松崎 しげる(まつざき しげる/本名:松崎 茂幸[まつざき しげゆき]/1949年11月19日~)は、

日本の歌手、タレント、俳優。通称「マツ」。

 

 

 

1949年11月19日、松崎 茂幸が誕生。東京都江戸川区出身。

江戸川区立松江第三中学校を経て、日本大学第一高等学校に入学。

高校時代までは野球に打ち込むが、肘と肩を負傷したため野球を断念。

これ以降、音楽活動を始める。

 

日本大学藝術学部文芸学科入学、後に卒業。

大学時代には、日大一高時代からの同級生である日高富明(Tommy)と、「アウトバーンズ」というバンドを結成し活動。

この頃、由美かおるのバッキングバンド「ジ・エンジェルス」のギタリスト、堀内護(Mark)と練習場の新宿御苑スタジオで知り合う。

その後、アウトバーンズとジ・エンジェルスが同時期に解散。松崎は日高、堀内とともに「ミルク」というバンドを結成する。バンドは冬には「ホット・ミルク」、夏には「アイス・ミルク」と名乗っていたという。

当時、大橋プロダクションのマネージャーをしていた宇崎竜童にスカウトされて大橋プロと契約、カヴァーシングル“ハッシャバイ”を「ホット・ミルク」名義でリリースしてメジャーデビューを果たす。

 

しかし、以前から脱退と復帰を繰り返していた日高がデビュー後にまたもや脱退、しかも堀内とフォークデュオを結成した。残った松崎にもソロデビューの話があり、結局ミルクは解散。

バンド解散後、メンバーはそれぞれ活動し、日高と堀内は後に「ガロ」を結成。

松崎はビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)のオーディションに合格、デビューを目指す。

 

 

1970年10月、シングル“8760回のアイ・ラブ・ユー”(作詞:阿久悠/作・編曲:鈴木邦彦)でソロ歌手としてデビュー。

 

 

1971年10月、シングル“君は何をおしえてくれた”(作詞:阿久悠/作曲:小林亜星/編曲:小杉仁三)を発売、近藤正臣出演のCM「グリコアーモンドチョコレートX.O」のCMソングに効果的に使われたことで大きな反響を生んだ。今では当たり前のCMタイアップだが、グリコアーモンドチョコレートのCMがその先駆けとなった。好評だった同曲を歌唱した松崎も名が知られるきかっけとなり、引き続き歌い手として同商品のCMソングに起用された。

 

 

1972年、グリコアーモンドチョコレートCMソング“黄色い麦わら帽子”(作詩:ちあき哲也/作曲:中村泰士/編曲:高田弘)がスマッシュ・ヒット。同曲は作詞家ちあき哲也のデビュー作だった。これ以降も1970年代の江崎グリコCMソングを担当、「CMソングの帝王」と呼ばれるようになる。

 

しかしその後はヒット曲がなかなか出ず、不遇の時代が続く。

 

 

1973年10月25日、シングル“俺たちの朝”(作詞:谷川俊太郎/作曲:小室等/編曲:チト河内)を発売、「俺たちシリーズ」第2作であり、勝野洋が主演し鎌倉を舞台にしたNTV青春ドラマ『俺たちの朝』主題歌。

 

 

CMソングの世界で引き続き活動を続ける中、西田敏行とともに六本木周辺で即興で歌を作る流しのような活動をして話題となり、1975年にはTBSのテレビ番組『ハッスル銀座』に西田とともに起用され人気を得る。

1975年11月、第6回ヤマハ世界歌謡祭にて“君の住んでいた街”で歌唱賞受賞。

 

 

1976年、スペインのマジョルカで開催された「マジョルカ音楽祭」に“愛の微笑”で出場し、第2位に輝き、松崎自身も最優秀歌唱賞を受賞する。だが日本では当初注目されず、同曲はレコード会社から難しい曲と見なされてリリースに難色を示される。

同年6月25日、シングル“私の歌”(作詞:喜多条忠/作曲:都倉俊一)を発売、「グリコ アーモンドチョコレート」CMソング。

 

 

1977年、“愛の微笑”が三浦友和と山口百恵の共演するグリコ アーモンドチョコレートのCMに起用された。これで注目を浴びた同曲は、レコード化の話が進められることとなった。

6月、「第6回東京音楽祭」にて「ゴールデンカナリー賞」および“タ陽の歌”(作詞:喜多条忠/作・編曲:都倉俊一)で最優秀歌唱賞を受賞。

8月10日、“愛の微笑”が改題された“愛のメモリー”(作詞:たかたかし/作・編曲:馬飼野康二)が発表、オリコン最高位2位の大ヒットとなる。

 

12月、“愛のメモリー”で日本レコード大賞歌唱賞、日本歌謡大賞放送音楽賞受賞を始め、数々の賞に輝く。

12月31日、第28回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、“愛のメモリー”を歌唱。

 

 

