2004年までのアーカイヴのみ。