1978年、春の高校野球「第50回選抜大会」で、“愛のメモリー”が入場行進曲に採用され、甲子園球場で流された。自らも高校球児だった松崎は「(甲子園のグラウンドに立つという)ガキの頃からの夢がついにかなった」と涙を浮かべ、感無量だったという。

6月、「第7回東京音楽祭」にて、ゴールデンカナリー賞を受賞、“銀河特急”(作詞:たかたかし/作・編曲:筒美京平)で最優秀歌唱賞受賞。

 

7月5日、シングル“火の鳥”(作詞:谷川俊太郎/作・編曲:ミシェル・ルグラン)をリリース、東宝映画『火の鳥』主題歌。

 

10月、「第l回太平洋音楽祭」にて“俺の愛し方”(作詞:なかにし礼/作・編曲:馬飼野康二)でグランプリ受賞。

 

 

1979年3月25日、19thシングル“地平を駈ける獅子を見た”(作詞:阿久悠/作曲:小林亜星/編曲:高田弘)を発売、プロ野球パシフィック・リーグの西武ライオンズ球団歌。B面は“レッツ・ゴー・ライオンズ”(作曲:長戸大幸)。これが縁で西武ライオンズの大ファンとなり、石毛宏典や佐々木誠らのサイン入りグラブを所持するなど、野球選手とも交友関係を持つようになった。

 

5月、「第8回東京音楽祭」にて、ゴールデンカナリー賞を受賞、“セーリング・ラブ”(作詞:荒木とよひさ/作曲:馬飼野康二/編曲:前田憲男・斎藤ノブ・植田芳暁・小笠原寛)で最優秀歌唱賞を受賞。

 

10月17日、大映テレビ制作の刑事ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』(TBS)に出演、当時若手の国広富之演じる「岡野富夫」(通通称「トミー」)と、松崎演じる「松山進」(通称「マツ」)の名コンビが人気を博し、第1シリーズ:1979年10月17日~1981年3月25日/全65話、第2シリーズ:1982年1月13日~1982年12月22日/全41話が放映される人気作となった。松崎はEDテーマの歌唱も担当、 第1シリーズ43話まで“WONDERFUL MOMENT(ワンダフル・モーメント)”(作詞:三浦徳子/作曲:佐瀬寿一/編曲:小笠原寛/コーラス・アレンジ:植田芳暁)、第1シリーズ44話から“マイ・ラブ-I Gave You My Love-”(作詞:山上路夫/作曲:都倉俊一/編曲:小笠原寛)、 第2シリーズ“愛の静けさ”(作詞:三浦徳子/作曲:松崎しげる/編曲:小笠原寛)と、番組の締めを松崎の歌声が彩った。なお、“愛の静けさ”は、松崎自身が作曲も手がけた。

 

 

 

 

1980年3月、「第9回東京音楽祭」にてワンダフル・モーメント大賞受賞。

3月、「第9回東京音楽祭世界大会」にてワンダフル・モーメント銀賞受賞。

 

 

『クイズダービー』(TBSテレビ)では「クイズの帝王」を自称し、ゲスト解答者として度々出演するなどお茶の間での人気を獲得した。

 

 

1986年8月、「第23回ソポト国際音楽祭」にて“俺の愛し方”(作詞:なかにし礼/作・編曲:馬飼野康二)で銀賞受賞、“I've run here”で最優秀歌唱賞受賞。

 

 

1987年2月、「第28回チリ ヴィニアテルマール国際音楽祭」にて“I give you my love”で第2位入賞・優秀歌唱賞受賞。

9月25日、シングル“君がいればそれでいい”(作詞:秋元康/作曲:見岳章/編曲:井上鑑)を発売、グリコアーモンドチョコレートCMソング。

 

 

1989年、マネージャーの大谷勝巳(2018年1月没。享年53)とともに現所属事務所・オフィスウォーカーを立ち上げ独立。

 

 

1990年4月21日、シングル“夏の恋人”(作詞:魚住勉/作・編曲:馬飼野康二)を発売、アサヒビール'90 CMソング。

 

 

1991年5月24日、シングル“夏の夢”(作詞:魚住勉/作・編曲:馬飼野康二)、アサヒ生ビール'91 CMソング。

 

 

1993年12月1日、シングル“グッド・バイ・マイ・ラブ”(作詞:なかにし礼/作曲:平尾昌晃/編曲:山口龍夫)を発売。アン・ルイスの初期ヒット曲のカヴァーで、ノエビアコスメティック「ルネッサンス」CMシリーズのCMソング。

 

 

私生活では2度の離婚を経て、1997年に大手百貨店の令嬢である23歳年下の女性と3度目の結婚。1998年11月1日に長男(俳優の「松谷優輝」)、2000年に長女、2007年1月には57歳で次女が誕生。

長男誕生の際に「女房の笑顔さえあればバイアグラなんていらない」、次女誕生の際には「(次女が成人する)77歳まで歌い続けなくては。少子化対策に団塊の世代が一石投じられれば」とのコメントを発表、こうした流れを受ける形で「シゲルBROWN(しげるぶらうん)」名義で新曲を発表した。子供と一緒にいると、父でなく祖父と孫に見られることも多いという。

 

 

2000年、ピチカート・ファイヴの“東京の合唱〜午後のカフェで featuring 松崎しげる with YOU THE ROCK”でフィーチャリングされ、オリコン最高40位を記録している。

 

 

2005年8月、音楽配信サイト『iTunes Music Store』日本版開始時に“愛のメモリー”が最高3位にランクインし、ネットを中心にした新たなブームが起きた。新曲が重視される配信サービスにおいて、過去の優れた楽曲に対する関心の大きさも示し、廃盤となった楽曲が配信によって再評価されることへの期待も高まるようになった。なお、『iTunes Music Store』で懐かしの曲を買うことを、この曲の影響から「シゲる」と呼ばれ、『週刊ポスト』やラジオ番組『サントリー・サタデー・ウェイティング・バー』などでも取り上げられた。

 

 

2006年1月9日、テレビアニメ『おろしたてミュージカル 練馬大根ブラザーズ』の放送が開始、出演している声優と組んだユニット「練馬大根ブラザーズ」(松崎しげる・森久保祥太郎・松本彩乃)名義でOPテーマ“マ・ジ・ヤ・バ”(作詞:石井竜也/作曲:金子隆博)およびEDテーマ“ベリマッ!”(作詞:美咲ひいろ/作曲:藤井丈司)を担当した。“マ・ジ・ヤ・バ”は3月12日付オリコン初登場44位を記録、1978年1月の“偽りのバラード”以来、30年以上の間隔を空けてのオリコンTOP50入りを果たす。

 

 

11月、交通事故を起こした際、以前に取得した国際運転免許が法改正により日本国内ではこの時点で無効になっており、無免許状態であったことが判明、これにより芸能活動を一時自粛。

 

 

2007年3月10日、『ケータイ刑事 THE MOVIE2 石川五右衛門一族の陰謀〜決闘!ゴルゴダの森』の初日舞台挨拶に出演し、自粛解除を宣言した。

 

 

2008年8月27日、シングル“Wandere”(作詞:及川眠子/作・編曲:Blues T)を発売、OVA『COBRA THE ANIMATION』EDテーマ。

 

10月22日、「シゲルBROWN」名義でシングル“オヤコのマーチ”(作詞:Elvis Woodstock/作曲:横山剣/編曲:クレイジーケンバンド)を発売。

 

 

2009年、元気のない日本を盛り上げよう!とガンバレ応援ソングを集めた自身初の邦楽カヴァーアルバム『Yes We Can!!』をリリース。実に20年ぶりとなるホールツアー「Yes We Can!!」も催行して好評を博した。

 

 

 

2010年3月24日、シングル“君の歌”(作詞:柚木美祐/作曲:奥田もとい/編曲:上田益)を発売、TVアニメ『COBRA THE ANIMATION』EDテーマ。

 

 

2011年、デビュー40周年を迎える。

5月25日、40周年記念のベストアルバム『Shigeru Matsuzaki All Time Best "Old & New"~I'm a Singer~』のリリース。

 

 

2012年6月6日、“愛のメモリー”35周年記念企画シングルとして、 メガ・ボリュームシングル“愛のメモリー35th Anniversary Edition”を発売。“愛のメモリー”が1977年8月10日のオリジナルの発売以来実に35年ぶりのオリコンランキングチャートインを果たす。

ももいろクローバーZと親交が深く、ドームやスタジアムでの大型ライヴには2012年から、ほぼ毎回ゲスト出演し続けている。最初のきっかけは、西武ドームでのライヴ開催(グループ初のドーム公演)をサプライズ発表する役回りとして、西武ライオンズつながりでゲスト起用されたことであった。以降、松崎の代表曲“愛のメモリー”の替え歌に乗せて、メンバーも知らされていない重大告知を行うことが恒例になっている。なお、メンバーからは「南国ピーナッツ」というあだ名を付けられ、ファンの間でも「南ピーさん」「黒色担当」などと呼ばれ親しまれている。

 

 

2014年6月11日、様々なアーティストとコラボした楽曲を集めたアルバム『black on black』をAGレーベルから発売。

 

 

2015年6月10日、ソロデビュー45周年記念アルバム『私の歌~リスペクト~』をリリース。 歌に人生を捧げてきた松崎が自ら選び、熱く唄い上げた名曲の数々を収録。

 

 

7月、松崎の色黒が評価され日本記念日協会から9月6日(クロ)が松崎しげるの日として認定される。 また、デビュー45周年を迎えた同年は9月6日に初の松崎主催Fes「しげる祭り・黒フェス”白黒歌合戦”」を幕張メッセで開催。 多くのアーティストが参加し大成功を収めた。

 

 

現在では、年間200本近くのディナーショーを開催して「ディナーショーキング」の異名を取ったり、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)などで見せる夜の帝王ぶりなどのタフな一面が話題となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「松崎しげる」